広島で開かれたアジア競技大会でサッカー男子の日本代表は、準々決勝で韓国に敗れた。日本がリードし、韓国が逆転し、日本が追い付くというスリリングな展開。土壇場のPKで決着が付くというドラマチックな試合だったが、考えなければならない問題がいくつかある。
☆PKは不当だったか?
「お前の予想どおりだったな」と友人が言う。
不幸にして……。
10月5日号の「ビバ!サッカー」に、「広島アジア大会で日本代表は勝ち進めないのではないか」という不安を書いた。その不安が的中して、日本は準々決勝で韓国に敗れた。
日本の敗因については、いろいろな論評が、うるさいほど出ている。
一番感情的なのは「審判は不当だ」という議論である。
2対2の同点で、後半終了間際にPKを取られた。このPKで勝負が決まったのだから、審判に責任をかぶせたくなるのは、ファンとしては無理もない。ぼくは広島のプレスセンターで、海外からの報道陣のお世話をする仕事をしていたので、外国の友人の意見もきいてみた。
「日本の方がいいサッカーをしていたよ。あんなPKを取るなんて、主審はセンスがないよ」
これは、バングラデシュから来ていた友人の外交的な意見である。
ぼくも「あの時間帯に、ボールからちょっと離れたところの、あの程度の競り合いに神経質になることはないじゃないか」と主審に文句を言いたい気持である。
しかし、主審の判定を変えることはできないし、主審の判定が本当に間違っていたとも言えない。
気をつけなければならないのは、責任を主審にかぶせて、日本代表チームの本当の弱点に目をつぶることである。悲劇的な幕切れだけに、目を奪われないことである。
☆ファルカンの責任は?
「監督のファルカンの責任かなあ。ファルカンはクビかなあ」
ブラジル・ファンの友人は、心配そうである。この友人は、あのワールドカップ予選のドーハの悲劇のあと、「オフト監督は国際的な経験がないからダメだ。ブラジルから有名な監督を迎えるべきだ」と主張していたのだが、自分の考えが成功しなかったので悔しいのである。
日本対韓国の明暗が後半の作戦によって分かれたというのは、多くの人の一致した意見のようである。
「後半に韓国が右サイドから繰り返し攻めた。日本の守備ラインの左サイドが弱点とみて作戦を変えたんだ。それが試合のリズムを変えた。それだけだよ」
これはタイの友人の意見である。
この友人はバンコクの有力新聞のサッカーの専門家である。
この友人のいう通りだとすれば、ロシア人である韓国のブイショベッツ監督の作戦が、ブラジル人である日本のファルカン監督の手腕を上回ったということになる。
こういう作戦の明暗は、同じくらいのレベルのチーム同士の試合になれば、よくあることである。
これは一つの試合だけの明暗だから必ずしも監督の能力を、そのまま反映しているとは限らない。
しかし、プロフェッショナルは、結果に対して責任を持たなければならないので、ファルカン監督は、アジア大会の敗戦に責任がある。
「これは、次のワールドカップ予選への途中経過だ」というような言い訳は許されないと、ぼくは思う。
☆あえて韓国を選んだ?
「苦手の韓国と当たらなければ、よかったのに」という声もある。
準々決勝で韓国と当たるのを避ける方法が、なかったわけではない。
予選リーグの最終戦で、日本はミャンマーに大勝してD組1位になったが、2対1に止めておけばD組2位になるはずだった。2位であれば準々決勝の相手はクウェートである。もちろんクウェートだったら勝てるという保証があるわけではないが、韓国より、やりやすいだろうという考えもあるわけである。
ミャンマーとの試合の前に、チームの関係者にきいてみた。
「きょうは2点取ったらやめるのかね?」
「いや、そういう指令は出ていないようですよ」
試合のあとの記者会見では、ファルカン監督に対して質問が出た。
「韓国との対戦を避けることは考えなかったのか?」
ファルカン監督は、もちろん2対0に止どめれば韓国との対戦を避けることができるのは知っていた。
しかし、そんなことをして、チームの勢いを止めたくないと考えた。
結果は5対0。若い友人が教えてくれた。「ファルカンには、韓国を特別に考える理由はないからね。それに、選手たちも韓国が特別に手強いとは思っていませんよ」
韓国を避けた方がいいと考えるのは古い世代だけなのかもしれない。古い世代には、日本のサッカーが韓国に苦しめられた時代の思い出がしみ付いているからである。
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