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サッカーマガジン 1992年6月号

ビバ!サッカー 

外人監督就任で正しい代表強化へ
W杯出場は、オフトにとってもビッグチャンス!?

外人監督を歓迎する!
常識的なチーム作りで、代表強化を正しい軌道に戻そう!

 日本代表チームの新監督が、オランダ人のハンス・オフト氏に決まった。まずは新監督を歓迎したい。 
 「外人監督で大丈夫だろうか? 言葉の問題もあるし……」 
 と、友人が心配する。 
 ぼくは外人だからこそ、歓迎したい。というのは、いままでの日本のやり方とは違う新しい考え方を持ってくる可能性があるからである。 
 オフト新監督には、個人的にも話をする機会があったし、記者会見でも方針を聞いた。 
 「選手を集めて練習するのは、1週間ずつにしたい。長期にわたって選手を拘束するつもりはない。集中してやる気持を失わないように短期間にチームをまとめたい」 
 体力作りや技術練習が不必要というわけではないが、代表チームは原則として、すでに技術があり、戦術能力があり、体力がある選手を選んで構成するものである。だからトレーニングに長期間は要しない、という考えである。 
 これは、いままでの日本代表の強化哲学とは違う考え方である。
  これまで日本サッカー協会は、なるべく長い間、日本代表選手を一緒に練習させて、強固なチームワークを作りたがっていた。代表チームで技術や戦術を教え、体力トレーニングもしようと考えていた。試合の前1週間程度しか合宿できなかったことはあるが、それは日程の都合で止むを得ないからだった。 
 ぼくに言わせれば、これは、選抜の代表チームを、単独チームと同じように強化しようというもので、間違った『集中強化主義』である。 
 オフト監督は、まったく別の哲学を持っている。 
 「単独クラブ・チームの選手のなかから、その時点で日本代表チームを構成するのに、もっとも適した選手を選びたい。技術、戦術能力、体力のバランスのとれた選手が望ましいが、技術はあるけど体力が不足している選手がいれば、ベンチに置いて必要な時間帯に使うということも考える」 
 単純化して言えば、選手を強化するのはクラブの仕事で日本代表はチームをまとめるだけという考えだ。 
 キリンカップのための日本代表の候補22人のなかに、オフト監督は、読売クラブから6人、日産から5人を選んだ。 
 「オランダ代表がアヤックスとフェイエノールトの2チームを基礎に構成した例のように、日本代表をクラブ・チームのコンビネーションを重視して編成するのか」という質問には、こう答えた。 
 「そういうつもりはないが、同じ能力の選手であれば、同じチームのコンビを組めるほうを選ぶ」 
 オフト監督の考えは、ぼくがこのページで述べていた主張とよく似ている。つまり、これが常識的な考え方なのである。 
 常識的な考え方を取り入れるのに外部の力を借りなければならなかったのは情けないが、これで、ひとまず日本代表の強化は正しい軌道に戻るのではないだろうか。
  
勝負強さに不安は?  
トップクラスのチームの指揮者としての実績は日本でだけ 

 日本代表のオフト新監督はオランダ人である。しかし、オランダでプロのチームの監督を務めた経験はない。FCユトレヒトの「マネージング・ディレクター」だということだが、管理部門の担当者で、チームを指揮する監督は別にいる。 
 オランダといえば、かつて、ウイール・クーバーという名コーチを日本に招き講習会を開いたことがある。 
 クーバー氏は、フェイエノールトの監督として、欧州のクラブの3大タイトルの一つであるUEFA(欧州サッカー連盟)カップで優勝したことがある。れっきとしたトップクラスの名監督だった。
 クーバー氏に「ハンス・オフトを知っているか」と質問してみたことがある。 
 「いや、聞いたことがない」 
 「日本の高校選抜チームが、オランダのザイストのトレーニング・センターに行って、そこでオフトというコーチの指導を受けて、とても役に立ったことがあるんだ」 
 「ああ、その男なら」とクーバー氏が思い出してくれた。 
 「彼はコーチじゃないよ。事務局員(セクレタリー)だよ」 
 オフト氏は、オランダ・サッカー協会で働いていて、ザイストのトレーニング・センターの管理者だったらしい。 
 1979年、日本の高校選抜チームがザイストを訪れ、そこで当時のオランダのユースチームの監督の指導を受けた。そのとき、それを手伝って面倒を見てくれたのがオフト氏だった。 
 このときオフト氏のトレーニングが、日本の高校の指導者に非常な感銘を与えたらしい。その後、4年間、日本高校選抜は毎年、ザイストを訪れてオフト氏の指導を受けている。 
  それが縁で、1982〜83年にヤマハのコーチになって天皇杯優勝に貢献、さらに84年から88年までマツダのコーチ、監督を務めた。オフト氏の現場の指揮官としての実績は、このように、すべて日本で残し、評価されたものである。 
 「ということは、オフトは欧州の一流の監督ではない、ということだな」 
 友人は、にわかに不安を感じはじめたようだ。 
 「うむ。だから、かえって安心なんじゃないか」 
 安心の第一は、オフト氏が日本のサッカーを知っていることである。日本のスポーツの組織やものの考え方も、足かけ7年の日本滞在の間に苦労しながら覚えたに違いない。 
 安心の第二は、その指導力が十分分かっていることだ。言葉の問題が障害にはならないことも証明済みである。だから、ある程度の成果は保証されているといっていい。 
 「問題は厳しい試合のときの勝負強さがあるかどうかだ」 
 と、ぼくは考えた。 
 欧州や南米のプロのレベルで、厳しい勝負にもまれてきた経験――これはオフト氏にはない。

獲物は大きく、損はない!
米国W杯をめざすチームを率いるのはビッグ・チャンス?

 「日本代表チームの監督にと言われたとき、これはビッグ・チャンスだ、と思ったんじゃないの?」 
 こんな質問をオフト新監督に直接ぶつけてみた。 
 オフト氏は、欧州では有名な人物ではない。しかし、自分のコーチとしての力には、密かに自信があるに違いない。 
 「うん、まあ。とにかくワールドカップ予選にベストを尽くすことだけを考える」 
 と、オフト新監督は、あいまいな答え方をした。 
 もし、ワールドカップ予選を勝ち抜いて、1994年に米国で開かれるワールドカップに出場することが出来れば、オフト監督の名は、たちまちにして世界に知れわたる。欧州にいたら、オフト氏がワールドカップに出るチャンスはゼロに近い。だから日本サッカー協会からの招きが「ビッグ・チャンス」だったことは間違いない。 
 日本は、過去に1度もワールドカップの決勝大会に出場したことがない。これも有り難い条件である。 
 なぜなら、かりに予選で敗れたところで「負けてもともと」だからである。逆に、うまくいって米国行きの切符を手にできれば「史上初めての快挙」になる。狙う獲物は大きく失うものは何もない。
 さらに、日本がワールドカップのアジア予選で勝ち進む可能性は、欧州のコーチの目からみれば、われわれが考えるより、はるかに大きく見えるだろうと思う。 
 たとえば、フェイエノールトの名監督だったクーバー氏は、日本に来たとき「私だったら2年で日本をアジアのナンバーワンにしてみせる」と言っていた。 
 クーバー氏が、日本のサッカーを評価した根拠はいくつもあった。
 @日本の子供たちのボール・テクニックは、欧州の子供たちに比べても悪くない。
 A日本の若者は規律正しく、真面目にトレーニングをする。
 B日本の選手は理解力があり、コーチの指示を理解したうえで実行する能力がある。
 C日本人は、アジアの他の国に比べて、体力的にも水準が高い。
 D日本のクラブ(チーム)は、協力的で、代表強化のために、あまり文句をいわずに選手を提供している。 
 こんなに恵まれた条件があれば、アジアで勝てないはずがない。勝てないのは、監督コーチが悪いだけ、というわけである。 
 オフト氏は、もっとよく日本とアジアの事情を知っているから、これほど楽観的ではないだろうが、それでも、成功する可能性は、かなりあると踏んでいるに違いない。 
 ただ、残念ながら残された時間が1年そこそこ。ちょっと準備期間が短かすぎる。それに、かりに予選に勝っても、米国に行くときに監督になるかどうかは決まっていない。 
 ぼくの質問に、あいまいな答え方をしたのは、その辺りにも理由があったのかもしれない。


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