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サッカーマガジン 1995年11月8日号

ビバ!サッカー

外国人監督の難しさ

 ストーブ・リーグというには、まだ早いが、Jリーグでも、アントラーズやジェフの監督交代が噂になっている。プロ野球ロッテのバレンタイン監督解任劇が示したように、外国人監督の立場は、非常に難しい。サッカーは、うまくやっているほうだとは思うが……。

☆バレンタイン監督の解任
 プロ野球の話だが、ロッテのバレンタイン監督解任についての報道を興味深く読んでいた。
 大げさにいえば、日本と米国の野球文化の衝突といった事件だった。
 バレンタイン監督は、本場の米国で足掛け8年レンジャースの監督をつとめ、1986年には最優秀監督賞を受賞した人である。
 ロッテのゼネラル・マネジャーの広岡達朗さんが、ほれこんで連れてきたのだが、1シーズンで、その広岡さんと衝突して解任に追い込まれた。そこが興味深い。
 広岡さんは、かつてヤクルト・スワローズの監督として、チームを万年Bクラスから日本一へと引き上げた人である。ぼくは、その当時、スポーツ記者として、よくスワローズを取材していたので、その人柄と手腕を、ある程度、知っている。
 広岡さんは、本場の米国の大リーグをよく勉強していた。そして、そのすぐれたところを、なんとか取り入れたいと考えていた。
 しかし、現場では自分の考えを、とことん押し通す人だった。グラウンドでは基本練習を激しく繰り返し繰り返しやらせ、グラウンド外ではプレーヤーの食事にまで、こまかく干渉して管理野球といわれた。
 ぼくの見るところ、広岡さんは、野球の先輩である米国の大リーグに学ぼうという知的なまじめさと、きびしく規律で徹底的に鍛え抜こうという精神的なまじめさを、両方持っていた。
 この「きまじめさ」は、きわめて日本的だったと思う。

☆監督とGMの役割
 広岡さんがロッテのゼネラル・マネジャーになり、バレンタイン監督を招いたとき、ぼくは「ひょっとすると、うまくいかないんじゃないか」という予感がした。
 監督は現場に関しては、すべて任されているはずである。外国人の監督は、とくにそう考える。負ければクビになる世界だから、任せてもらわなければ責任はとれない。
 もちろん、広岡さんは、そんなことは百も承知で、選手の起用や作戦はバレンタイン監督に全面的に任せたに違いない。
 しかし、広岡さんは、理論派ではあるが、きわめて日本的な感性の人である。だから、いずれは衝突すると、ぼくは思ったわけである。
 バレンタイン監督は、思った以上にうまくやり、万年Bクラスのチームを2位に押し上げた。ファンやマスコミの間での評判は、非常に良かったようである。
 プレーヤーの間での評判は、まちまちだっただろうと思う。プレーヤーは、使ってもらえれば満足するし、使ってもらえなければ不満を持つものである。
 解任発表数日前のジャパン・タイムスに、日本通の野球評論家のマーティー・キーナートさんが、バレンタイン監督に電話でインタビューした記事が載っていた。そのときバレンタイン監督は、すでにテキサス州アーリントンの自宅に戻っていた。
 それによると、衝突はコーチ陣との間で起きたようだ。そして広岡さんは、日本人であるコーチたちの味方に付いたわけである。

☆サッカーの場合は?
 サッカーの監督の場合はどうか。
 Jリーグ発足以来、ほとんどのチームの監督が変わっている。
 おおかたは、成績不振が理由だった。ガンバの釜本邦茂監督も、レッズの横山謙三監督も志ならなかった。日本を代表したかっての名プレーヤーが、外国人監督に取って代わられるのは悔しいが、これは兵家の常だから仕方がない。
 好成績を残したのに代えられた例もある。ヴェルディが、松木安太郎監督をクビにして、ネルシーニョ・コーチを昇格させたのが、その例である。2年連続優勝の監督をやめさせたのだから、これはバレンタイン監督解任よりもひどい。
 幸いにして、ネルシーニョ新監督は二コスシリーズでヴェルディを独走させ、松木前監督は解説者に転向して、テレビタレントとして人気者になったから、結果的には八方、円く納まった。
 奇々怪々だったのは、今年の前期サントリーシリーズの途中で姿を消したマリノスのソラーリ監督である。マリノスの前期優勝の基礎を作りながら、母親の病気と称してアルゼンチンへ帰ったきり戻ってこなかった。 
 ソラーリが変わり者なのかもしれないが、マリノスのフロントあたりと裏でなにかあったのかも知れない。誰かに真相を教えてもらいたいものである。
 監督の仕事は難しい。外国人の場合は、異文化理解の難しさが加わるから、よけいにやっかいである。
 日本のサッカーは、まあ、うまくやっている方かもしれない。


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