ジャジャーン!わがサッカー・マガジンの30周年。すなわち、創刊準備号から始まった、ぼくの長期執筆記録の30周年を迎え、ビバ!サッカーは、敬愛する読者の皆様に、心から新年のお祝いを申し上げますとともに「日本サッカー大賞」の1994年受賞者を発表いたします!
☆ユース代表の優勝は?
ビバ!サッカーが毎年、選定する「日本サッカー大賞」は、賞状も賞金もなく、ただ誌上に記録して、その業績を歴史に留めるだけであるが、疑いもなく、日本でもっとも信用できる表彰である。なぜならば、これは、いかなる権威にも屈することなく、唯一の選考委員が、長期的な視野と見識で決定するからである。
しかし今回は、独断と偏見を持つ友人たちの意見も、一応、聞いてみることにした。
「今度はアンダー16の日本代表ユースだろう。アジア選手権に優勝して、世界選手権への出場権も得たんだからな」
この友人の平凡な発想には、ぼくは賛成いたしかねた。「15歳以下の若いプレーヤーにとって、選手権で優勝することは必ずしも重要じゃない。この年代の若者たちは、成長途上なんだから、勝つために無理なハードトレーニングをすれば身体を痛める可能性がある。それに、型にはまったチームプレーを叩き込めば、個人個人が自分勝手にプレーしている他の国のチームには、この年代では勝てるかも知れないが、それが、1人1人の個性が大きく育つのを妨げる可能性がある。ユースのチームは、若者たちが成長し終わったあとで、いいプレーヤーになったかどうかで評価すべきじゃないのか」
この見識ある、ぼくの意見をきいて、友人は鼻白んだ。
「相当なつむじ曲がりだな。せっかくの優勝にケチをつけるなんて、まったく了見が狭いよ」
☆草の根の不特定多数に
別にケチを付けているわけじゃない。しかし、優勝したこと自体は、すでにアジア・サッカー連盟(AFC)からトロフィーをもらったことで、表彰されているではないか。その上さらに、ビバ!サッカーが表彰するには、さらなる意義か、功績がなければならない。
「若い選手を育てた」のが、さらなる意義だというのであれば、それが本物かどうかは、今回の日本ユース(U−16)代表たちが、5年後くらいに、国際的に通用するプレーヤーとして大きく育つかどうかで見極めたい。大賞授与は、それからでも遅くない。
こんな、ぼくの頑迷さを見兼ねて、別の友人が助け船を出した。 「日本代表ユースは、お兄さんチームのU−19も、アジア選手権で2位になってワールドユースへの出場権を獲得した。1994年は、日本の若い世代の代表が活躍した年だったのだから、これをなんらかの形で歴史に書き残すべきじゃないかね」
なるほど。それは一理ある。
ジャジャーン!
輝く1994年の日本サッカー大賞は、アジア・ユース大会で優勝、あるいは凖優勝した日本ユース代表のプレーヤーを、ここまで育てた、全国の少年サッカーの、すぐれた指導者たちに授与いたしまーす!
ユースの世代でも、テクニックと判断力のあるプレーヤーが揃わなければ、国際大会で活躍できないに違いない。そういうプレーヤーを育てた草の根の不特定多数の指導者に、グランプリを贈ることとする。
☆加藤久氏らに三賞を!
「ヴェルディの2年連続チャンピオンは、どうなんだ」
優勝したこと自体は、ビバ!サッカーでは表彰しない。しかし「2年連続」は新しい要素ではある。
Jリーグ発足には、日本のサッカーの勢力地図を塗り替えようという意図もあった。1980年代に、読売クラブなどの新勢力がタイトルを独占しはじめたのに対抗して、企業チームだった旧勢力が立て直しをはかったのがJリーグである。
ところが、旧読売クラブのヴェルディは、旧勢力が外人選手を加え、テレビ放映をしてもらえるようになっても、いぜんとして、実力日本一であり、人気日本一だった。
こういう条件を考えて、V2のヴェルディに対し敢闘賞を贈る。
殊勲賞は、現役を退くことになった加藤久氏に贈る。というのは、過去に「年間最優秀選手」に選ばれるべき業績があったにもかかわらず、あの賞の選考委員たちの考え方が狭くて、ついに加藤選手を最優秀選手に選ばなかったからである。
ビバ!サッカーは自由自在だから、年度にとらわれず、過去の業績にもさかのぼる。そこで大学の先生とプロ選手の仕事を両立させた長年の奮闘を、ここに歴史に記録しておくことにする。
技能賞は、浦和レッズの広報活動に贈る。試合日ごとのプログラム(いわゆるマッチデー・プログラム)を着実に発行し、すでに22冊になった。それを、われわれジャーナリストのところにも、ちゃんと届けてくれていることを紹介しておきたい。
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