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サッカーマガジン 1994年2月23日号

ビバ!サッカー

地方都市のクラブ作り

 Jリーグ・ブームと2002年ワールドカップ誘致が引き金になって、各地でプロチームをめざすサッカーのクラブ作りが、はじまっている。新潟、岡山などの話を聞く機会があったが、いきなり商業化されたプロをめざさないで、地道なクラブ作りからはじめているのがいい。

☆新潟FCの計画
 「Jリーグをめざして新潟にグラブを作る計画が進んでいてね。それにからんだ話をしてくれないか」
 県のサッカー協会の役員をしている友人から電話がかかってきたので、1月中旬に新潟市に出掛けて、ちょっとした講演をした。
 新潟は2002年のワールドカップの開催候補都市になっている。
 東京から新幹線で2時間、国際空港があり、大きな港があり、高速道路も通じている。人口50万の都市で、いいホテルもある。越後平野の中心だからスポーツセンターを作るのに山を切り開いて環境を破壊する心配がなく、車の渋滞もおきにくい。ワールドカップの会場都市として、これほど絶好の町はない。
 ただ、地元のサッカーのレベルが高くない。その点が残念である。
 そこで、プロをめざすチームを含んだクラブを作ってサッカーを盛り上げ、2002年のあとも地域の役に立つように組織作りをしようという話が持ち上がった。
 県当局の熱心なサポートもあって、しだいに具体的になり、いま北信越リーグに属している「新潟イレブン」というチームを母体に、4月には新しい組織を作ろうというところまでこぎつけたのだという。
 最初のころは「プロチームを誘致しよう」といっていて、どこかの企業を背景にしたチームに本拠地を提供しようという発想だったのだが、いまは時間がかかっても、地元に根をおろしたクラブを育てていこう、という考えになっている。
 これは、すばらしい。

☆場所と指導者
 新潟の講演では、クラブ作りでカギになるのは場所と指導者だ、という話をした。
 ヴェルディの母体である読売サッカー・クラブを1969年に作ったとき、当時の読売グループのオーナーだった正力松太郎氏が、東京都稲城市の「よみうりランド」の一角にサッカーグラウンド4面分の土地を提供してくれた。
 メンバーが集まる一定の場所を持つことは、組織にとって非常に重要である。読売クラブが、その後、いろいろな困難を乗り越えるのに、このグラウンドは、はかりしれないほど役に立った。
 もう一つ、サッカークラブの成功のカギを握るのは指導者である。
 当時、いい選手はみな社員として終身雇用してくれる会社のチームに入った。ところが、読売クラブはヨーロッパのようなクラブをめざしてスタートし、選手を親会社の社員としては採用しなかった。そのために高校や大学で活躍している選手をとることが難しかった。いい選手は、身分の安定を求めて大会社の社員になる方を選んだからである。
 選手を集めるのが難しいなら指導者で勝負と考えて、1974年に外国から監督を招くことにした。そのときに来たのが、昨シーズンは松木監督のもとでヴェルディのコーチを務めたオランダ人のファン・バルコム監督である。
 バルコ厶監督は、読売クラブを日本リーグ2部で優勝させるところまでもっていった。

☆外国人コーチの利点
 指導者については、新潟は外国人コーチを招くことが、すでに決まっていて人選中という話だった。県当局が経費を援助するという。
 外国人の指導者を招くことには、いろいろな利点がある。
 第一に、日本人は、いろいろなしがらみがあって人選が難しいが、外国人だと能力と給料との見合いで割り切って契約することが出来る。
 第二に、日本では終身雇用の考えが根強いので、日本人を雇うと、かりに不向きだと分かっても、簡単に解雇するわけにはいかない。外国人なら1年か2年の契約をしておいて有能なら再契約すればいい。
 第三に、外からの風を入れることによって、新しいものを学ぶことが出来る。かりにクビにしても、後に何かを残していくに違いない。
 もちろん、得策でない面もある。
 まず、通訳が必要である。この場合の通訳は、事実上アシスタント・コーチになるから、言葉の能力だけでなく、サッカーの力量とコーチとしての資質が、ある程度は必要である。これを兼ね備えた人物を探すのは難しい。
 次に、文化の違いを乗り越えなければならない。相手のものの考え方を理解してやる必要もあるが、外国人コーチの方に、日本のものの考え方を理解する努力をさせなければならない。できれば、ある程度は日本を知っている人物がいい。
 とはいえ、外国人コーチを招くのは、人選を誤らなければ、非常に効果があると思う。地方のクラブ作りの場合は、とくにそうである。


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