アーカイブス・ヘッダー

 

   

サッカーマガジン 1993年3月4日号

ビバ!サッカー

2002年W杯を東京で!?

 2002年のワールドカップの会場候補地に15の都市が決まった。12都市にする予定が、政治的圧力に負けて水増しになったいきさつに問題もあるが、とにかく準備を早めに始めるにこしたことはない。ところが首都の東京は…。

☆国立の芝生に特別賞
 最初にお詫びをしなければならない。実は前号でサッカー大賞の選考をしたときに、重要な功労者を忘れていた。友人の推薦を受けて、ちゃんと手帳にメモまでしておいたのだが、選考委員会を1人で開く段になって、とんと失念してしまった。トシだねえ。 
 その重要な功労者というのは、東京の国立競技場の芝生である。
 この1年間、国立競技場の芝生は常に緑で美しかった。高校選手権の準決勝の日の雨にもびくともせず、翌日の決勝戦でもピンとしていた。 
 あの、すばらしい芝生が、魅力のある試合をつぎつぎに生み出し、スタンドを埋め尽くす大観衆を集めた原動力だったと、ぼくは信じる。 
 というわけで、国立競技場の芝生の担当者にビバ!サッカーから特別賞を贈ることにする。 
 ご参考までに、なぜ芝生がよくなったかを受け売りで解説すると、グラウンドの表面を土から砂に入れ替えた。それで水はけが良くなった。これが第一である。 
 第二に、これまでは夏芝だけを植えていたので、冬は枯れ芝になっていたが、秋になって、その上に冬用の西洋芝(テレニアル・ライ)の種子をまいた。それが育って、冬も緑になった。生きている芝のおかげでフィールドも保護された。 
 第三には、もちろん管理する人たちの研究と熱意のおかげである。
 スポーツの迎賓館である国立競技場の芝生が美しいことは、とても重要である。いい試合で全国の少年たちに模範を示し、外国から来た選手にも気分よく試合をしてもらえる。 
 その功績を忘れていたのは、まことにうかつだった。

☆東京のW杯会場はお預け 
 ところで、この東京の国立競技場が、2002年のワールドカップの会場候補に今のところは入っていない。これは、まことに残念である。 
 裏にいろいろ、いきさつがあったらしいが、それは抜きにしても、国立競技場は、いまのままではワールドカップには使えない。というのは芝生は美しくなったが、その他の施設が、あまりにも古くなっているからである。 
 かつての明治神宮競技場のあとに国立競技場が出来たのは、1958年に第3回アジア競技大会が開かれる前である。その後、バックスタンドの上部を1964年の東京オリンピックのために継ぎ足し、電光掲示板を1991年の世界陸上のためにカラーのものに取り替えた。しかしその他の基本的な構造は35年前のままである。設計の段階から考えると40年も昔のスタジアムである。 
 その当時は、白黒のテレビさえ、普及していなかったし、衛星によるテレビの世界中継もなかった。コンピューターも使われていなかった。競技会の運営も、マスコミの報道も、国民の関心も、ハイテクを駆使している現代とは大違いだった。 
 したがって、そのころモダンだった国立競技場の構造は、いまではすっかり時代に合わなくなっている。 
 だから、国立競技場をワールドカップで使うためには「大改築」が必要である。観客や選手のための設備だけでなく、テレビやコンピューターのための配線、ケタ違いに多くなったマスコミの取材に対応出来る構造などを、21世紀を見通して作り直さなければならない。 
 いまのところ、その見通しがないというので、東京は2002年の候補都市としては「お預け」の形になっている。

☆世論の盛り上げが必要
 「東京にワールドカップの会場がなくたっていいよ」 
 と友人が言う。
 「横浜が7万人収容の大スタジアムを作ることになっている。こっちの方が、おれの家からは近い」 
 これは一理ある意見だ。なんでも東京が中心だと思い込んでいるのは偏見である。ワールドカップの開会式を横浜で、決勝戦を神戸でやっても、日本全体からみれば、別にどうってことはない。
 「21世紀の東京の都市機能は絶望的だという専門家もいるらしい。スタジアムの問題だけでなく、交通事情からも東京は無理じゃないか」 
 友人が止めを刺しにきたので、東京都民としては逆を考えた。 
 「都市機能を問題にするのなら、ワールドカップを機会に、東京の都市改革を推進したい。その一環として国立競技場の改築を…」
  東京がもたついている背景の一つに、国立競技場は日本国政府の、直接には文部省の管轄だという事情がある。 
 つまり、東京にワールドカップの会場を持ってくるには、まず自治体である東京都に熱意を持って手を挙げてもらわなくてはならないが、それには、まず国の協力がなければならない。国立競技場の改装、改築費は、国の予算になるからである。 
 ぼくは、首都には、すばらしい緑の芝生の「スポーツ迎賓館」があっていいと思う。その迎賓館を維持するのが、都民のためであり、国のためであり。国際親善、ひいては世界平和のためである。
 ――ということを国民が理解し、それが世論として盛り上がって、はじめて「ワールドカップを東京で」といえるのかもしれない。


前の記事へ戻る
アーカイブス目次へ

コピーライツ