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サッカーマガジン 1991年3月号

ビバ!サッカー 

九州の指導者に日本サッカー大賞
アジア大会女子代表と、
     高田審判には殊勲・敢闘、技能賞

九州の指導者に大賞を  
国見の小嶺監督をリーダーに地域のサッカーを盛り上げた

 ジャジャーン!
 と、恒例の「日本サッカー大賞」で、このぺージを埋めるつもりだったのだが、天皇杯のこと、高校選手権のこと、プロ・リーグのことなど書きたいことが多過ぎる。そこで、サッカー大賞を駆け足で選考して、他のことも少し付け加えて書かせてもらうことにする。 
 ともあれ、まずは日本サッカー大賞の発表を!
 この賞は、賞状もトロフィーもなく、ただ、その名を誌上にとどめるだけだが、もっとも権威がある賞だと、選考する本人は信じている。 
 ジャジャーン!
 「1990年度の日本サッカー大賞は、高校選手権のベスト4に九州勢3校が進出した画期的業績を記念して、国見高の小嶺忠敏監督をはじめとする九州のサッカー指導者に贈ることに決定いたしまーす!」 
 九州の高校サッカーの指導者は、競い合いながらも、結束して研修大会を開いたり、合同合宿をしたりして、地域のレベルアップに血のにじむ努力を積み重ねた。その中で見逃せない点を三つだけ挙げておこう。 
 第一は、国見高の小嶺監督の視野の広さである。 
 島原商−国見高を通して小嶺監督は自分のチームを強くするために、あらゆる努力を注ぎ込んできた。これも、たいしたものだが、ぼくが感心するのは、小嶺監督が自分たちのサッカーの良さを育てながらも、外部のいいものを取り入れて幅を広げていったことである。数年前に、寸暇を割いてブラジル、アルゼンチンにサッカーを見に行った話は、その当時、このページで書いたことがある。目を広く開いて外のものを取り入れながら、地元のサッカーを大きくしたのはたいしたものだ。その考え方は、九州の他の高校の指導者にも強い影響を及ぼしている。
 第二に、少年、中学サッカーとの結びつきである。 
 国見高チームは、多比良少年団、国見中学校と下からつながって上がってきた選手が主力になっている。これは、学校を母体にしながら、地域クラブが生まれてくる一つの形になるのではないか。高校選手権で2位になった鹿児島実の松沢隆司監督も、鹿児島のレベルが上がったのは少年団と中学の指導者のおかげだと話していた。
 第三に地域のサッカーを盛り上げようという九州全域の指導者の強い意志がある。        
 鹿児島や熊本や宮崎の少年サッカーで育った選手が東京の有名校に行ってしまう例が、これまでにいくつもあった。「これでは九州のサッカーは盛り上がらない。子供たちにとって魅力あるサッカーを九州に根付かせなければ」と先生方は考えた。あらゆる努力の基礎に、こういう地域の意地があった。 
 願わくば九州のレベルアップが高校の段階で止まらないように、さらに大人のサッカーにもつながっていくように――。 
 そう祈って、ここに九州のサッカー指導者全員に「日本サッカー大賞」を贈ることにする。

女子代表に殊勲・敢闘賞!
背筋の凍るアジア大会での奮戦。W杯の高田審判に技能賞

 実は、日本サッカー大賞の候補には、北京のアジア大会で銀メダルをとった女子の日本代表チームを考えていた。
 2位になったから表彰しようというのではない。競技の成績は、ちゃんと銀メダルによって表彰されているのだから、その上に、さらに表彰を付け加えることはない。ビバ!サッカーは、結果だけをみて選考するようなことはしない。 
 女子日本代表を大賞候補に考えたのには、銀メダルという結果だけではない理由がある。
  天皇杯決勝のあと、国立競技場の中のレストランで「四十雀クラブ」の新年会があった。これは、40歳以上になった関東地方のサッカーOBの懇親クラブである。
 その席上で、女子連盟の会長の加納孝さんが、日本代表女子チームの試合ぶりを報告した。 
 「北京で一番大事な試合は台湾との対戦でした。過去に一度も勝ったことのない強敵ですが、目標のメダル獲得のためには、どうしても突破しなければならない相手でした。実力は向こうが上ですが、日本の女子選手たちは、死力を尽くして、すばらしい試合をしました。見ていて背筋が凍る思いがしました」 
 言葉通りに覚えてはいないが、こういう内容だった。 
 加納さんは、40年くらい前、すでにベテランの日本代表選手だった方である。戦争と戦後の荒波をくぐりぬけてきた経験をもち、勝負の厳しさも十分にご存じのはずである。その加納さんが「背筋が凍る」ほど感動したという。技術と体力と知力のすべてを傾けて戦う選手たちの気迫に、鬼気迫るものがあったのだろう。銀メダルという結果でなく、この試合ぶりに「日本サッカー大賞」を贈ることが出来そうである。 
 高校選手権が終わった後、九州の指導者と女子代表チームのどちらをグランプリにしようかと考えた。 
 女子には、すでに銀メダルが贈られている。九州の指導者の長年の地道な努力には、ビバ!サッカーのほかには、賞を贈る人はいないだろう。そう考えて、グランプリは九州の指導者に決定した。 
 女子日本代表には、これが世界への第1歩となることを期待して、敢闘賞と殊勲賞を合わせて贈ることにする。 
 さて、技能賞にはイタリアのワールドカップの審判員だった高田静夫氏を選んだ。高田氏は、1986年のメキシコ大会でも審判員に選ばれたが、あの時の高田氏の笛は、今だから率直にいうと、ぼくには感心できなかった。 
 今回、イタリアでは、線審3回、主審1回を務めた。1次リーグだけでなく、決勝トーナメントにも残った。線審としてはトップクラス、主審としての出来も良かったと思う。これは、ぼくだけでなく、イタリアまでワールドカップを見に行った、口うるさい友人たちも、評価している。
 国内のサッカーのレベルが低い中で、世界の仲間入りできる審判技術を身につけたのだから、これは技能賞であり、努力賞である。

プロ・リーグヘの心配 
本田に続いて、マツダも下りた? 計画は仕切り直しを!

 元日に天皇杯の会場で友人たちに会った。彼らは、いろんな情報を持っている。 
 マツダがプロ・リーグから下りたらしいよ。本田も前に下りちゃっている。有力企業をサッカー界から次々に失っていいのかね」 
 「マツダが下りたら、フジタが広島を本拠地にするという説もある」 
 日本サッカー協会のプロ・リーグ準備の関係者は堅く口を閉ざしているということだから、うわさの出所は当のチーム筋のようだ。 
 プロ・リーグの構成チームは、2月か3月には決めるという話だ。いや「実際には、もう決まっている」という推測も流布している。 
 友人たちの推測は、次の中から8ないし10チームである。カッコの中は本拠地だ。 
 読売ク(東京または川崎等々力)、日産(横浜)、全日空(横浜)、JR古河(千葉)、三菱(埼玉)、ヤマハ(静岡)、トヨタ(愛知)、松下(大阪)、ヤンマー(大阪または神戸)、フジタ(広島)
 「いまの日本リーグから有力企業が、いくつか抜けて、かえって弱体化するじゃないか」
  という友人もいた。 
 マツダでは、会社のトップが、プロ・リーグの運営方針に疑問を持ったのだという。 
 ぼくは、プロ・リーグに「総論賛成」だが、各論では変だと思っていることが山ほどある。
 @放映権 試合のテレビ放映権は原則として、ホームチームのものである。協会の検討委員会では、リーグが握って一括して売るとしているようだが、もっとも重要な収入源を取り上げて、どうしてプロ・チームが経営できるのだろうか。(リーグが握るのなら、各チームに、それぞれ十億円以上配分できるようでなければ成り立たない)
 APR会社=現在のプロ・リーグ設立準備には、広告会社の博報堂が深く関わって協力している。設立初年度に各チームから1億4千万円ずつ拠出させることになっているが、その大半をPR費として、この広告会社に扱わせる予定だと、協会側の担当者は言っていた。設立準備のために提供させたサービスに対しては別途に報酬を支払うべきで、発足後のビジネスは、発足したプロ・リーグが決めるべきではないか。(この点を追及されたので、発足後、他の会社にも参入の機会を与えることにしたというが、明確ではない)
 B参加チームの発言権=プロ・リーグを、どのように運営するかは、リーグを構成するチームが協議して決めることである。現状では参加する側には、ほとんど発言権がない。(今は、プロに参加させるかどうかを生殺与奪の権にして、脅しをかけられているようなもので、ご無理ごもっともというしかない、というチーム関係者がいた)
 ともあれ、マツダのような実績も条件も整っているところが、自ら下りるようでは困ったものである。明確な方針をオープンにして、プロ・リーグ準備を仕切り直しにしては、どうだろうか。


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