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サッカーマガジン 1991年4月号

ビバ!サッカー 

プロリーグ発足、ここまでの評価
「トレードの勧め」などは、とんでもない話だ!

10チームに絞った蛮勇?
「強さは基準にしない」という選考基準は正しかったか?
 
 プロリーグ参加の10チームが決まった。ここまで漕ぎ付けた日本サッカー協会の関係者、とくにプロリーグ検討委員会の川淵三郎委員長の勇気に、まず敬意を表しておこう。 
 改革をやるとき「難しい」とは誰でも思う。難しいからといって、やらなければ、いつまでたっても改革は出来ない。困難を乗り越えるための蛮勇は、どうしても必要である。 
  プロリーグ結成のための最初の蛮勇は、有力な企業チームを切り捨てたことだった。 
 まず、日本リーグ1部の中から、東芝とNKK、ついで本田が脱落した。「協会の構想に、ついていけない」と参加を見合わせたのである。 
 それに大阪のヤンマーがはずされた。「本拠地を確保出来ていない」という理由らしいが、関西に、もう1チームあってもいいところで、なんとか工夫して残して欲しかった。 
 さて、プロに参加することになったチームで、この4チームより下位のところもある。2年後の発足の時点でも、同じ状態だったら「アマよりプロが弱い」と言われて格好が付かないことになる。それを見切ったのは、一つの蛮勇である。  
 日本リーグ2部の上位チームの中からはマツダと住友金属が入った。  
 マツダは1度、辞退を申し出たが地元広島の支援などもあって思い直したという。  
 日立とフジタが落ちたのは、過去の実績を考えると気の毒だが、条件を満たせなかったのであれば、止むを得ないところだろう。 
 一方、過去にあまり実績のない住友金属が入ったのは解せない。 「現在、プロ入りの条件をクリアしている」ということだろうが、下位のチームを無理して入れることはない。 
 1部の8チームだけ決めて、あとは1部に上がってから追加しても良かったのではないか。  
 こんな感想を持つのは「プロは強くなければならない」と考えるからだが、日本サッカー協会の考え方は基本的に違うようだった。
 1月30日に東京のYMCAホテルで行われた説明会で川淵委員長は「強さは選考の基準にしないことで一致しました」と発表した。 過去の日本リーグの例をみても、優勝チームが、翌年には2部に落ちそうになったり、2部から上がったばかりのチームが、いきなり優勝争いに加わったこともある。「だからいま下位だからといって除外できない」というのである。 
 これは、ちょっと詭弁に近い。 
 強くなれば、その時点で加えればいいので、弱いうちに、あわてて入れることはない。逆に現在上位にいるチームでも、下位に落ちれば、はずすことを考えていい。 
 強さは、プロと認めてもらうための、いちばん大事な条件である。アマ相撲の横綱も、プロに入ればよくて幕下からである。囲碁のプロは、アマのトップクラスに何目も置かせる。そうでなければ、プロとして食っていけない。 
 サッカーのプロも、厳しいものであって欲しいと思う。

選手の引抜きを防止せよ!
プロには、選手を集める権利があると勘違いしないように

 「プロリーグに入るチームは強いだけではだめだ。本拠地、競技場施設、観客動員力などプロとして、やっていける能力を持っていなければならない」 
 これが日本サッカー協会の考え方である。 
 これは「強いうえに、他の条件もクリアしろ」ということで、「弱くてもいい」と言うつもりではないに違いない。それを「強さは基準にしない」と妙な言い方をするから、下位のチームを入れた言い訳だろうと勘繰りたくなる。 
 とはいえ、実際には、プロに入らなかったチームで、入ったチームより強いところが出てくる可能性はある。現に東芝は、いま日本リーグで上位につけているが、プロには加わらない。2年後のプロリーグ発足の時点で、他のチームがみな東芝を上回る力を付けているかどうかは、はなはだ心細い。 
 では、どうするか。 
 川淵委員長は「各チームに協力してくれればいいと思う」と微妙な言い回しをしていた。 
  これは「プロリーグ入りしないチームは、選手をプロに譲ってやって欲しい」と言っているように聞こえた。つまり「トレードの勧め」ではないか。 
 これは、なかなかの問題である。 
 今回、入れてもらえなかったチームは、次の機会に入ることを狙っている。協会の方が「10年くらいの間に16チームまで増やしたい」といっているのだから、当然そうなる。 
 プロリーグに手を挙げなかったチームも、将来、条件が整えば加入を考えるに違いない。 
  したがって、日本リーグに残るチームだって、選手を手放したくはない。だから、簡単にトレードが成立するとは考えにくい。 
 一方、選手の方は、華やかに脚光が当たる(かどうかは分からないが)はずの、プロに入りたい。そこで、ひそかに引抜きが画策されるおそれがある。 
 説明会で、それにからんだ質問が出た。 
 「加盟しなかったチームの選手はプロチームに(自由に)移籍できるのでしょうか?」 
 川淵委員長が答えた。 
 「現在の協会の規定で、ある程度カバー出来るという考えです」
  「現在の規定は、どういうものですか?」 
 この質問に川淵委員長は、答えなかった。同席していた中野事務局長が代わって答えた。 
 「もとのチームが同意しなければ1年間はプレー出来ません」 
 つまり「現在登録しているチームの同意を得ないで、強引な引抜きは出来ない」ということである。 
 これは、選手の保有権の問題で、世界各国の、いろいろなスポーツで非常に微妙な問題になっている。 
 プロに加わったチームが、選手をとる特別な権利が出来たと勘違いしないように、協会が明確な態度を示してほしいと思う。「トレードの勧め」など、とんでもない話である。

バルコム監督からの電話!
世界にはサッカーのコーチのマーケットがあるのだが……

 先日、ぼくの自宅にオランダから電話がかかってきた。 
 「ハロー、おれだ。ファン・バルコムだ」 
 「おや、ずいぶん久しぶりだな。どうしてる?」 
 「サウジアラビアでクラブ・チームの監督をやってたんだが戦争が始まって、逃げ帰ってきた」
 「そりゃ、たいへんだったな」
 「ところで、日本のサッカーはどうだ。プロリーグが出来るって聞いたが、おれと契約しようというところはないかね」
 フランス・ファン・バルコム。 
 十数年前に読売サッカークラブの監督だったオランダ人だ。 1972年に西ドイツの西部サッカー協会のベッカーさんという事務局長の推薦で日本に来て、当時、日本リーグ2部7位で苦戦していた読売クラブを引き受けて、3年目に優勝させた。その話を、ぼくが英文で海外に紹介したことがある。 
 それが伝わって香港の代表チームの監督に招かれ、さらにイラン、インドネシア、サウジアラビア、米国と世界各地をまわって、クラブ・チームや代表チームの監督をしていた。どこの国でも、国内リーグで優勝したり、代表チームで好成績を収めたり、実績を残している。 
 オランダの有名な監督のウィール・クーバー氏と一緒に日本に来て、クーバー氏の工夫した新しいサッカー・テクニックの指導法を紹介したこともある。 
 このクーバー方式の指導法は、若い選手にテクニックを身につけさせるのに非常にいい。最近、オランダやイングランドの若い選手のボール技術が良くなったのは、クーバー氏の影響だという人もいるくらいである。日本では、ぼくが日本語にして翻訳やビデオを出したが、あまり活用されていないのは残念だ。 
 ファン・バルコムは、米国で、このクーバー方式で若手を育てるのに情熱を燃やしていたが、昨年の9月にサウジアラビアのプロの監督に引き抜かれた。そして、たちまち戦争に巻き込まれたわけである。 
 さて、ファン・バルコムの経歴を詳しく紹介したのは、世界のサッカーにはプロの監督のマーケットがある実例を示したかったからである。 
 ファン・バルコムは、読売クラブを足場に、いわば腕一本で、世界を股にかけて渡り歩いた。一つのところで好成績をあげると、それが実績になって次の仕事が来た。実力と努力があれば、チャンスは世界に開けているわけである。 
 日本でも、プロリーグが出来るのなら、実力ある監督、コーチのための、マーケットがなくてはならない。
 選手が実力主義のプロで、監督は年功序列のぬるま湯では、プロと称するわけにはいかない。 
 ところで、ファン・バルコムの実績を買って日本でひと働きしてもらおうというチームはないだろうか。あったら、編集部気付けでご連絡いただきたい。ぼくは、もう一度、彼に日本でチャンスを与える価値は十分あると思っている。


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