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サッカーマガジン 1994年8月17日号

ビバ!サッカー

米国代表が残したもの…

 サッカーが盛んでないといわれた米国で、ワールドカップ開催がみごとに成功した。これが「ワールドカップUSA94」の最大の収獲だった。米国代表チームの敢闘もすばらしかった。この成功で、これからサッカーが米国に本当に根を下ろすかどうか。

☆94アメリカの夏
 アメリカ合衆国のなかの、猛烈に暑いところだけを選んで歩いたのじゃないか、と思うくらい「ワールドカップUSA94」の取材は暑かった。帰ってきたら、日本も猛烈に暑い。今年は世界的猛暑じゃないか?
 暑さにうだりながら「どれが、もっともすばらしい試合だっただろうか」と考えた。というのは、勤め先の大学の夏休み前の最後の講義で、ワールドカップの話をし、そのなかで、もっとも良かった試合の、いい場面を10分間、ビデオで学生たちに見せてやろうと考えたからである。
 そう考えているところに、NHK総合テレビが「ワールドカップ・サッカー総集編 94アメリカの夏」という1時間半の番組を放映した。それを見ていて「これだ」と思ったのは決勝トーナメントの1回戦、ブラジル対米国の試合である。
 この試合は、7月4日、アメリカ合衆国の独立記念日に行なわれた。アメリカ人にとって、独立記念日は祝日のなかでも、とくに大事な日である。その日に世界でもっともレベルの高いブラジルのサッカーに挑戦する選手たちの気持、応援する市民の気持が、あざやかに描かれていた。試合の場面は少なかったが映像に迫力があった。
 講義のなかで、アメリカの社会とサッカーについて、ごく簡単な解説をしてから、10分あまりの、このパートだけを学生たちに見せた。
 「テレビ中継は見られなかったけど、このビデオでサッカーのすばらしさが分かった」と学生たちは感想を書いてくれた。

☆レオナルドのひじ打ち
 ブラジル対米国の試合で、前半44分にブラジルのレオナルドが、レッドカードで退場になった。ラモスに「ひじ打ち」をくわせたのが理由だった。
 テレビを見た友人が「あれで退場はひどいよ。米国は地元だから、審判がホームタウン・デシジョンをしたんじゃないか」という。つまり、競り合いのなかで、後に振った腕が偶然、ラモスに当たったので、わざとじゃないだろう、わざとでなければ退場処分は苛酷だ、というわけである。
 ぼくは反論した。
 「あれはレッドカードだよ。わざとかどうかは、主審が判断するわけだけど、あの種の行為を故意と見るのには、それ相当の根拠があるんだよ」
 というのは、競り合いのなかで、偶然に見せかけて「ひじ打ち」をくわすのが、最近多いからである。
 この試合より前に、米国代表選手たちがテレビ出演して、サッカーの解説をしているのを見た。そのなかで、ある選手が冗談で「サッカーの裏技を、お見せしましょう」と言って、偶然に見せかけた反則行為をいくつも実演してみせていた。「ひじ打ち」も、その一つだった。
 米国の選手は実演のあとで「今いうことを実際にやってはいけません」と付け加えることを忘れなかったが、裏を返せば現実に非紳士的な故意の反則が横行していることを示している。
 審判が、こういうプレーに厳しく対処したのは当然だと思う。

☆メオラのフェアプレー
 「ひじ打ち」を受けたラモスがグラウンドに倒れると、米国の選手がレオナルドを取り囲んだ。「あわや、乱闘」という雰囲気だった。
 そのとき、ゴールキーパーのメオラが駆け付けて割って入り、味方の選手たちをなだめた。
 ビデオに大きく映ったメオラの冷静な表情と態度が印象的だった。
 「いま、ぼくたちを全米が見ている。世界が見ている。優勝候補のブラジルを相手に、いいプレーをしようじゃないか。すばらしい試合を見せようじゃないか」。そういう気持が態度に表れていた。これこそフェアプレーであり、本当のプロフェッショナリズムだと思う。
 すばらしいプレーの場面もあった。ゴールキーパーも抜かれて、ボールが無人のゴールに飛び込む寸前に、ドゥーリーが飛鳥のように飛び込んで、ジャンピング・ボレーでけり出した。その技術と運動能力は、目をみはるばかりだった。ビデオを見た学生が「サッカーが、こんなにすごいものだとは知らなかった」と感想を書いてくれた。
 米国代表チームは、フェアで、闘志にあふれ、個性的だった。かつてハリウッドの映画によく描かれていたような理想のアメリカの若者の姿を、アメリカの国民もブラウン管のなかに見いだしたに違いない。 
 「ワールドカップUSA94」の最大の収穫は、こういうサッカーの「すばらしさ」と「すごさ」を、米国の代表チームが、米国の国民の目の前で見せたことである。


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