ハンス・オフト監督が退いた。個人の戦術能力を高めることを教え、日本のサッカーをアジアのトップに引き上げた功績は大きいが、今回の決定は本人にとっても、日本サッカー協会にとっても、適切な選択だったと思う。オフト監督が残したものを、今後に生かすことを考えたい。
☆プロらしい選択
「監督は結果に責任を持たなければならない」というのが、ぼくの持論である。
だから、日本代表チームが不首尾に終わるたびに、ということは、これまで毎回ということだが、そのたびに、ぼくは「監督やめろ」と言い続けてきた。
しかし、今度のワールドカップ予選については、そういう必要はないと思っていた。
理由は二つある。
一つは、オフトの功績が非常に大きかったので、責任を言いたてて、その功績の印象を薄くするのは適当でないと思ったことである。
もう一つの理由は、いずれにしても、オフトは辞めるだろうと、見通していたことである。
オフトが、すばらしい仕事をしたことは、日本でも、またアジアの多くの国でも十分に知られている。少なくとも、日本をアジアのチャンピオンにした監督である。
この名声の頂点で退くのは、非常に賢明な選択である。いまなら、オフトの実績を買って日本のクラブからも、あるいはオイルダラーをたっぷり持っている中東の国からも、声がかかるだろうからである。
「自分の仕事は、日本をワールドカップに出場させることだ」と、就任したときから、オフトは言っていた。
その仕事は達成できなかったが、名声を得ることはできたのだから、この時点で辞めるのは、プロフェッショナルとして当然だということができる。
☆賢明な協会の決定
一方、日本サッカー協会の決定も賢明だったと、ぼくは思う。
これには、友人たちは、異論があるようだ。
「オフトの成果を、ここで打ち切るのか。代わりに、もっといい監督がいるのか?」
たしかに、日本をアジアのトップに引き上げた功績は大きい。
オフトは、代表選手ひとりひとりに、戦術能力のノウハウを、こと細かに教え込んだ。その積み上げがダイナスティカップとアジアカップの優勝になり、ワールドカップ予選の成績につながったのだと思う。
しかし、オフトが求めたような個人の戦術能力は、本来は、もっと早い時期に、高校から大学の前半ぐらいまでの年齢で、身につけていなけれぱならないことである。
高いレベルの技術と戦術能力を身につけたプレーヤーが大勢いて、その中から選んで代表チームを構成できるのが本当である。
残念ながら、日本には、そんなプレーヤーは、ほとんどいなかった。それにオフトに与えられた時間は、1年あまりしかなかった。 だからオフトは、止むを得ず、一握りの代表選手を教え込んで、限られた方法でチームをまとめるしかなかった。
このオフトの方法は、今回のワールドカップ予選のための緊急方式である。これを、今後も続けろというのは、適当ではない。
したがって、日本サッカー協会がオフトの続投を求めなかったのは賢明だった、と思うわけである。
☆今後やるべきこと!
オフトの成果を今後に生かしていくために、日本サッカー協会が考えなければならないことが二つある。
一つは、オフトが日本代表のプレーヤーに教えた戦術能力開発のノウハウを、全国に広めることである。
これまでオフトと一緒に仕事をしできた清雲栄純コーチと、通訳をしてきた鈴木徳昭・強化委員は、ぜひ、そのために、もう一仕事してもらいたい。
また、全国の学校やクラブの指導者は、個人の戦術能力を若いうちに開発することが大切であり、それを教える具体的な方法が、たくさんあることを知ってほしいと思う。
協会は、そのための啓蒙活動と普及活動に、具体的な努力をしてもらいたい。
日本サッカー協会が考えなければならない、もう一つのことは、もちろん日本代表チームの今後である。
新しい外人監督を迎えるべきだという意見が、カタールの最終予選よりも前から、主としでブラジルに関係が深い人たちの間で、ちらちらしていた。この件は微妙だから、改めて別に、取り上げることにしよう。
ここでは、一つだけを指摘しておこう。
それは、日本代表チームの次の目標は、1994年10月の広島アジア大会だということだ。日本で開かれるアジアの重要な大会だから、これは、ないがしろには出来ない。
しかし、残された時間は1年もない。だから、これは、オフトの土台のうえに積み上げて戦うしかないだろうと思う。
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