Jリーグ元年の前期は、鹿島アントラーズの予想外の活躍が焦点だった。最大のスターのジーコが、けがでほとんど出られなかったのに、なぜアントラーズが活躍できたのだろうか?
☆ジーコが走らせる
「死んだ孔明が、生きている仲達を逃走させた」という言葉をご存じだろうか?
いまから1750年ほど前、中国大陸で三つの国が争っていたころの、つまり「三国志」の話である。
蜀の帝王、劉備玄徳の軍師だった諸葛孔明が戦争の最中に病気で亡くなった。小国の蜀が対等に頑張ってきたのは、まったく孔明の天才的な作戦のおかげだったから、これは一大事。敵国の魏の総大将の司馬仲達は、このことを知って「チャンス」とばかり、自ら先頭に立って攻めかかった。
ところがだ。
迎え撃った蜀の軍の中央で、死んだはずの孔明が車に乗って指揮を執っているではないか。
「これは、たいへん」と仲達は、大あわてで逃げ帰ったという。
実は孔明が、死ぬ前に自分とそっくりの木像を作らせておいて、死んだあとに、それを車に乗せて出陣させたのだった。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という話である。
Jリーグの前期、鹿島アントラーズの快進撃を見て、ぼくは、この話を思い出した。
ジーコは、出てきたと思ったら、またすぐケガをするという状態で、フィールドの上では、あまり戦力にならなかった。
しかし、試合に出なくても、アントラーズの攻めが生きていたのは、ジーコのお陰だったのではないか。
「出ないジーコが、敵も味方も走らせた」のではないか。
☆スーパースターの執念
ジーコが出ないのに、アントラーズが成功したのは、ジーコが2年前から日本へ来ていて、アントラーズのチーム作りに最初からかかわっていたからだと思う。
40歳のジーコは、もう選手生活は最後だと思っている。世界のスーパースターとしての誇りがあるから、最後に惨めな成績で終わりたくないという気持は非常に強い。
また、今後、指導者として、あるいはタレントとして名声を維持していくためには、日本でスタートしたプロサッカーに大きな功績を残して世界に実績を示したい。
だから、選手として、いいところを見せるだけでなく、チーム作りにも本気で執念を傾けた。それがアントラーズの好成績に結びついたのだと思う。
これは憶測ではなく、ジーコと親しい人から聞いた話である。
ジーコが最初からチーム作りにかかわっていたから、攻めは「ジーコの感覚」が日本人の選手の間にも浸透していた。得点王のアルシンドを引き立てるのに、それが役立った。
ジーコが、あまり試合に出られなかったのは、かえって結果的に良かったかもしれない。
ジーコが出ていると、相手チームの守りは「ジーコつぶし」に集中する。それで歯車が狂ったりすると、ジーコに頼っていた分の何倍にも狂いは増幅される。ジーコが出られないので、かえってジーコの良さを、みんなが発揮したのではないか。
最後に、孔明ジーコを生かして使ったアントラーズの劉備玄徳、宮本征勝監督に敬意を表したい。
☆テレビはひどいよ
これはアントラーズの責任ではないけど、前期のヤマ場だった7月3日のテレビ中継はひどかった。アントラーズ対マリノスの試合である。
週に2回も試合があるし、同じ日に5試合同時にあるから、大事な試合でも見にいけないことがある。ぼくは関西の大学に勤めることになったので、なおさらである。
それだけにテレビ中継が増えたのは非常に有り難いし、多くのテレビ局が、それぞれ工夫をこらしてくれているのは非常にうれしい。
ところが――。
アントラーズ対マリノスを中継したテレビ局は旧態依然だった。
関西地区では、ABCテレビが放映したのだが、これは東京のキー局からの中継である。
サッカー中継の前にプロ野球の近鉄−オリックスの中継をやっていたため、サッカーの中継は、前半の終わりごろからだった。野球の方は尻切れとんぼ、サッカーは頭隠しで尻だけという、どちらのファンにとっても中途半端な番組編成である。
アナウンサーも、ひどい。大部分の時間帯を解説者との雑談に費やしていて、実況アナウンスは「センタリングするか? センタリングしました」「シュート! ヘディングでクリアー!」という調子である。センタリングするかどうかは、画面を見てりゃ分かるよ。それよりも誰がセンタリングしたのか、選手の名前を言ってもらいたい。
十年一日、同じ苦情を言っているが、それは十年一日、同じような中継をする局があるからである。
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