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サッカーマガジン 1994年3月9日号

ビバ!サッカー

日本サッカー、アジアでのPR

 マレーシアで開かれたアジア・サッカー連盟(AFC)のセミナーでJリーグの川淵三郎チェアマンが英語で講演、なかなか好評で日本サッカーの絶好のPRになった。一方、韓国はこのセミナーの機会に2002年ワールドカップ誘致の積極的なPRを試みた。

☆AFCのセミナー
 まったく、たまたま、アジア・サッカー連盟(AFC)のセミナーに迷い込む羽目になった。
 アジアのサッカー記者の会を作ろうという話があって、その打ち合わせをシンガポールでやることになっていたのだが、シンガポールの仲間が、その時期にマレーシアで開かれるAFCのセミナーに行かなくてはならないので、打ち合せもマレーシアでやろうと連れていかれたのである。
 首都のクアラルンプールから車で約1時間、標高2千メートルあまりだという山の中腹に、ゴルフ場を中心にしたリゾートホテルがある。そこがセミナーの会場だった。
 バングラデシュとタイからも仲間が来て、打ち合せは、ちゃんとやったのだが、なんとAFCのセミナーにも出席させられることになった。
 このセミナーは、各国サッカー協会の事務局長のためのもので、日本からは小倉専務理事が参加していたが、ぼくはジャーナリストだから関係はない。しかし何事も勉強だと思って、5日間、午前と午後3時間づつの英語の講義に、できるだけ出席することにした。
 ぼくは、最終日の前日に帰らなければならなかったのだが、AFCのピーター・ベラパン事務局長は、ぼくを壇上にあげて修了証書を授与してくれた。
 ジャーナリストが、サッカー協会運営の講習の修了証書をもらっても仕方がないが、それを承知で授与式を真面目くさってやってくれたのが茶目っ気があって面白かった。

☆川淵氏の英語の講演
 セミナーの3日目にJリーグの川淵三郎チェアマンが来て「プロ・サッカー、日本の経験」と題して講演をした。
 その日の朝食の時に川淵氏は「英語でスピーチするのは、初めてですからね。緊張してますよ」と、セミナーの主催者であるベラパン事務局長に話していた。
 ぼくは緊張をほぐすための助け舟のつもりで「日本では重要人物が英語で演説するとニュースなんです。たとえば首相が国連総会の演説を英語でやればビッグ・ニュースです。だからミスター・カワブチが、きょう英語で講演するのは、ぼくにとって取材の価値があるんです」と冗談を飛ばした。
 実際には、心配する必要はまったくなかった。
 講演は大好評で、このセミナーのなかで、いちばん多く質問が出た。
 考えてみれば、朝食のときの会話は英語でしていたのだから何も心配する必要はなかったわけである。講義の方は草稿があるのだから、会話よりはやさしいはずである。
 ともあれ、川淵氏が英語で講演したのは、とても良かったと思う。日本のスポーツ界では英語の得意な人が国際担当の役員になって、国内でのお偉方は外国へ行っても、なかなか直接の対話をしたがらない。これはPRの点で大きな損である。
 川淵チェアマンは今回の成功で自信を付けて、これからは、ますます積極的に国際的な対話を試みるだろう。そうなれば、日本のサッカーのPRのために大きなプラスである。

☆韓国の大攻勢
 セミナー2日目の夜に韓国のサッカー協会がディナー・パーティーを開いて参加者を招待した。
 たまたま、その日の午後に準備をしている部屋をのぞいたら、正面に「韓国、2002ワールドカップ」と書いた立派な看板が掲げてあった。日本が招致を狙っている2002年のワールドカップ開催に、韓国が対抗して名乗り出ている。そのためのPRだな、と納得できた。ディナーは韓国サッカー協会の鄭夢準(チョン・ムンジュン)会長の主催で、なかなか念のいったものだった。
 チョン会長は、米国の大学で博士号をとったハンサムな紳士で、44歳の若さである。韓国の「現代」財閥の一族だという。パーティーには、クアラルンプール駐在の「現代」の社員だけでなく、その奥さん方も美しい民族衣装で手伝っていた。
 奇妙なことに、午後に会場をのぞいたときにあった「2002年」のディスプレーは撤去されていた。代わりに「韓国はアジアのサッカーの繁栄をサポートします」という英語の横幕が張り出されていた。思うに露骨な誘致運動は、この場にふさわしくないとAFCから忠告されたのではないか。        
 しかし、若くて、インテリで、財力のある人物が、アジアのサッカーを援助しようとしており、またワールドカップを誘致しようとしていることは、十分にPRされていた。
 ワールドカップの開催地はAFCが決めるわけではないが、アジアの仲間の支持は重要である。韓国もなかなかやるな、という印象だった。


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