サッカーでは、型にはまった考えは通用しない。こういうときにはこうすると決めて練習していても、試合で、その通りになることは、まずない。その場で自分で考え、イメージを描いてプレーを創り出さなければならない。これは、サッカーだけに役立つ話ではないと思う。
☆三つの見ること
新しく発足した兵庫大学で学生部の仕事を担当することになった。学生部は、学生生活やクラブ活動の手助けをする部門である。それで入学してきた、ぴかぴかの1年生の前で、ちょっとしたスピーチをすることになった。
本来は、煙草は喫煙コーナーで吸えとか、サークル活動は規則正しくやれとか、お説教をするんだろうが、わが兵庫大学の学生は皆、一人前の「おとな」なんだから、そんな分かり切ったことを言う必要はない。そこで一席、人生訓を述べることにした。
これから4年間の学生生活を送るために、また、その先の人生を生きぬくために「三つの見ること」を心がけてほしい、と違そうにスピーチをした。
第一は「まわりを見ること」である。周囲の状況が頭に入っていなければ、適切な判断をすることはできない。広く、いろいろなことに関心をもって、まわりを、きょろきょろ見てほしい。
第二は「あらかじめ見ること」である。問題が起きてからでは、周りを見渡すひまはない。問題が起きる前に、あらかじめ周りを見ておいて、問題が起きたら、とっさに判断できるようにしておかなくては間に合わない。
第三には「未来を見ること」である。将来、どんなふうになるだろうかというイメージがなければ、行動を起こすことはできない。未来を直接見ることは不可能だが、頭の中にイメージを描く必要はある。
☆サッカーの常識!
サッカーに詳しい人は、このスピーチの主旨が、ぼくのオリジナルではないことに、すぐ気が付いたに違いない。「三つの見ること」は、実はサッカーの世界では、常識になっていることだからである。
試合をしながら、味方がどこにいるか、敵にマークされているか、スペースがどこに空いているか、などを常に見ていなければならない。これが「周りを見ること」である。
周りの状況は、パスが来る前に見ておかなければならない。自分のところにパスが来てから、きょろきょろと周りを見渡したりすると、たちまち敵の守りにつぶされてしまう。だから状況を「あらかじめ見る」ことが大切である。
あらかじめ周りを見ておいても、ボールが来たときに何をするかを、ボールが来てから考えたのでは、もう遅い。ボールを持って考えている間に、敵は守りを固めてしまう。あらかじめ、どうするかを考えておいて、ボールが来たら、すぐ行動しかければならない。
ドリブルで抜いて出るのは、一つの選択である。近くの味方とのワンツー・パスで突破するのも一つの選択である。逆サイドに大きく振るのも一つの選択である。ゴール近くであれば、いきなりシュートを狙うのも一つの選択である。
このような、いろいろな選択肢をあらかじめ、頭に描いておく必要がある。
こういうプレーを、頭に描くためには、アイディアを作り出す力が必要である。それは「未来を見ること」だといっていい。
☆クラマー語録から
このようなことを、ぼくは40年間にわたるサッカー・ジャーナリストとしての取材で学んだ。
最初に大きな影響を受けたのは、1964年の東京オリンピックのために、ドイツから招いたコーチのデトマール・クラマーさんだった。
クラマーさんは、最初に日本へ来たころは英語は得意でなかったが、日本の人たちには、ドイツ語よりも英語が通じやすいことを知って、片言でも英語で話す努力をした。
「周りを見る」ことを「ルック・アラウンド」と言い、「あらかじめ見る」ことを「ルック・ビフォア」と表現していた。
「未来を見ること」は、クラマー語録では「シンク・ビフォア」だった。直訳すれば「あらかじめ考える」である。
イマジネーションとかクリエイティビティという表現が盛んに使われるようになったのは、1970年代と思う。
ヨハン・クライフが、こんな話をしたのを聞いたことがある。
「ふつうのプレーヤーは、ボールが来たときにどうするかのイメージを三つくらいしか持っていないが、ぼくは、いつも四つ以上のイメージを持ってプレーしている」
未来を豊かに描く能力が、すぐれたプレーヤーには欠かせない。
わが兵庫大学のフレッシュマンが、豊かなイメージと自ら考える力を持って未来をめざしてほしいと思って、サッカーの言葉を、自分が発明したかのようにスピーチに使ったわけである。 |