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サッカーマガジン 1992年12月19日号

ビバ!サッカー

アジアカップの運営

 アジアカップは、開催地元の広島にとっては、2年後のアジア競技大会のリハーサルだった。日本のサッカーにとっては、招致運動を展開中の2002年ワールドカップの運営への第一歩でもあった。関係者の非常な努力と苦労がうかがわれたが……。

☆立派で不便な施設
 広島のアジアカップを見に行って施設が立派で美しいことに感心したが、同時に、巨費を投じて使いにくいスタジアムを作ったことにも驚いた。 
 主会場の広島広域運動公園は、1994年のアジア競技大会のために山の中腹を切り開いて建設した真新しいスポーツ施設である。陸上競技場は収容能力公称5万人でナイター照明つき。原爆の町、広島もいまや百万都市だから、これくらいのスタジアムを持つのは当然だ。市の中心からバスで約30分の距離も、道路と駐車場を整備中だから悪くない。Jリーグの「サンフレッチェ」の本拠として試合のたびに超満員になったら素晴らしい。 
 しかし――である。
 なにが不便かって、なによりもサッカーが見にくい。陸上競技のトラックがあるうえに、その外側にユーティリティーのスペースをたっぷりとってあるので、スタンドからフィールドまでの距離が遠い。報道関係者のための施設なども旧態依然で、最近の報道サービスの新しい方法や通信設備に対する配慮がない。
 この陸上競技場の設計思想は、基本的には、東京の国立競技場のミニチュアである。東京の国立競技場が設計されたのは、もう40年近く前のことで、当時はテレビの衛星中継もなかった。世界中から報道陣が何千人も来ることも想像できなかった。だから、東京オリンピック招致のために、陸上競技の運営がやりやすいことばかりを考えて設計した。 
 しかし、いまは時代が違う。5万人ものスタンドを作るのなら、観客はもちろん、マスコミで大会を楽しむ全国のファンのことを考えて設計しなければならない。
 アジア競技大会の陸上競技の報道サービスを考えても、これは使いにくい競技場である。2002年のワールドカップの会場としては、基本的に考え直してもらわなければならない。

☆記者会見はバベルの塔
 アジアカップに出場した8チームのうち7チームに外人の監督、コーチがいた。そのために試合後の監督の記者会見は大混乱だった。
 いちばん多いときには、6カ国語が乱れ飛んだ。両チームの言葉と両監督の母国語、それに英語と日本語である。
 あまりに混乱して、日本語への通訳は出来なくなったこともあるし、最初の監督の発言が、最後に日本語になったときには、まるで反対の意味になったり、内容が半分消えてしまったりしたこともあった。これは必ずしも通訳の能力が不十分だったためばかりではない。伝言ゲームのように、二重三重に通訳されているうちに内容が変わってしまうのである。
 前の年に東京で行われた世界陸上選手権のときには、ぼくは組織委員会側の報道担当役員になって入賞者の談話を英語と日本語で速報するフラッシュ・インタビューを担当した。だから今回の関係者の苦労はよくわかる。こういう仕事は、外国語が分かるだけでは無理で、そのスポーツのルールや組織や習慣を知っていて、かつ参加国の国情やジャーナリズムに理解があり、なまりの強い外国語が乱れとぶ修羅場に慣れている必要がある。幸いに、ぼくが手伝った世界陸上の報道サービスは、非常にうまくいって、この年の世界最優秀報道サービス賞をもらった。 
 2002年のことを考えると、サッカーのための報道対策を、いまのうちから研究し直す必要があるように思う。

☆会場分散のすすめ
 アジアカップの会場は、広島市と尾道市の2都市に分かれていた。それはいいのだが、奇妙なのは試合日程である。1日に2試合を同じ会場でやる。その日には、その会場しか使わない。これは不都合である。
 予選リーグの最終日は、第1試合がアラブ首長国連邦(UAE)対朝鮮民主主義人民共和国、第2試合が日本対イランだった。
 記録を見れば分かるが、これは具合の悪い日程である。かりに第1試合が0−0の引き分け、あるいは1−0で北朝鮮の勝ちだったら、第2試合の日本とイランは引き分けで、ともにベスト4に残ることが出来る。意図的に八百長をしないにしても、両チームとも安全第一で引き分けを狙うことは考えられる。UAEが2対1で勝ったから、日本対イランは、ドラマチックな真剣勝負になったが、第2試合が味気ないものになる可能性も、十分あった。
 ワールドカップでは、同じグループの最後の試合は、別の会場で同じ時間にやることになっている。今回も、それぐらいの配慮は、すべきだったのではないか。 
 地元広島にとっては、この大会は2年後のアジア競技大会のリハーサルを兼ねていた。アジア大会のサッカーは、数都市に分散して行うことになっている。
 そうであれば、今回のアジアカップも、出来れば4会場を同時に使って、1日に4試合を各地でやるべきだった。アジア競技大会と2002年の両方にとって、いい経験になったはずである。


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