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サッカーマガジン 1994年11月9日号

ビバ!サッカー

広島アジア大会を終わって

 広島のアジア競技大会が終わると、中断していたJリーグが再び始まった。次から次へと行事が続いて、日本のサッカーの将来を、じっくり考えている暇もないが、めまぐるしい日程に目を奪われないで、アジア大会の締め括りも忘れないでおきたい。

☆サッカー運営は合格!
 広島のアジア競技大会を終わってわれながら、自分のカンがさえていたのに驚いている。 
 日本代表に不安がある。
 大会運営に不安がある。
 ビバ!サッカーに書いた、このふたつの予言はぴたりと当たった。 
 大会運営の不手際については、サッカーだけの問題ではないので、別に「大論文」を書くつもりだが、ただサッカーに関しては、他のスポーツに比べて、うまくいっていた。 
 これには、三つの理由がある。 
 一つは、広島のサッカーが、アジアカップやU−17の世界大会を開催して、国際大会の経験を積んでいたことである。 
 二つ目は、Jリーグのサンフレッチェ広島の影響だろう。Jリーグの試合は、地元のクラブが自分たちの手で運営するのが当たり前である。そのおかげで、広島の人たちは、地元の試合を地元の人たちの手で運営することに違和感を覚えなくなっていた。広島の人たちが、東京に頼らずに、自分たちでアジア大会のサッカーを運営しようとしていたことに感心した。 
 そして三番目には、地元のサッカー関係者の献身的な努力がある。報道サービスは、広島県高校体育連盟の先生方が担当していて、高校サッカーで鍛えられている組織力が非常にものをいっていた。
  問題がなかったとはいわないが、バベルの塔のように各国語が飛びかう記者会見を、高校の先生方が見事にさばいたのは金メダルものだったと思う。

☆ウズベキスタンの優勝!
 アジア大会について、ぼくのカンのよさを証明した最高のできごとはウズベキスタンの優勝だった。
 10月26日号に「アジアの新しい仲間」というタイトルで「驚異のウズベキスタン」について書いた。あの原稿を書いた時点では、まだ予選リーグの1試合が終わったばかりだった。それでも「ひょっとしたら、これはウズベキスタンの優勝じゃないか」と書いている。 
 10月16日、ビッグアーチで行なわれた決勝戦で「ひょっとした」ことが起きた。ウズベキスタンが、中国を破って本当に優勝したのである。ぼくのカンが、ぴたりと当たったわけである。
 ウズベキスタンは、準決勝では韓国を破った。これはウズベキスタンが守りに守った試合で、攻めの良さは、あまり出ていなかったが、この試合をみて「ウズベキスタンは幸運だったに過ぎない」とか「実力は韓国がアジアではナンバーワンだ」と評するのは適当でない。 
 韓国が勝てなかったのは、韓国のサッカーの欠点の結果であって、単なる不運ではない。この場合の韓国のサッカーの欠点は何かといえば、攻めに柔軟な工夫がないことと、シュートがへたなことである。 
 ウズベキスタンの勝利が、単なる幸運ではなかったことは、決勝戦の試合ぶりを見れば分かる。 
 決勝戦で、ウズベキスタンは個人技を生かした逆襲速攻の冴えを見せてくれた。ウズベキスタンは、国際経験を積めば、すばらしいチームになる可能性を秘めている。

☆ファルカンの後任は?
 日本代表チームの敗退も、ぼくのカンのとおりだった。
 日本が敗れると、ファルカン監督の進退問題が、たちまちスポーツ新聞の話題になった。 
 日本が負けた原因は、ファルカン監督だけにあるわけではない。しかし、プロの監督は結果を求められるものだから、契約期限のうちに、結果を出せなかったら、次の契約がもらえないのは止むを得ない。 
 「後任は誰だろうか?」と友人から電話が掛かってきた。
 「また、外人だろうな」 
 と、ぼくは答えた。 
 代表チームの監督には、自分自身の力で明確な成績を残した人物をあてるべきだと思うが、日本の国内を見渡したところ、実績をあげている監督が見当らない。 
 「加茂周監督はどうなんだ」 
 と、友人がきいた。フリューゲルスの加茂監督は、日産(現在のマリノス)で、たしかにリーグ優勝、天皇杯優勝の実績を残している。 
 「でも10年遅いよ」 
 と、ぼくは答えた。 
 日本人に適当な人材がいないのだから、また外人監督を選ぶのは、止むを得ないのではないだろうか。
 ただし、日本代表チームの目標について、明確なビジョンを示して、それにあった指導者を選んでもらいたい。次のワールドカップの予選突破が目標なのか、アシアカップに優勝したいのか、あいまいなままで監督を選ぶべきではない。


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