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サッカーマガジン 1995年10月25日号

ビバ!サッカー

人材活用のために

 Jリーグでは、プレーヤーの移籍が活発に行なわれるようになった。しかし、一般の会社チームや大学チームでは、そう簡単でない。一つのチームが多勢の選手を抱え込んでいるのは、もったいない。人材活用のために、秩序ある移籍が、どんどんやれるといいのだが…。

☆20年前のレンタル
 Jリーグができて非常に良かったことの一つは、チームからチームへのプレーヤーの移動が活発になったことである。いわゆる「トレード」である。トレードによって人材の活用をはかることができる。
 古い話で恐縮だが、ヴェルディの母体の読売クラブに、いいゴールキーパーがいなくて苦しんでいたとき、日立が、第3ゴールキーパーを貸してくれたことがある。日立は、現在のレイソルの母体となったチームである。20年くらい前の話だ。
 その当時、日立には日本代表クラスのゴールキーパーが2人もいたから、3人目のゴールキーパーも、いい選手だったのだが、出番がなかった。それで、読売クラブに一時、移籍してくれたのである。
 いまなら、いわゆる「レンタル」で、別に異とするには足らないが、当時の日本リーグは、まだプロではない。建前としては純粋のアマチュアで、日立は企業チームだった。つまり日立の会社の社員がプレーヤーだった。日立系の会社に勤めながら読売系のクラブでサッカーをしたのは、非常に珍しい例だった。
 埋もれている人材を日本のサッカー全体のために役立てることができるし、本人にとっては、いろいろな意味で大きなチャンスになる。そのときの日立の監督だった高橋英辰さんの時代を先取りした英断だった。
 シーズン中に短期のレンタル・トレードをして即席に戦力を強化するのはフェアでないと思うが、人材を活用するためのトレードは、おおいに結構だと思う。

☆大学からの引き抜き?
 もう一つ、昔話を紹介しよう。
 これも20年くらい前のことだ。
 東京のある有力な大学プレーヤーが、これも有力な東京の企業チームに引き抜かれたことがあった。
 その選手は、静岡県の高校から推薦で大学に入ったのだが、1年生の夏休みに、選ばれて日本代表候補の合宿に参加した。その合宿中に企業チームが目をつけて、自分の会社のチームに来るように勧誘した。
 どういう条件だったのかは知らないが、ともかく、その若手の有望選手は、大学をやめて、その会社チームに移ることにした。
 怒ったのは、大学チームの方である。推薦入学で入れてやったのに、たちまち横取りされたのではたまらない。その当時は、OB会などが援助して、有力選手の学費を負担してやるようなことも行なわれていたから、恩をあだで返されたような気持になったに違いない。サッカー協会に提訴する、静岡県からは今後は推薦入学をさせない、という騒ぎになつた。
 ところが、その若手選手は大学に退学届けを出し、大学はあっさり、それを受理してしまった。大学としては、もう勉強を続けたくないという学生を無理に引き止めることはできない道理である。
 大学のサッカー部は、その大学に在籍する学生で構成することになっている。だから退学した選手を「うちのチームのメンバーだ」と主張するわけにはいかない。その選手は、企業チームに移り、日本代表としても活躍したように記憶している。

☆秩序ある移籍を!
 もう一つ。これは、いま現在の話である。
 ある大学にスポーツ推薦で入学した選手がいる。
 この若者は、3カ月もしないうちに大学のサッカーがいやになった。
 高校のころは、のびのびとサッカーを楽しめて、しかも国際的にも活躍できる環境にいたのに、大学に入ると、やたらに規律が厳しく、練習は画一的で「時代遅れのサッカー」をしていると感じたからである。
 そこで大学をやめて、Jリーグのチームに入りたいと思った。
 これは、簡単ではない。
 本人が退学するといえば、大学当局は引き止めることはできないだろう。しかし、その選手の出身高校からは、今後は推薦入学をさせてくれない可能性がある。そうなると後輩に迷惑が及ぶから、自分勝手に退学するわけにはいかない。
 一方、Jリーグ・チームの方も、いい素材だから「さあ、いらっしゃい」というわけにはいかない。本人からの申し出とはいえ、やはり一種の引き抜きになる。
 引き抜かれた大学の方は「そういうことをするなら、今後はうちの卒業生は、お前のチームには送らない」と言い出すかもしれない。慎重にならざるをえない。
 以上の三つは、いずれも実話である。読者の皆さんは、どう思われるだろうか。
 ぼくは、若者たちが会社や大学に関係なく、才能を生かせる場所でプレーできるように、活発な移籍が秩序をもって行なえるようであって欲しいと思っている。


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