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サッカーマガジン 1993年5月22日号

ビバ!サッカー

女子サッカーのすすめ

 ワールドカップ予選、Jリーグの発足と、世間の目は男子サッカーの方に向いているが、このさい、女子サッカーにも、ご注目いただきたい。日本でも世界でも、まだ普及しはじめたばかりだが、近くオリンピックに入ることは確実、女の子たちの遊びとしても将来性十分のスポーツだ。

☆兵庫女子短期大学
 私事にわたって恐縮ですが――などとは言わない。30年以上、働いてきた新聞社を辞めたときにも、このページに、そう書いたはずである。なにしろ、わがビバ!サッカーは、これまで終始一貫、十年一日、公私混同だったのだから。 
 さて、私こと――。 
 このたび、兵庫県加古川市にある兵庫女子短期大学の先生になって単身赴任している。神戸と姫路の間、須磨、明石のちょっと先で、平安時代には貴族が別荘を持っていたのではなかろうか、と思いたくなるような、いい所である。 
 キャンパスは松林の中に広がっていて、大きな池に沿っている。松の緑の色深く、水辺に集う乙女らは……とか何とか、校歌を作ってみたくなるような環境だね。 
 「ところで、そこでサッカーはやってるのか?」 
 と、友人がきく。 
 幸か、不幸か。女子サッカーのチームは、まだないようだ。 
 だが広いグラウンドはある。サッカーのゴールも、ちゃんとある。ただし、使っているのを見たことは、まだ1度もない。聞くところによると、市の少年サッカー大会などで使うことが、時にはあるらしい。東京では、練習や試合のたびにグラウンド探しに苦労した経験がある。 
 グラウンドがあるところにはチームがなく、チームがあるところにはグラウンドがない。世の中、なかなかうまくはいかないもんだ ――などと考えた。

☆女子サッカーの草分け
 新しい職場の新しい友人と飲みに出掛け、酔いに任せて一席ぶった。女子サッカーのルーツは関西だ、という話である。 
 ぼくの知る限り、日本で女子サッカーを最初に推進した人物は、田辺製薬のオーナーだった田辺五兵衛さんである。 
 田辺さんは、若いころ神戸でサッカー選手だった。ぼくがお目にかかったのは、もちろん、ずっと後のことで、すでに、ご自分の会社の会長だったが、すこぶるお元気で、協会役員対サッカー担当記者の親善試合に、ユニホームを着て、さっそうと登場していた。 
 その田辺さんが「日本でサッカーを盛んにするには、女性にボールをけってもらうのがいい」と考えた。 
 女性は子供を産み、子供を育てる。子供に対する影響力の大きさでは、残念ながら父親は母親に遠く及ばない。だから女性にサッカーの面白さを覚えてもらえば、男の子をサッカー選手にしたいと思うのではないか。したがって女子サッカーをはじめれば男子のサッカー人口が増える――という論理だった。 
 そこで田辺さんは、知人のいた神戸女学院にサッカーを取り入れてもらった。それが日本の女子サッカーの始まりだ――と、ぼくは聞いている。
 「えっ、神戸女学院は上品なお嬢さんの学校なんだ。荒っぽいサッカーのイメージには合わないなあ」 
 新しい友人は、初めて聞いた話に目を丸くしていた。

☆男性考案の珍ルール
 田辺さんが「女性にサッカーをやってもらおう」と考えたのは、男の子のサッカーを普及させるための手段だった。サッカーを女性のスポーツとして盛んにしようという考えではなかった。いまから半世紀近くも前の話だから無理はない。 
 サッカーは、女性にとっては荒っぽすぎる、と当時は考えられていた。  
 たとえば胸でトラップすると、おっぱいに当たって痛いだろうし、お母さんになったときの授乳にも影響するのではないかと心配した。  
 そこで田辺さんたちは、女性の場合は胸でボールを受けるとき、手のひらを内側に向けて胸を押さえてもよい、という新ルールを考えた。  
 これが、女性の身体を知らない男性の浅知恵だったことは、いまの女子サッカーの試合を見れば、すぐ分かる。みんな平気で胸でボールを処理している。  
 女性のための新ルールは見当違いの珍案だったし、田辺さんたちは、本格的な女子サッカーを考えていたわけではなかったようだが、それにしても、「女性にサッカーを」というアイデアは卓抜だった。いまでは、サッカーは非常に女性に向いたスポーツだ、と多くの人が認めている。  
 近い将来、オリンピック種目になることは確実だと思うが、ぼくはトップレペルのスポーツとしてよりも、女の子たちの遊びとしてサッカーを盛んにしたい。小学生の少女サッカーを、もっともっと盛んにすれば……と、田辺さんと同じようなことを、いま考えている。


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