広島のアジア競技大会に、新しいアジアの仲間が登場した。ソ連邦から独立した中央アジアのウズベキスタンとトルクメニスタンである。超大国から分離独立して、自分たちの個性を生かしたサッカーをしていて、なかなか強い。新しい仲間たちは、新しい強敵でもある。
☆驚異のウズベキスタン
アジア大会のサッカー競技は、開会式の前日の10月1日に始まり、その初日にウズベキスタンが、広島スタジアムでサウジアラビアと対戦した。開会式の行なわれたビッグ・アーチではない。市内にある古い方のスタジアムである。
結果は4対1でウズベキスタンの快勝だった。ぼくは点差以上に、ウズベキスタンのサッカーの質の良さに驚いた。
「ひょっとしたら、これはウズベキスタンの優勝じゃないか」
ウズベキスタンのプレーヤーは、ボール扱いが正確だ。それと、なかなかのテクニシャンである。それを試合で生かしている。
それに動きが機敏で、アイディアがある。味方がボールをとったとき、他のプレーヤーが鋭く、空いたスペースに走る。その動きが、スピーディーで、しかもアイディアのある攻めを作り出している。
「かつてのソ連のサッカーの良い点と同時に、ソ連サッカーに乏しかったものも持っているな」
と、ぼくは思った。
ソ連のサッカーのもっていた良い点は正確さとスピードで、欠けていたのは、柔軟さとアイディアである。それを両方持っている。 ウズベキスタンは砂漠のなかにあって、先祖はモンゴル系の騎馬民族だそうだ。
つまり、もともとは、ぼくたちと同じアジアの血を持つ民族である。
その国が、こういうサッカーを出来るのだから、日本もその良さを見習えるのではないか。
☆トルクメニスタンの健闘
「ウズベキスタンは、もともとサッカーが盛んで、結構レベルも高かったんだよ」と、記者席で大先輩が教えてくれた。
日本代表チームが1959年にソ連、ヨーロッパ遠征をしたことがある。1964年の東京オリンピックに備えた日本サッカー再建のスタートになった大遠征だ。Jリーグの川淵三郎チェアマンも若手のプレーヤーとして加わっていたはずである。
「ウズベキスタンのタシケントと試合をしたんだ。完敗だったよ」
タシケントは当時のソ連邦リーグの1部で上位にいたという。広島に来ているので東京に置いてある資料を確かめられないが、先輩の記憶通りだとすれば、当時の日本代表選手だった川淵チェアマンには悪いが、あのころの日本代表では、ソ連邦の「地方クラブ」に完敗したのは当然だと思う。実はソ連の一地方クラブでなく、本来は独立国の代表であるべきチームだったわけである。
中央アジアから広島アジア競技大会に来た新しいチームには、もう一つ、トルクメニスタンがある。
この国の選手団は、第2陣がモスクワで旅券を盗まれて足止めを食い来日が遅れた。そのために初日の試合には、プレーヤーが10人しか揃わないという話があった。
フォワードのプレーヤーが、臨時にゴールキーパーを務めて、なんとか11人で試合をしたのだが、それでも中国と2−2の引き分けだった。
アジアの新しい仲間は、なかなかのものである。
☆民族の個性を生かして
アジアのスポーツ組織のアジア・オリンピック評議会(OCA)には43の国と地域が加盟している。その中に新しい仲間として、ウズベキスタンとトルクメニスタンのほかにカザフスタン、キルギスタン、タジキスタンもある。
アジアの新しい仲間が増えるのはうれしいことである。なぜなら、こういう国ぐには、近隣の大国に苦しめられた長い歴史を持っており、それが念願の独立を獲得して、スポーツの世界にも加わることになったのだからである。
ソ連邦のような超大国から分かれて小さな国になったのだから、スポーツも小国になって弱いだろう、と思うと大きな間違いである。サッカーのようなスポーツでは、逆に分離独立が利点になることがある。
というのは、ソ連邦のような旧社会主義の大国は、中央集権の統制主義だったので、サッカーも中央集権集中強化主義で、型にはまったものになっていたからである。そのためにウズベキスタンやトルクメニスタンの、それぞれの民族や風土の個性にあったサッカーが殺されていた可能性がある。独立して、それぞれの個性を生かしたサッカーを、のびのびとやれるようになれば、かえって、超大国の支配下にあったときより、いいサッカーをするかもしれない。
とにかく、新しい仲間は侮りがたい。4年後のワールドカップで、アジアの代表が二つから三つに増えても、新しく強い仲間が加わったので必ずしも日本のチャンスが増えるとはいえないかもしれない。
|