アーカイブス・ヘッダー

 

   

サッカーマガジン 1995年9月13日号

ビバ!サッカー

福岡ユニバーの開会式

 大学スポーツの国際大会ユニバーシアードが開かれている。8月23日の開会式は、地元福岡では、かなりの議論の的になった。同じ時間にJリーグのテレビ中継があったので、サッカーファンは興味を持たなかったかもしれないが、国際大会のあり方を考えさせるものがあった。

☆テレビのためのショー
 ユニバーシアード福岡大会の開会式は、壮大なショーだった。これまでのオリンピックやアジア競技大会の開会式とは、かなり違ったやり方だった。
 会場はプロ野球のダイエー・ホークスが本拠地球場にしている福岡ドームである。ここはチタン製の大屋根が開閉する室内野球場である。この大屋根を閉じたままにして室内で開会式の入場行進をした。
 室内で大がかりな入場行進をするのが、まず珍しい。入場した選手団は、円形の場内を一周すると、そのまますぐ、スタンドに上がって、その後の開会式を見物した。これまでの開会式では、選手団は式典の主役としてフィールドの中央に整列し、立ったまま、お偉方の演説を聞かされたりするのだが、この開会式は観客といっしょになって楽しんでもらおう、というアイディアである。形式ばらない演出は面白かった。いつも真面目一方の日本選手団が、リラックスして、テレビ・カメラに向かって、愛敬を振りまいたりしているのも良かった。
 ドームの巨大な空間を利用してレーザー光線を交錯させ、鼓膜が破れそうになるほど音楽をがんがん反響させ、全体がテレビ中継のためのショーとして構成されていた。3年前に東京の国立競技場で行なわれたJリーグの開幕イベントを、もっと、ぎんぎらぎんに屋内でやった、という感じである。
 上品とは言えないが、まあ、今どきの若い人たちの感覚には合っているんだろうと、ぼくは評価した。

☆けむに巻かれた観衆
 ところがである。
 開会式は、それほどうまくいったわけではないらしい。
 ぼくは、福岡ドームの近くにあるプレスセンターで留守番をしながらテレビを見ていた。やがて、同じ部屋で働いている友人たちが、現場から戻ってきて口ぐちに「いやあ、ひどい開会式だった」と言う。
 要所要所に照明のスポットを当てる場面が多いので会場全体が暗い。そのうえ初めに花火をあげ、その煙がドームに充満して、観客席からはフィールドがよく見えない。
 一般観客席より後方のVIPの席の皇太子殿下ご夫妻は、なおさら見えなかったことだろう。国際オリンピック委員会(IOC)のサマランチ会長は「煙がすばらしかったね」と皮肉を言ったそうである。
 ぼくはテレビで見ていたので、煙が目にしみるようなことはなかったし、日本選手団の旗手の田村亮子選手の笑顔もよく見えた。
 「テレビはアップにできるし、暗くても電気的に増幅できるんだ。だから、よく見えたんだろうけど、スチール写真は、お手上げだったよ」と友人のカメラマンは怒っていた。 
 開会式の後半は、オーストラリアや中国から招いた芸人の曲芸などのアトラクションで構成されていた。これが、もっともテレビ的な見せ物になるはずだった。
 皮肉なことに、153カ国の入場行進がえんえんと続いて予定より30分も余計にかかったので、この見せ場は、テレビ中継の時間枠をはみ出してしまった。

☆国際感覚では
 「外国人には何のことか分からなかっただろうな」と友人が言う。
 ぼくが働いているプレスセンターの本部には、外国人のスタッフもいる。そこで感想を聞いてみた。
 「感動的な場面がありました。毛沢東も孫文も出てきました。ハイテクを駆使した演出に感心しました」
 外交的に感想を述べたのは、中国から来ている留学生のお嬢さんである。アトラクションの一部に、20世紀を振り返る映像を巨大なスクリーンに次々に映し出す場面があって、その中に中国の革命の英雄が登場したわけである。
 「だけど、戦争の場面ばかり、たくさんあって、だんだん暗い気持になったわ」
 これは、別のお嬢さんの意見だ。
 20世紀は、戦争に次ぐ戦争の世紀だったのだから血なまぐさい映像が多いのは仕方がない。
 21世紀はこういうことのない時代にするためにユニバーシアードを通じて世界の若者が手を結ぼう、というのなら、それもいいと思ったのだが……。
 「こまぎれの場面を次から次へとつないで、結局、何を言いたいのか分からない。最後には憂鬱になる開会式だった」と、これはドイツ人の青年の意見である。
 「こっては思案のほか」とはこのことだ。ディレクターは一生懸命に演出したんだろうが、大衆に分かってもらえないのでは仕方がない。
 やっぱり開会式よりは、サッカーの方がいい。次の号には、ユニバーシアードのサッカーの話を書くことにしよう。


前の記事へ戻る
アーカイブス目次へ

コピーライツ