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サッカーマガジン 1994年8月3日号

ビバ!サッカー World Cup USA94

USA94に世界の様変わりを見た

 ワールドカップ94は、世界のサッカーの様変わりの断面をいくつか見せてくれた。新しいブラジルの登場、ドイツのサッカーの行き詰まり、ブルガリアに代表される旧東欧圏のレベルアップなど、新しい時代への流れを感じさせながら、優勝争いは大きく盛り上がった。

ブラジルの長所と欠点  
オランダとの好試合をものにして希望はふくらんだ!

 準々決勝の一つをダラスで見て、そのあと深夜便でニュージャージー州のニューワーク空港へ飛び、翌日の準々決勝をもう一つ見る――。このスケジュールは、早くから決めていた。 
 ブラジルがB組1位で進出すれば準々決勝の会場はダラスになる。ドイツがC組1位で勝ち進めば、準々決勝はニュージャージー州のジャイアンツ・スタジアムである。準々決勝でブラジルとドイツの両方を、見ておこうと考えたわけである。 
 グループリーグと決勝トーナメントの展開を読んだ、この計画はぴたりと当たった。 
 ダラスの準々決勝で、ブラジルの相手はオランダになるだろう。このカードは、今回のワールドカップUSAで、いちばん見ごたえのある試合になるだろう、と考えた。 
 これも、ぴたりだった。 
 この試合では、新しいブラジルの「良さ」と、ブラジルのサッカーの伝統的な「弱点」の両方を見ることができた。 
 まず「良さ」の方から見てみよう。 
 この試合の一つの見どころは、オランダが、いわゆる「コンパクトなサッカー」で厳しく守ってくるのを、ブラジルがどう攻め破るか、という点にあった。 
 オランダは、横一線の守備ラインを押し上げ、前線との間の幅をつめて、その間の狭い地域の中で、ボールをキープしている相手に人数を集中して、厳しく、激しく守る。これが欧州で流行している「コンパクトなサッカー」である。 
 これに対して、ブラジルはまず、個人の戦術能力の高さで対抗した。すばやくダイレクトでつなぎ、機を見て大きくサイドに出す。周りを見る間もなくパスしているようにみえるが、パスは的確に味方につながる。あらかじめ周りを見て、展開を予測している戦術能力が抜群である。 
 後半6分の先取点は、この形から生まれた。後方から大きく振ったボールが左サイドのベベットに出た。そこから先はベベットとロマーリオの、スピードあふれる個人のテクニックのコンビネーションである。 
 守りも良かった。4人のディフェンダーと中盤の底のマウロ・シルバで作る伸縮自在の守りの網に、オランダの攻めは、ほとんど引っかかった。 
 ところが2対0とリードしてからブラジルの弱点が出た。「勝った」と思うと調子にのる。あるいは気をゆるめる。これはブラジルのむかしながらの欠点である。 
 スローインから1点を返されると今度は気持が守りに回った。それがたたって後半31分に2対2の同点にされる。ブラジルでさえも、リードを守ろうという気持が先に立つのかと、ちょっと残念だった。 
 後半36分にゴール正面25メートルのフリーキックをブランコが決めて結着がついた。最後はブラジルのお家芸がものをいったので、まずまずである。 
 翌日、ニュージャージーでの準々決勝で王者ドイツが敗れた。ブラジルの望みは大きくふくらんだように思えた。

ブルガリア躍進の原因  
冷戦が終り、技巧派の選手が西側のプロに鍛えられた

 準々決勝から準決勝までニューヨークにいた間に、かつて勤めていた新聞社の支局を訪ねてみたら、たまたま、かつて仲間だった国際問題の専門記者たちが顔を揃えていた。米国の元国務長官のヘンリー・キッシンジャー氏にインタビューして来たところだという。
 「ドイツが負けたあとなので、ちょっと機嫌が悪かったよ」 
 キッシンジャー氏は、熱心なサッカー・ファンで、ワールドカップには毎回、姿を見せる。今回は組織委員会の名誉会長でもある。
 ドイツ生まれなので、サッカーでは、いつもドイツを応援している。7月10日の準々決勝、ドイツ対ブルガリアでも、ジャイアンツ・スタジアムに姿を見せていた。 
 キッシンジャー氏も、ブルガリアが優勝候補のドイツを倒すとは、予想していなかったに違いない。しかし、結果を見てからの考えではあるが、ブルガリアの躍進は、キッシンジャー氏の専門である国際問題と関係がありそうである。 
 東欧の社会主義体制が崩壊したあと、かつての共産圏のプレーヤーが自由に西側のプロに出ていけるようになった。ブルガリア代表のメンバーも、大半がスペインやドイツのリーグで活躍している。
  ブルガリアは、バルカン半島の南にある国だ。暖い国では足わざのサッカーが育つものだが、ブルガリアも例外ではなく、むかしから技巧派のプレーヤーが多かった。 
 かつて東欧のサッカーは、体力とスピードにものをいわせた速攻が売り物だった。その中では、ブルガリアは、ちょっと見劣りしていた。 
 しかし、冷戦の終了で西側へ出たプレーヤーたちは、プロ・リーグの中でもまれて、厳しく、激しいサッカーの中でも、持ち前のテクニックを発揮できるように成長したのではないか。それがブルガリア躍進の理由ではないか。 
 「あのフリーキックは、すごいね。キックがキューンと曲がったね」 
 国際問題の専門記者も、キッシンジャーに会いに行くので、あらかじめ相手の得意分野であるサッカーを勉強しておこうとテレビを見たらしい。ストイチコフの技巧と力に目をみはっていた。 
 ストイチコフは変わり者で、気性が激しく、扱いにくいという評判らしいが、このワールドカップでは、のびのびと力を発揮していた。 
 そのストイチコフを正面に押し立てて巧みな作戦を展開したのが良かったと思う。 
 ドイツとの試合では、4人のディフェンダーが内側を厚く守り、中盤の底のヤンコフが、ドイツの2トップのクリンスマンとフェラーのどちらかを常に厳しくマークしていた。この守りの作戦が成功していた。 
 ドイツの得点は、結局、後半4分のPKだけ。試合の主導権は、だいたいブルガリアが握っていた。 
 ブルガリアの進出は、世界のサッカーの様変わりの一つの断面を示すものだと思う。その意味で、ワールドカップUSAの1ページに、大きく書き込んでおく必要がある。

ドイツはなぜ敗れたか?  
暑さと年齢のほかにシステムとスタイルの問題もある

 赤いユニホームのブルガリアの選手たちは、準々決勝でドイツを破ったあと、フィールドの上で踊りあがり、肩を組み合って、こぶしを振り上げた。
 「やったぞ」という気持が爆発したようだった。
 「ドイツは欧州の巨人なんだ。ドイツを倒すことは、欧州の他の国にとっては、優勝と同じくらい、たいしたことなんだ」
 ジャイアンツ・スタジアムの高いところにある記者席から、この光景を見おろしながら、改めて、そう思った。 
 欧州の巨人が、なぜ倒れたか。これは、もう少し真剣に考えてみる必要がある。 
 暑さが、第一の要因だったことは確かだろう。 
 グループリーグのときから「暑さがドイツの命取りになるな」という予感はあった。 
 シカゴが猛烈な熱波に襲われているときに2試合をし、3試合目はダラスに移ったら、そこはシカゴ以上の蒸し暑さだった。 
 決勝トーナメント1回戦のときのシカゴは比較的涼しかった。しかも、その後、準々決勝まで中1週間あったから「疲れはとれるだろう」という見方もあったが、ぼくは、グループリーグのときの暑さのダメージは、簡単には回復しないだろうと、みていた。 
 年齢の問題もある。 
 守りの軸のマテウスが33歳、攻めの先頭に立つフェラーが34歳、クリンスマンも29歳である。その他も20代の終わりごろから30代が多い。 
 この、ちょっと老化した年齢構成が、暑さの影響に輪をかけたのではないか。 
 王者は、いちど整えた威容を、なかなか変えないものである。前回のチャンピオン・チームを引き継いだフォクツ監督にとっては、思い切って若手を入れて、チームを作り変えるのは無理だったに違いない。 
 最後に、システムとスタイルの問題がある。 
 ブルガリアとの試合では、相手の2トップにコーラーとヘルマーがつき、マテウスがスイーパーという守りだった。マンツーマンのマークでスイーパーを置くのは、ドイツの伝統的なやり方である。 攻めは、クリンスマンとフェラーで、この2トップは強力だったが、中盤は薄い。その分を労働量で埋めながら、両サイドバックの攻め上がりを狙うのが定石だろうが、うまく機能しなかった。いいパスを出せるマテウスが、中盤にいないのが苦しい。 
 ドイツのような、いわゆる3−5−2のシステムは、80年代にかなり普及した戦法だが、そろそろ限界が見えはじめているようだ。今回のワールドカップでは、ほとんどのチームが、4人のディフェンダーを基本に流動性のあるシステムをとっている。
 ドイツの敗因の一つが、伝統のスタイルとシステムの行き詰まりにも関係があるとすれば重大だ。ドイツのサッカー、そのものの限界が見えてきたことになるからである。


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