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サッカーマガジン 1994年12月28日号

ビバ!サッカー

ヴェルディのV2を考える

 Jリーグ2年目のチャンピオンシップで、ヴェルディが2年連続優勝した。おめでとう。ヴェルディは日本一にふさわしい。ラモスが、太ももの肉離れをおして出場し、リーダーとしての役割を立派に果たしたのにも敬服した。ヴェルディが、なぜ勝ったのかを考えてみたい。

☆カズがいないから
 ヴェルディのV2を、ぼくは、友人といっしょに新潟の居酒屋のテレビで見た。「なぜ新潟で?」という理由は、あとで説明する。
 友人が感想を述べた。
 「ヴェルディが優勝したのは、カズがいないからじゃないのか」
 これは、ぼくが、2号前のビバ!サッカーで「カズがいなくても」と書いたのを裏返した意見である。
 友人の考えは、こうである。
 ヴェルディが、第2ステージで息を吹き返したのは、ラモスが頑張ったからである。なぜラモスが張り切ったかといえば、カズがいなくなったからである。
 ラモスは、読売サッカークラブからの生え抜きで、いわば現在のヴェルディのスタイルを作った功労者だった。 
 ところが、あとからやってきたカズの方が人気が高くて「ヴェルディの顔」になった。カズが活躍できるのも、ヴェルディが強いのも、ラモスたちの築いた「読売のサッカー」があってのことだから、これは、ラモスにとっては不公平である。 
 ところが、カズはイタリアに行ってしまった。 
 ラモスは、考えたに違いない。 
 「カズがいなくても、ぼくがいればヴェルディは勝てるし、勝てば、ヴェルディのサッカーは、カズではなくてラモスが支えているのだということを知ってもらえるだろう」
 それで、ラモスはチームをまとめることに熱心になり、新しく来たネルシーニョ・コーチにも協力した。 
 というのが、友人の意見である。

☆ラモスがいなければ
 ぼくは友人ほど意地悪くはないが次の点は間違っていないと思う。
 @ヴェルディが、優勝できたのは読売クラブの時代から培ってきた独特のサッカーのスタイルと、クラブの雰囲気があったからである。 
 A現在のヴェルディのサッカーのスタイルを作り上げたのは、ラモスの技量と個性である。 
 Bカズがいなくなって、ラモスの技量と個性の重要性は、改めて際立つようになった。 
 Cカズがいなくなってから、ラモスは、いっそうチームに責任を感じるようになった。
 Dラモスは、ネルシーニョ・コーチに対して協力的だった。 
 こういうふうに考えると、次のように結論できる。 
 カズがいなくてもヴェルディは優勝できた。これは事実である。
 ラモスがいなければ、ヴェルディは優勝できなかっただろう。これは推測だが確かだろう。 
 「ネルシーニョの功績はどうなのかね」 
 と、友人が聞いた。
  ネルシーニョ・コーチは、松木監督を助けて大きな貢献をした。しかし、ネルシーニョが能力を生かすことが出来たのは、ラモスの協力があったからである。 
 ネルシーニョが、ラモスをコントロール出来るだけの器量をもっていたのか。 
 それとも、カズがいなくなったために、ラモスがネルシーニョに協力する気になったのか。 
 そこらあたりが面白い。

☆アルビレオ新潟FC
 ところで、ヴェルディのV2が決まった夜に、なぜ、ぼくが新潟の居酒屋にいたのかを説明しておこう。
 12月2日に新潟市で、県の社会人スポーツを振興するための懇談会が開かれた。新潟出身のぼくは、アドバイザーとして招かれていた。
 この日程は、前から決まっていたので、チャンピオンシップ第2戦の日どりが急に変更になったのに対応できなかったのは止むを得ない。その年のチャンピオンを決める大事な試合の日程は、早めに確定しておいてほしいと思うだけである。
 そういうわけで、その日の午後は社会人スポーツの在り方を議論し、そのあと新潟のサッカーの仲間と落ち合って、盃を傾けながらテレビ観戦したわけである。
 昼間の社会人スポーツ懇談会で、ぼくは、次のような意見を述べた。
 「企業がスポーツを応援するのにも多様なやり方があります。地域に根ざしたクラブに、協賛企業として協力するのも一つの方法です」 
 いま、新潟では、地元のクラブに「アルビレオ新潟FC」という新しい名前を付けて、将来のJリーグ入りをめざしている。「アルビレオ」は天空に輝く白鳥座のくちばしの位置にある美しい星の名前である。 
 「アルビレオだって、そのうちにヴェルディより強くなるよ。ヴェルディも25年前に読売クラブとしてスタートしたときには、日本一になるなんて夢のまた夢だったんだよ」 
 徳利の本数が増えるにつれて、ぼくは、くどくどと、友人たちに昔話をはじめていた。


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