阪神淡路大震災の話と「ごちゃ混ぜサッカー」の話を、それぞれ別に紹介したら、この二つを、つないだような反響があった。とてつもない震災の被害を受けた神戸フットボール・クラブから「ごちゃ混ぜサッカー」について教えてくださる手紙が届いたのである。
☆神戸FCの再起!
被災の中心地の地元の神戸新聞がスポーツ面で「負けてたまるか」というタイトルの連載をはじめた。もちろん、震災の被害に「負けてたまるか」という意味である。
阪神淡路大地震から1カ月あまりたって、地元では、ようやく「復興へ、元気を出そう」というムードになってきている。
この連載の3回目、2月17日付けに神戸フットボール・クラブの再起ぶりが取り上げられていた。先週号のビバ!サッカーで、神戸FCが全員、地域活動に出掛けている話を書いたので、その続きとして神戸新聞の記事を紹介しておこう。
神戸FCが、サッカー・スクールや練習用、試合用に使っていた12カ所のグラウンドは、地震で、みな使えなくなった。
地割れが起きたところもあり、がれき置場になったところもあり、救援の自衛隊の駐屯地になったところもある。
アパートや自宅が倒壊して、20万人以上も避難所にいるのだから、まとまった空き地があれば、これからは仮設住宅の用地に使われることになる。当分は、サッカーどころではない。
「FCの灯が消える」
危機感いっぱいで復興委員会が開かれた。
そのときに理事の細谷一郎さんが、こう発言した。
「この機会に、地域の草サッカーの原点に帰ろう。11人揃った試合ができなくてもいいじゃないか。たとえ4人でも楽しめるサッカーの遊びの原点に帰ろうじゃないか」
☆楽しさの原点に!
この記事には「ストリートから始めよう」という大きな見出しがついていた。
ヨーロッパや南米のサッカーは、ストリートから生まれた、といわれている。
ペレやヨハン・クライフやマラドーナは、すばらしい芝生のグラウンドで、すぐれた指導者についてサッカーを始めたわけではない。
子どものころには、町の裏通りに、てんでに集まってボールをけって遊んでいたのである。
白黒の革製の立派なボールがあったわけではない。
なんだって、丸いものがあれば、ボールの代わりにして遊んだのである。破れた靴下に新聞紙を詰めて、ボールにしたりしたのである。
いつも同じメンバーが集まって試合をしたわけではない。
そのとき、そのときに集まった子どもたちが「ごちゃ混ぜ」に、ふた手に分かれて遊んだのである。
そういう狭いストリートでの遊びのなかから、巧みにボールを操るテクニックが生まれた。
肩と肩がぶつかりあうようなゲームのなかから、競り合いに強いプレーヤーが育った。
いろんな子どもたちが「ごちゃ混ぜ」に集まったなかから、サッカーのがき大将が現れ、リーダーシップが鍛えられた。
それは、無秩序だけれど楽しいサッカーだった。
神戸FCの再起は、こういう「ストリート・サッカー」に戻るところから始めようということになった。
☆「ごちゃ混ぜ」の意義は?
ちょうど、その記事が出た日に、神戸FCの岡俊彦さんから、分厚い封筒の、お手紙をいただいた。
中身は震災についてではなく、ぼくが「ごちゃ混ぜサッカー」として紹介したクロッキー・ゲームの資料だった。このゲームを始めたオランダの原文の資料のコピーも入っていた。「ビバ!サッカー」の記事のなかに「このゲームの正しい知識をお持ちの方がおられたら、ぜひ、ご一報いただきたい」と書いておいたので、震災復興で多忙ななかで、わざわざ送ってくださったのである。
神戸FCでは「ふだんの練習の前に8人組のグループを作って、その中でチーム替えをして得点を争っています」と書いてあった。
もともと、このゲームは「ストリート・サッカー」の代わりに考えられたものらしい。
いまでは、ストリートで子どもたちがボールをけって遊ぶのは難しい。裏通りにまで、自動車が、ぶんぶん入り込むからである。
そのうえ、日本では、子どもたちは塾通いに追われて、子どもたち同士で勝手に遊ぶ暇がない。サッカー・スクールも塾の一種で、遊びの楽しさが少ない。
そこでクロッキー・ゲームが、生きてくる。これは試合ごとにメンバーを「ごちゃ混ぜ」にし、4人対4人くらいの少人数で自由にやるサッカーで、ストリート・ゲームを、ちょっと規則的にした、というだけのものである。だから「楽しく」やらなければ、意味がないと思う。
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