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サッカーマガジン 1994年3月2日号

ビバ!サッカー

続・地方都市のクラブ作り

 プロチー厶をめざす各地のサッカーのクラブ作りには、いろいろなタイプがあるようだ。前号で紹介した新潟では県当局が応援しているが、岡山では行政当局や地元のサッカー協会を離れて、大衆の中からの盛り上がりで「Jリーグを岡山に」と運動をはじめている。

☆カモンJ!岡山
 新潟でクラブ作りについての講演をして帰ったら、今度は岡山から声がかかった。「いよいよ地域のサッカークラブ・ブームだな」という気がする。
 実は、勤務先の大学でぼくの属している学科の副学科長の奥さんの弟さんが「岡山へJクラブを作ろう会」の運動のリーダーで「協力してやってくれ」といわれて出掛けることになったわけである。
 地方都市にプロチームをもつクラブを――と「サッカー・マガジン」の誌上などで遠吠えをはじめてから30年近くになる。それが、ようやく実を結びはじめているのだから、上司の頼みでなくても、千里の道を遠しとしないで赴くところだ。それに、大学のある加古川から岡山までは、新幹線を利用すれば1時間あまりである。
 行ってみて、びっくりしたなあ。
 岡の中腹にある立派な国際ホテルで盛大なパーティーがあって、テレビや新聞が、たくさん取材にきていた。
 C'mon J, Okayamaという、しゃれたロゴの看板が舞台の正面にかけてあった。「カム・オン、Jリーグチーム」という意味である。 「カモンJ! 岡山」という歌も出来ていて、その披露と歌唱指導もあった。これがみな、民間の有志の手作りである。ロゴのデザインも、歌も仲間が作ったのだそうだ。
 「旧国鉄の操車場跡地に3万人収容のサッカー場を作る計画が進んでいるんです。それを役立てるためにも」と熱気にあふれていた。

☆協会との関係
 盛大な会だったが、面白いことに地元のサッカー協会の名前が、どこにもなかった。協会役員のあいさつもなかった。
 無関係かというと、そうではなくて、発起人のグループの中には関係者が入っていた。ただ「カモンJ!岡山」の会には、一市民として参加しているわけである。
 これも一つのアイデアだと思う。
 むかしサッカーをやったことのあるOBでも、町のファンでも、女性でも、男性でも、区別なく参加できるからである。
 ぼくが長年、夢見ている地域のクラブは、そういうものである。
 ヨーロッパや南米のスポーツクラブは会員制で、市民が会費を払ってメンバーになる。
  クラブでは、サッカーだけでなくて、バレーボールや体操や水泳もやっている。奥さんたちが集まって、編み物をしながら、おしゃべりをしている場所もある。
 日本のスポーツでは「クラブ」というと、学校のなかのクラブか、あるいは学校や企業の部ではない町のチームを指すことが多いが、ヨーロッパや南米で「クラブ」といえば、いわば社交団体である。
 そういうクラブが、プロサッカーのチームを持っている。つまり、クラブの会員になっている市民が、プロのオーナーである。
 クラブが連合して、市や町のサッカー協会や体育協会を作っている。有力なクラブが一つしかない町では事実上、そのクラブがサッカー協会であり、体育協会である。

☆市民主体の組織を!
 「カモンJ! 岡山」は、クラブ作りを看板に掲げているわけではない。会の名前は「岡山にJリーグを作ろう会」だが、趣意書の中には、Jリーグを「誘致」するという言葉を使っていた。
 しかし、ぼくは「作ろう」という表現の方が気に入った。
 有力な企業チームを「誘致」して岡山市をホームタウンにしてもらうという考えもあるらしいが、それでは、プロチームないし企業チームにお座敷を貸すだけのことになって、地域の活性化にはつながらないのではないか。
 よそのチームを「誘致」するのではなく岡山に新しい組織を「作る」ことを考えたい。そして、その組織のチームがJリーグに加わることをめざすのが本当じゃないか。
 「強いチームを新たに作るのは、たいへんだ」と思うかもしれないが、チームそのものは、いい指導者とプレーヤーを集めれば出来る。
 そのための資金がないから「企業チームを」と考えるわけだが、もう「企業チームの時代は終わった」ことを知らなければならない。
 企業の協力は必要だが、それは新しい組織の出資者のなかの一つ、あるいは、広告スポンサーとしてである。スポンサーの他に、県や市などの自治体とスポーツ団体の協力も必要である。
 しかし、何よりもまず主体になる組織を作らなければ話にならない。
 その組織は、地域の市民に対して開かれたものでなければならない。
 というのが、ぼくの考えである。


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