日本サッカー協会は、5月28日の評議員会で、新会長に長沼健氏を選んだ。またJリーグの川淵三郎チェアマンを副会長に加えた。この両首脳に小倉専務理事を加えたトリオは、みな古河電工の出身。2002年ワールドカップ招致へ気分一新の体制作りをしてほしい。
☆長沼新会長への期待!
長沼健さんが、財団法人日本サッカー協会の会長になった。古河電工で選手、監督をしていたころからの付き合い、ぼくが駆出しのスポーツ記者だったころからの付き合いだから、まずは古い友人の一人として喜びたい。
「ケンさん」と呼ばれて、誰からも親しまれる人柄である。多くの人の考えに耳を傾け、事情を知り尽くして判断する。その判断が、いつも正しい。そういう点では、100%信頼できる。
1980年代に専務理事として残した仕事を見れば、やるべきことをちゃんとやったことが分かる。年齢別のチーム登録制度など、当時、懸案だったことをやり遂げている。
ただ、性急なジャーナリストの目から見ると、まだるっこい気がすることがある。みんなの声を聞くために、正しい判断でも、すぐには実行できない心配があるからである。
そういう点では、新たに協会の副会長になったJリーグの川淵三郎チェアマンとは好対照である。チェアマンは、思い込んだら決断が早く、反対意見には強い敵対心を燃やす。
新しいサッカー協会が、ケンさんの円満な判断力とチェアマンの強引な実行力の、それぞれの長所を生かして運営されれば、すばらしい。
友人が感想を述べた。
「つまり長沼新会長は羽田総理、川淵チェアマンは小沢一郎さんというところだな」
サッカーの首脳コンビの方が、政界のコンビよりも、男前だと思うが、どうだろう。
☆キャプテン会長への経過!
長沼会長は、もともと2年前に生まれるはずだった。1992年に勇退した藤田静夫会長が「あとをやって欲しい」意向だったからである。しかし「どうしても引き受けなかった」という。「いまは風当たりが強い」とケンさんは、例によって慎重に読んだのではないか。
当時、長沼会長案に反対の声があったことは事実である。
ちょうど2002年のワールドカップ日本招致の運動がスタートしたところだった。ワールドカップ招致は、政治、経済、行政、スポーツのあらゆる部門が一体になって推進しなければならないプロジェクトである。だから政界、財界、官界、スポーツ界の全部に顔のきく「大物」を迎えるべきだという意見があった。
これに対して、サッカー仲間のリーダーだから、サッカーマンを選ぶのが当然という声もあった。これを「キャプテン会長論」という。
どちらも一理あると思うが、そのときは、ケンさんが辞退したので、島田秀夫副会長が昇格し、2年間のクッションを置いて「キャプテン会長」が実現したわけである。
これが、ぼくたちから見れば「まだるっこい」ところである。
「大物会長」を迎えるのなら、財界総理といわれる経団連会長くらいの人物をもってきて、それを支える強力な体制をサッカー仲間が作るべきである。「キャプテン会長」論をとるのなら、2年前に長沼会長体制を作って2002年へ、すばやくスタートすべきだったのではないか。
☆2002年への責任体制!
長沼新会長は「2002年のワールドカップ招致を唯一無二のメーンテーマとする」と語っている。こういう調子のいいキャッチフレーズは長沼節である。
しかしアジア・サッカー連盟(AFC)総会の選挙で日本が完敗し、2002年への影響が、にわかに心配になった直後だけに、いつもの長沼節のように聞き流しておくことは出来ない。
2002年ワールドカップ招致委員会事務局長の村田忠男氏は、AFC総会でのFIFA(国際サッカー連盟)副会長選挙で2票しかとれないで敗れた。1票は日本で、もう1票は村田氏を推薦したブルネイだと思われるから、事実上はアジアの支持はゼロだったことになる。
村田さんは、その責任をとって、サッカー協会の副会長から退いた。また招致委員会の実行委員長に岡野俊一郎、実行副委員長に川淵三郎の協会副会長2人が就任した。
これから2002年への新責任体制作りが始まる。それには二つのポイントがあると思う。
一つは、キャプテン会長のもとであっても、政財官民の一致協力が必要で、そのためには、仲間内だけでなく、外部の人材を取り込み、広く大物を動かせる、ふところの深い体制を作ることである。
もう一つは、アジア重視である。
「アジアの票がなくてもFIFAの理事会では勝てる」というような考えは間違っている。誠心誠意、アジアのサッカー振興に協力するアイデアを、今後も考えるべきである。 |