大賞は天皇杯の大観衆に!
元日の国立を超満員にという長年の夢がやっと実現した!
ジャジャーン!
今年も、栄えある日本サッカー大賞発表の時が来た。
1991年度の大賞は、論議に及ばず、ただひとりの選考委員の満場一致で決定した。
ジャジャーン!
「1991年度の日本サッカー大賞は、1992年元日の国立競技場を埋めつくした6万人の大観衆に決定いたしました!」
思えば長い道程だった。十数年にわたって、ぼくはサッカー・マガジンの誌上で「天皇杯の決勝戦で国立競技場を満員にしよう」と叫び続け、大会の主催者である日本サッカー協会の努力と工夫を求め続け、かつ無視され続けて来た。
それが、ようやく――。
元日の国立競技場で、スタンド最上段の通路が、立ち見のお客さんでぐるーっと囲まれたのを見たとき、「サッカー大賞は、これだっ」と決めてしまったのは当然だろう。
お断わりしておくが、この大賞を大会主催者の日本サッカー協会や天皇杯宣伝キャンペーンを担当した巨大PR企業に差し上げるつもりはない。
このグランプリは、元日に国立競技場に足を運んだ不特定多数の大衆に贈りたい。特に招待券で入場したのではないお客さん、自分のお小遣いで切符を買った有料のお客さんに贈りたい。
わが日本サッカー大賞は、十数年にわたって毎年、日本のサッカー史に残る不滅の業績に対して贈ってきた権威ある賞ではあるが、トロフィーも賞状もなく、ただサッカー・マガジンの誌上にその名を発表して業績を歴史に留めるのみである。
したがって、不特定多数を受賞者に選んでも何の差し支えもない。本当に功績のあったものを、幅広く自由に選ぶことが出来る賞である。
ところで、天皇杯決勝で国立競技場が満員になったことが、なぜ重要な出来事であるかを、改めて説明する必要があるだろう。
国立競技場は、12月のトヨタカップでは毎年、満員になっている。また高校サッカーの決勝戦でも満員になる。
だから、6万のサッカーファンが集まったこと自体は、目新しいことではない。
ポイントは、天皇杯の試合が満員になったことである。
天皇杯は、日本のサッカーの最高のタイトルである。これを盛り上げ権威あるものにするのは、まず第一に主催者の日本サッカー協会の義務である。
その義務を、長年にわたって協会は、ないがしろにしてきた。
外国のクラブチーム同士の試合や高校生の試合が人気を集めて、日本最高のタイトルが、ファンを集められないのは、協会の、ひいてはサッカーの恥だった。
それが、曲がりなりにも。今回は解消された。これは、めでたい。
というわけで、日本サッカー大賞を、ここに天皇杯決勝の大観衆に贈るものである。
協会も自ら努力を!
ボールを蹴ったことのある人たち全部の力を結集しよう!
元日の国立競技場が、なぜ満員になったのか? 恵まれた条件が、いくつかあったことは確かである。
まず、当日のお天気がすばらしかった。ぽかぽか陽気だった。
決勝戦のカードが、日産対読売クラブで、これは日本一を争うにふさわしい人気カードだった。
準決勝から決勝まで中8日の間があったのもよかった。これまでは暮れの30日が準決勝だったので、決勝戦のカードが決まった後でPRする時間がなかったが、今回は、日産も読売も、系列の会社などに対して応援を呼び掛けることが出来た。
また、Jリーグ発足の宣伝が、サッカーへの関心を高めていたのも役立っただろう。
このような恵まれた条件の他に特別な仕掛けもあった。これについて、ちょっと説明しておこう。
日本サッカー協会は、その前年の天皇杯の前に、2000万円の予算を組んで、天皇杯決勝を盛り上げるためのキャンペーンを電通に依頼した。
広告会社にキャンペーンを依頼することには、問題もある。
とくに前年度の場合は、競技場の看板広告などのお金集めは、他の広告会社に依頼していたので、その会社の集めたお金をライバル会社にまわすようなものだと、協会の不徳義を嘆く人もいた。
また、2000万円を広告キャンペーンに投ずるものであれば、入場料などで、それ以上の金額の増収を期待しなくてはならない。お金を使って宣伝し、招待券をばらまいて「満員だ、満員だ」と喜んでいるのなら、タコが自分の足をかじって満腹しているようなものである。
というようなことで、問題点はいくつかある。
しかし、PR企業にキャンペーンを依頼するのは、ごく近い将来に投資を回収できる見込みさえあれば、ぼくは反対ではない。
なぜなら、キャンペーンによってサッカーそのものを理解してもらえるし、国立競技場を満員にしてみせることによって、世間にサッカーの人気と面白さを知らせることが出来るからである。それが将来の収入の増加と底辺の拡大の両方につながる可能性がある。
とはいえ、いささか不満な点もある。
それは。日本サッカー協会が広告会社に頼りきりで、協会自体としては、たいした努力をしていないように思われることである。
一例をあげると、ぼくは日本サッカー後援会や大学のサッカー部のOB会など、いくつかサッカー関係の組織に属しているが、天皇杯に協力しようとか、元日に国立競技場に集まろうとか、いうたぐいの連絡は、どこからも受けなかった。
ぼくに言わせれば、天皇杯は日本サッカー協会のもっとも重要な大会だから、協会がまず自らの組織の力を結集して盛り上げるべきである。
すべてのサッカーマンが、自分たちの最高のタイトルとして、天皇杯を盛り上げるように、協会が先頭に立たなければならないと思う。
Jリーグには技能賞?
2002年立候補に敢闘賞、日産の清水監督には殊勲賞!
「1991年度の大きな出来事といえば、プロリーグ発足の態勢が出来たことじゃないか。これはグランプリ候補じゃないのか」
この友人の不満は、実は自分がサッカー大賞選考の相談にあずからなかったことであって、Jリーグの態勢作りを評価してのことではない。その証拠に、この友人の年賀状には 「Jリーグは大丈夫でしょうか」などと懐疑的なことが書いてあった。
「10チームが決まってエンジンをかけ始めたのは大きな出来事だ。日本サッカー10大ニュース、トップかもね」
とぼく。
しかし、日本に本格的なプロのサッカーを組織しようという試みは、Jリーグが成功したあとで評価すべきものである。現段階で評価するのは早過ぎる。
とはいえ、推進者たちの意欲的な行動力を記録に留めるために、ここに、技能賞を贈ることにした。
「Jリーグに何で技能賞だ。強引に突っ走っただけじゃないか?」
友人が本音の意見を出した。
いかにも、準備委員長だった川淵三郎氏をはじめとする推進者たちの思い込みの激しい理想のもとに、強引に作り上げられた感じはする。
しかし、企業スポーツの典型だったトヨタに名古屋グランパス8というクラブ組織を作らせたり、地方都市の茨城県鹿島にフランチャイズを認めたり、チームの実態のない清水を認めて同じ静岡で実績のあるヤマハを外したり、強引さの中にも巧妙な政治的策略を使っていた。
「なるほど。じゃあ技能賞は嫌味だな」
と友人。
いや、必ずしも嫌味ではない。強引さと技巧がなければ、いつまでたっても前へ進まなかっただろうからその点を正しく評価したいと思う。
ただし、フランチャイズの問題、テレビの放映権やスポンサーなどの問題、あるいは選手移籍制度の問題などで、Jリーグ推進者の人たちの考え方には「よく分かっていないんじゃないかな」と疑問に思われるところが、いまでも、いろいろある。
したがって、日本にプロサッカーが本当に根付くには、ここ3年から5年の間に、もう一波乱か、二波乱あるのではないかと思う。
そこで、とりあえずは技能賞である。
もう一つ。2002年のワールドカップ開催地に立候補し、大がかりな招致委員会を発足させたのも大きな出来事だった。これも招致に成功してから評価すべきものだろうが、施設や財政や日本代表の強化など、難しい問題がたくさん予想される中で、あえて踏み切った点は評価していい。
だから敢闘賞である。
さて、殊勲賞は日産自動賞の清水秀彦監督に贈りたい。新人監督で天皇杯を獲得した手腕は見事だった。
Jリーグ発足を見越して、いち早く社員の足を洗い、プロの監督として契約したのも、たいしたものだ。将来の大監督の素質十分だと、ぼくはにらんでいる。
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