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サッカーマガジン 1990年12月号

ビバ!サッカー 

頭と足を結びつかせるのが監督の仕事
テクニックはある、運動量もある
         ――でも勝てない理由は?

“落とし受け”って何だ? 
W杯でベアーズリーが見せた動きが日本の選手には少ない

 毎月1度、友人がぼくの家に来てワールドカップの試合について高説を述べる。ぼくも、自分の見た試合について意見を言う。お互いに自分の見なかった試合の知識を得ることが出来るから、なかなか有益である。 
 実をいうと6人くらいの仲間を集めて検討会を開きたい。そうすれば全試合をカバー出来るんじゃないかと思う。読者はご存知のように、うるさいけれども、サッカーについて、自分の考えを持っている友人たちがいる。彼らの大部分は、4年間こつこつと貯金して、自分のお金でイタリアに行った。 
 こういう連中の感想を、ぜひ聞いてみたいのだが、お互いに、あいている時間を持ち寄るのが、むずかしいから、これは、まだ実現していない。 
 NHKが放映したテレビのビデオは見ているが、今回のイタリア国営テレビの映像は、遠景が少なくアップが多いので戦術的な動きは分かりにくい。 
 友人の中に、どこで手に入れたのか知らないが、一部の試合について全景ばかりの映像を持っているのがいる。選手は豆ツブみたいにしか写っていないが、全体の動きは良く分かる。一つのチームについて、1試合でも、この手のビデオがあると非常に助かる。読者の皆さんの中に、この手のビデオをお持ちの方がおられたら、ぜひ、ご協力いただきたい。有益な検討会が出来るんじゃないかと思う。 
 今のところは2人だけでやっている検討会で、友人が「落とし受け」という言葉を使った。 
 「落とし受けって何だ?」 
 「ぼくのチーム仲間では、いつも使っているんだけど…」 
 イングランドが西ドイツからあげた同点ゴールの場面である。 
 中盤右のライン近くにいるパーカーにボールが渡ったときに、ベアーズリーが、そのボールを縦に受けようと右外に走り出る。しかしパーカーはゴール正面にいるリネカーに向かってクロスを上げる。 
 クロスが上がろうとする瞬間にベアーズリーは反転して、ゴール正面に戻る。ゴール前でリネカーが競り合ってボールが、こぼれ出た場合に、それを拾える位置である。 
 「これを“落とし受け”の場所に行くと言うんですよ」 
 と友人が説明した。    
 ゴール正面で、リネカーは自分でボールを処理して同点ゴールをあげた。ベアーズリーのところに、ボールは落ちて来なかった。 
 「ベアーズリーは、一つの狙いを持って走り出る。その狙い通りに展開しなかったときに、すぐ次の狙いに切り換えて“落とし受け”に行く。日本の選手には、こういうプレーが少ない」 
 ぼくたちの検討会は、こういう調子である。

アジア大会の日本代表  
選手の技術や闘志は悪くないがチームの動きに問題が……

 これは別の友人だが、アジア大会が北京で行われているときに、やはり、ぼくの家に訪ねてきた。男子の日本チームが、準々決勝でイランと対戦する前である。 
 「テレビで見たけど、残念ながら日本には見込みはないな」 
 と友人が言う。 
 「お前の推薦していたラモスやカズ(三浦知良)が、よく画面に登場していたじゃないか」 
 とぼく。 
 「うん、たしかにボールをさばいていたけど、ワンプレーだけだ」 
 自分のところにボールが来ることを予想してボールをもらう動きをする、ボールが来たら、ミスしないで処理して次の攻めにつなぐ――そういうことは、やっていた。 
 「しかし、それだけだ。自分のところにボールが来なかったときは役に立っていない」 
 自分のところにボールが来なかったらすぐ次の展開を予測して動かなければならない。
  ボールを受けに走ったがパスは来なかった、しかし自分はボールなしの動きで相手を引き付けた、それでちゃんと役目は果たした――それだけでは不十分である。一つの役目を果たしたあと、次のプレーのために、すぐ判断を切り換えて動かなければならない、その頭の回転と動きが遅い、というのである。 
 この意見は、ワールドカップの準決勝で、イングランドが同点ゴールをあげたときのベアーズリーの動きを、思い出させる。ベアーズリーは、右外に走り出ようとしたが、すぐ反転して“落とし受け”の位置に走った。ボールは落ちて来なかったが、判断は正しく、早かった。 
 「こういうことを日本の選手たちは教えられてないんじゃないのか。横山監督や落合コーチは何をやっているんだ」 
 友人はテレビの画面を見ただけで、十分な情報を持っていないくせに1人で噴慨していた。 
 ぼくがテレビの画面で見たところでは、日本の選手たちは悪くない。ワールドカップのプレーを、さんざん見たあとなので、それに比べると歯がゆくなるのは仕方ないが、アジアのレベルの中では、十分に戦えるし、優勝を狙う力もあるように思った。一人一人の選手たちのボールを扱うテクニックは、他のチームにくらべて劣らない。動きの量は他のチームの選手たちより多いし、闘志にも、あふれているように見えた。 
 「選手たちは悪くない」 
 これがぼくの印象である。 
 残念ながら――。 
 準々決勝で日本はイランに完敗した。友人の予想の方が当たった。 
 「選手たちは悪くないんだったら、誰が悪いんだ」 
 この次に会ったら、友人がぼくに食ってかかるのは、目に見えている。

チームプレーの指導法
ベアーズリーのようなプレーの考え方を選手に教える方法!

 ワールドカップのプレーを一緒に検討している友人は「ベアーズリーのような動きを選手たちに教えることは可能だ」と言う。 
 友人は、自分が監督をしている大学チームで、実際に、それを試みているらしい。 
 その大学チームのレベルは、あまり高くない。傑出した選手もいない。 
 しかし、小学生のサッカーが盛んになったおかげで、少年のころからボールになじんでいた学生が結構はいってくる。ボール・テクニックがいいというほどではないが、20年前、30年前の選手たちに比べたら、問題にならないくらいボールになじんでいる。 
 サッカーについての知識も十分に持っている。テレビの普及や「サッカー・マガジン」のおかげで、世界のサッカーの動向やチームプレーについても、よく知っている。 
 しかし頭に知識があって、足にテクニックがあっても、試合のときに頭と足とは、すぐには結び付かない。結び付けるのは、監督とコーチの仕事である。 
 友人の監督は、そのために自分でビデオを編集している。 
 これには、アイデアがいる。 
 まず、どういうプレーを教えるかを考えなければならない。 
 いろんなことを、いっぺんに教えようとしたら選手は混乱するだけである。だから、いま教えなければならないプレーは何かを、一つ決めなければならない。選手のレベルとチームの状況に応じて、プレーを選ぶ必要がある。 
 放映された試合や自分で撮ったビデオの中から、そういうプレーを選び出してコピーし、分かりやすいように編集する。 
 それを選手たちに見せて、なぜ、そういうプレーが必要か、監督は何を求めているか、それぞれの選手が何を考えなければならないか、を理解させる。 
 その上で、グラウンドでそのための練習をする。練習の方法にもアイデアがいる。 
 実際の試合の状況は千変万化で、ビデオに出ているのと同じ場面が自分たちの試合で出てくるわけではない。必要なのはプレーの考え方を理解して、自分たちのレベルに合わせて応用することである。応用の仕方の練習は教科書にないから。それぞれ工夫しなければならない。 
 友人の監督は、自分のアイデアにかなり自信があるらしい。「ぼくの編集したビデオを、みんなに見てもらいたいな」と言っていた。 


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