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サッカーマガジン 1995年8月9日号

ビバ!サッカー

Jリーグ前期の成果は!

 Jリーグ3年目の第1ステージ、サントリーシリーズは最後の最後まで大波乱だった。各チームの実力向上によるものでJリーグ創設の成果だと喜んでいるのだが、最後に残ったのはマリノスとヴェルディ。結局、日産と読売で、日本リーグのときと変わらない、という声もある。

☆予想どおりの結果?
 「Jリーグ3年目、サントリーシリーズの結果は、予想どおり」と、ぼくは胸を張って宣言したい。
 開幕前、ぼくの予想は「大混戦でヴェルディが優勝候補」ということだった。
 ところが、開幕直後のヴェルディは連戦連敗。一時は最下位に低迷しているありさまだった。
 そのころ、サッカー・マガジンの編集長に電話して「いやあ、申し訳ない。まるで見当違いの予想だった」と謝ったこともある。
 この時点で、ぼくは「ヴェルディがダメならマリノスだ」と書いた。これは予想どおりになった。監督が途中で帰国してしまうようなことがなければ、最終節を待たず、楽に優勝を決めていただろう。
 ヴェルディに関しては、ぼくは、まだ未練を残していた。力からみてヴェルディが負け続けるはずはない、と思っていたからである。
 王者が負けると「ざまあ見ろ」と痛快に思う人がいるもので、一般の週刊誌の編集部から「ヴェルディは立直れますか」と、からかい気味の電話取材があったりした。
 「大丈夫。キリンカップの中断のあと巻き返しますよ」とぼくは、答えておいた。ウソだと思ったら、週刊誌に、ぼくが書いたヴェルディ復活説の記事を、図書館ででも探してもらいたい。
 ヴェルディは奇跡の連戦連勝をして、最終日にはマリノスとヴェルディが優勝圏内に残った。いやあ、スリルに富んだシリーズだった。

☆ヴェルディ復活の原因
 ヴェルディの浮き沈み、いや沈み浮きが激しかったのは、なぜだろうか。
 キリンカップの中断後に巻き返したのは、中断中のキャンプで体力作りに成功したからだ――という話があちこちに書いてある。
 そりゃ、そうだよな。
 もともと力のあるチームが勝てなかったのは、コンディション不良に違いない。技術や戦術能力は、そう急に向上するものではないから、中断期間のトレーニングによって急に良くなったのは主として体力、つまりコンディションだろう。
 「そうだとすると……」と、友人が言った。
 「問題は中断期間中の話じゃないな。シーズン始まる前に、なぜちゃんとしたコンディション作りができなかったか、だな」
 友人の考えは、こうである。
 ヴェルディは、人気チームで、スターぞろいである。そのうえ前年のチャンピオンだ。オフシーズンの間は、あちこち引っ張りだこで、テレビに出たり、サイン会に行ったりしていたんではないか。
 あるいは、シーズン前にエキシビション・マッチや親善試合が、たくさん組まれていて、コンディショニング作りのトレーニングを、きちんとやっていなかったのでないか。
 ぼくは、この友人の説は、うがっているとは思うが、全面的には賛成しない。
 ヴェルディのステージ前半の低迷の原因は、就任したばかりのネルシーニョ監督の作戦的な失敗が大きいと思っているからである。

☆大混戦の原因は
 サントリーシリーズが大混戦になったのは、ヴェルディが出足でつまずいたからではない。マリノスの監督が途中で変わったからでもない。そうでなくても大混戦になっていただろう。
 大混戦になったのは、他のチームの実力が上がってきたからである。
 各チームの実力が上がった大きな原因が二つある。
 一つは、外国人監督の成功だ。日本人の監督でうまくいっていなかったチームが、外国人監督の力で、めざましく成績を上げている。
 トレーニングの方法、プレーヤーの起用、戦況を見る目などで、残念ながら日本人の指導者のレベルは、まだ低いのではないか。
 もう一つの原因は、日本人プレーヤーの層が厚くなってきたことである。
 高校をでたばかりの若い新人が活躍している。他のチームから移籍したプレーヤーも役に立っている。
 こういうタレントは、急に育ってきたわけではない。もともと、いろいろなチームにいたのだが、Jリーグができて、活躍する場が広がったおかげで、脚光を浴びる機会を得たものである。
 これはJリーグ創設の大きな成果だといっていい。
 「でも、結局はマリノスとヴェルディ、つまり日産と読売だったな。日本リーグのときと同じだな」
 と友人が言う。
 なるほど。
 他のチームの実力向上が本物かどうかは、後期のニコスシリーズで確かめてみることにしよう。


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