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サッカーマガジン 1994年6月22日号

ワールドカップ・イヤー特別企画

私のワールドカップ

 「グアダラハラへ行こう」
 初めてワールドカップを見に行ったときの思いは、メキシコ第二の都市だった。
 熱い太陽に揺れる真っ赤なブーゲンビリアの花、大きなソンブレロと見事な口ひげの楽士たちが奏でるマリアッチ…。
 いやいや、そんな異国情緒には目もくれなかった。
 思いはただ一つ。グアダラハラのハリスコ・スタジアムで、ペレとゴードン・バンクスの対決を見ることだった。
 いまから24年前。1970年メキシコ大会のときである。
 そのころまでは、日本に入ってくるサッカーの情報は、きわめて少なかった。テレビもあまり普及していなかった。その前の1966年イングランド大会の映像は、記録映画の「ゴール」だけだった。
 世界の王様のペレにしろ、世界チャンピオンのイングランドにしろ、情報はほとんど活字からだった。それも英語の情報をもとに、ぼく自身が、創刊間もないサッカー・マガジンや、編集を手伝っていた協会の雑誌「サッカー」に掲載するという頼りないものだった。 
 ペレについても、イングランドについても活字を通じて知っているだけである。
 「メヒコ・セテンタ」と呼ばれた70年のメキシコ・ワールドカップの1次リーグで、前回チャンピオンのイングランドとペレのいるブラジルが同じ第3組に入った。
 この世界の強豪対決を自分の目で見たい。だから会場のグアダラハラへ。胸の動悸を押さえきれない初めてのワールドカップへの旅だった。

 とても美しい試合だったことだけを覚えている。 
 ブラジルには、ペレがいた。リベリーノがいた。カルロス・アルベルトがいた。 
 イングランドには、バンクスがいた。ボビー・チャールトンがいた。ムーアがいた。 
 しかし、このようなスーパースターが、ひとりひとり、どんなプレーをしたのか、ほとんど記憶に残っていない。 
 後半14分に、ペレとのコンビでジャイルジーニョが得点し、1対0でブラジルが勝つのだが、その得点も印象には残っていない。 
 ただ一つ、覚えているシーンは、ペレが見事なシュートをし、ゴールキーパーのバンクスが横っ跳びに飛んではじき出したプレーである。そのあと、ペレがバンクスのところに寄って頭をなぜ、バンクスのファインプレーを讃えた。この光景に両手を握り締め、大きく息を吐いて感動した。その記者席の自分自身の姿は記憶している。 
 感動だけを記憶していて、プレーをあまり覚えていないのは、初めて見るワールドカップに無我夢中だったからだろう。 
 奇妙なことに、10年以上あとに、この試合をビデオで見てみたら、意外に単調で退屈な試合だった。 
 しかし、ぼくだけでなく、現場にいた世界の多くの人たちが、この試合に感動したことは間違いない。隣の席のブラジルの記者が、試合が終わると立ち上がって「ビューテイフル!」と英語で叫んだのも覚えている。感動には、現場の雰囲気のなかでないと得ることのできないものがあるようだ。  

 ビデオが普及していなかった当時の、この大会について、もう一つの思い出がある。  
 帰国してしばらくしてから、浦和南高の松本暁司先生から突然電話がかかってきた。 
 「決勝戦をゴール裏の天井桟敷から見ていて8ミリ・フィルムでとったんですけど、ブラジルの4点目が実に面白いんですよ。見に来ませんか」  
 浦和まで出掛けて、松本監督撮影の8ミリ映画を見せてもらった。遠く高いところから 撮影したフィルムだから全景がよく写っている。はるか後方でのクロドアウドのドリブルで始まり、ジャイルジーニョのすばらしい動きとドリブルがあり、ペレの意外な働きがあり、そしてカルロス・アルベルトの後方からの一気の攻め上がりとシュートがある。  
 このフィルムから、得点への動きを作図して、そのとき書いていた「サッカー世界のプレー」という本に掲載させてもらった。  
 この本は、いっしょに見に行った仲間に協力してもらい、ぼくが構成したもので、講談社から出した。ワールドカップについての、日本語での初めての単行本だと思う。共著者はサッカー協会の技術指導委員長だった長沼健さん、大阪の朝日新聞の大谷四郎さん、共同通信の鈴木武士さん、日刊スポーツの谷口博さん、写真は岸本健さんである。
 読み返してみると、みんなが感動した世界のプレーの一つ一つが、この本の中には、ちゃんと記録されている。感動は心に、技術と戦術は本のなかに残しておいたのである。


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