ヴェルディのヘッドコーチだったフランス・ファン・バルコムさんが4月から新潟県と契約してサッカーの指導をはじめた。地方自治体がプロのコーチと契約するのは画期的なことだ。組織はこれからで、施設も不十分だが、指導者からスタートする地方のFC作りに注目したい。
☆自治体がプロと契約!
バルコムさんの新潟入りは、現地ではちょっとした騒ぎだった。
3月23日に新潟へ行き、県庁で契約交渉をして合意すると、すぐ平山征夫知事と懇談。そこに報道陣が待ち受けていて記者会見、その日の夕方のテレビニュースと翌朝の朝刊の地元版に大きく取り上げられた。
バルコムさんと契約した当事者は県知事である。地方自治体が外国のプロコーチと契約したのは初めてで画期的なことだと、ぼくは思う。
バルコムさんは、県の指導事業に協力するかたわら「新潟イレブン」の監督を務める。このチームは北信越リーグに属している社会人チームだが、新潟を代表するフットボール・クラブに衣替えして、Jリーグ入りをめざすことになっている。
ヨーロッパや南米のスポーツ事情を知っている人なら、これも不思議には思わないだろう。しかし、日本の地方都市が、地域のクラブからスタートしてプロを目指す決断をしたのは、たいしたものである。それを自治体が援助して外国人の監督を迎えるのは、相当に革命的である。
バルコムさんはオランダ人で、1972年に、今のヴェルディの前身である読売サッカークラブの監督を2年間務めて基礎作りをし、その後、香港、インドネシア、イラン、サウジアラビアなどのクラブや代表チームの監督をして、どこでもいい成績を残している。ヴェルディで1年間松木監督を助けたあと、やめるという話を聞いたので、外国人コーチを探していた新潟県に、ぼくが推薦したわけである。
☆未来を作る仕事!
バルコムさんに新潟行きを勧めたとき、ぼくは次のように話した。
「正直言って、新潟のサッカーのレベルは低いんだ。全国で最低のレベルだと言っていいだろう。ゼロからスタートすると思ってくれ。だけど未来を作る仕事なんだ」
県庁で記者会見をしたときにも、同じような話が出た。
バルコムさんは答えた。
「レベルが低いことは心配していない。新潟にもサッカーをしている子供たちが、たくさんいると聞いている。50人の子供がいれば、いいプレーヤーになれる者が1人はいる。500人の子供がいれば、その中に、すばらしいプレーヤーになる素質をもつ者が1人はいる。そういう才能を伸ばすことには自信がある」
子供たちがいれば未来があるという考えには「そうだ、そうだ」と心のなかで拍手した。
「でもJリーグに入れるチームを作るには時間がかかるだろう?」
「3年間でできると思う」
これには、報道陣も、びっくりした、というよりも呆れた。現在の新潟のサッカーのレベルを考えれば、これは夢のような話である。
もっとも、これには条件がある。
県内から、16歳くらいの若い才能のある選手をクラブに集められることである。これは高校チームから選手を取り上げることになるので「難しいだろうな」と、ぼくは思った。
また、Jリーグに入るためには、その前の段階で外国人選手も必要になる。他のチームが外国人選手を抱えているだろうからである。
☆練習施設の整備を
バルコムさんが、あまりに自信たっぷりなので、案内していたぼくは、県のサッカー関係者に会わせる前に、ちょっと現実を知らせておく必要があると考えた。そこで仕事の本拠地になる県営球技場を、まず見せることにした。
県営球技場を見たバルコムさんは、ちょっと薬が効きすぎたかな、と思うくらい落胆した。
オフシーズン中に荒れ放題になっていて、土のグラウンドの表面は、砂みたいにふかふかで、ぼくが見ても「これはひどい」というほかはない状態だったからである。
サッカー協会の人たちとの会合でバルコムさんは、手厳しく、この問題を取り上げた。
「いいプレーヤーがいて、いい指導者がいても、いい練習場所がなければ、どうしようもない。私にお金を払うのはムダ使いだ」
実を言えば、県としては、県営の施設を優先的にバルコムさんの仕事に使うことにしたのは、これまでにない大英断である。県のサッカー協会にとっては、夢のようにありがたい話で、ぜいたくをいえる立場にはないのが本音である。
とはいえ、バルコムさんの指摘は、あまりにも正しい。
日本のスポーツを良くするためにいま必要なのは、第一にいい練習施設ではないかと気が付いた。
指導者は世界のどこからでも連れてくることができるし、サッカーの好きな子供たちは、たくさんいる。だけど場所がなければ、何もできないからである。
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