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サッカーマガジン 1994年12月14日号

ビバ!サッカー

ヴェルディ優勝への足跡

 Jリーグ2年目の後期、二コスシリーズでヴェルディが優勝した。前期サントリーシリーズの不振はなぜだったのか? カズがいなくても優勝できたのは、なぜなのか? 功労者はラモスなのか、それともコーチのネルシーニョか。それともクラブとしての伝統の力なのか?

☆予想はぴたりだが?
 日本のサッカー・ジャーナリストで、いちばんカンのいいのは、他ならぬ、ぼくじゃないかと、うぬぼれている。
 Jリーグ2年目の前期、サントリーシリーズで「ヴェルディ苦戦」を予想した。広島のアジア競技大会では「日本の優勝は難しい」と書いた。Jリーグ後期の二コスシリーズでは「混線から抜け出すのはヴェルディしかない」と主張した。以上は、ビバ!サッカーの読者が証人になってくれるに違いない。ぼくの予想は、1994年の三大イベントについて、ぴたりだった。
 と、おおいに胸を張りたいところだが、とんでもない失策も、やらかしている。
 前期、サントリーシリーズで優勝したサンフレッチェは、視野にも入っていなかった。広島アジア大会に優勝したウズベキスタンの存在に気が付いたのは、大会が始まってからだった。もっともウズベキスタン優勝の可能性は、第1戦を見たときに、すでに指摘している。これはまずまずかもしれない。
 Jリーグ後期、混戦を予想していたにもかかわらず、ベルマーレが最後までヴェルディと優勝を争うとは夢にも考えていなかった。この見落としは残念だ。
 とはいえ、前期不振のヴェルディが、後期には優勝すると言い当てたのは、自慢してもいいだろう。
 優勝を予想した理由の第一は「新しいもの」を加えたことである。それは、松木監督を補佐するネルシーニョ・コーチの加入だった。

☆ネルシーニョの功績
 前期が4位に終わったあと、ブラジルからネルシーニョ・コーチが来た。
 そのネルシーニョ・コーチが、ナビスコカップのとき、両サイドバックに「もっと、どんどん攻め上がれ」と指示しているときいて、驚嘆するとともに、心配にもなった。
 サイドバックの攻め上がりは、ヴェルディの前身の読売クラブのころからのお家芸である。松木監督も、右サイドバックで攻撃参加が得意だったし、左の都並も前線へ進出してセンタリングするのが得意だった。
 しかし、ぼくの考えでは、両サイドバックが同時に攻め上がるのは、きわめて危険である。それを防ぐには、別に守りの組織を、しっかり作っておく必要がある。それができるのだろうか、と心配だった。
 いまになってみると、これは無用の心配だった。
 両サイドバックの攻め上がりを奨励したのは、組織的なサッカーをヴェルディに植え付けていくためのスタートだった。
 その後、ネルシーニョ・コーチは実にさまざまなことを試みる。
 それが成功したのは、一つには、彼がブラジル人であり、ラモスを含めてブラジル出身のプレーヤーをコントロールできたことである。
 もう一つは、日本人のプレーヤーたちが、彼のねらいを受け入れられる技術と戦術的理解力を持っていたことである。これは、読売クラブから引き継いだヴェルディの伝統である、クラブの自由な雰囲気が培ったものだといっていい。

☆カズがいなくとも!
 ニコスシリーズでのヴェルディの大きな問題点は、三浦カズがイタリアに行ってしまったことだったがこの点は、ぼくは心配していなかった。なぜなら、カズの代わりを探すのは難しくないからである。カズと同じ個性のストライカーを探すのは不可能だろうが、戦力として同等以上の技術とセンスをもつプレーヤーは、外国にはたくさんいる。
 問題は、新しい外国人選手を、日本の他のプレーヤーが使いこなせるかどうかだが、この点ではヴェルディは安心できる。
 案の定、ネルシーニョ・コーチが連れてきたベンチーニョが、カズのポジションを埋めて活躍した。
 ところが、新しい外国人を入れたために、守りのメンバーだったカピトンを、外さなければならなくなった。外国人プレーヤーは3人に制限されており、守備ツインのペレイラと攻撃の起点のビスマルクを外すことはできなかったからである。
 加藤久がエスパルスから戻ってきたのは、守りの穴を埋めるためには有り難かった。しかし怪我があったり、年齢的に無理がきかなかったりすることもある。
 シリーズの終盤、先取点を奪われる試合が続くと、ヴェルディは、攻めのベンチーニョを外し、カピトンを復帰させて守りを強化した。これが優勝決定への決定打となった。
 「自分が連れてきたスターを平気で外すんだからね。ネルシーニョ・コーチには驚かされるよ」
 これはヴェルディの首脳部が打ち明けてくれた話である。


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