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サッカーマガジン 1990年11月号

ビバ!サッカー 

日本代表監督はプロの指導者に!
プロ・リーグより先に協会がやるべきこと

横山全日本の正念場?  
北京アジア大会で3年間の強化の成果を見せなければ…

 日本サッカー協会が、2002年ワールドカップ招致の委員会を作って、いよいよ本格的に乗り出すことになったので、わが「ビバ! サッカー」も「2002年をめざして」とサブタイトルを付けて、明るく、楽しく、衣替えしようと提案したら真面目な編集長が反対した。 
  「いや、やはり、ビバ!サッカーは、いろいろな問題を、自由に取り上げて、2002年に限定しないで書いてもらうことに…」 
 これを聞いて例の友人が喜んだ。 
 「さすがに編集長は、よく分かっている。延々と2002年まで書き続けられては、たまらんと歯止めをかけたわけだ」 
 ぼくは、そうは考えないのだが、とりあえずは12年後の話ではなく、手近な話を取り上げることにした。いちばん差し迫った話は、北京のアジア競技大会である。 
 友人が言う。 
 「アジア大会は、横山兼三監督の正念場だな。ここで勝てないようでは監督交替だよ」 
 ぼくがうわさに聞いたところでは、横山監督は、就任の時に6年間やらせてもらう約束をしていて、日本サッカー協会の理事会で承認されているということである。 
 横山体制になったのは、日本代表がソウル・オリンピック予選に負けたあとの1988年だから、6年間というと、1994年に広島で開かれるアジア大会までになる。 
 「冗談じゃない。そんなに長くは待てない。アジアで勝つくらいのことは、今年の北京でやってもらいたい。今度は、ラモスとカズが入ったからな。やれるんじゃないか」 
 友人の好みは「巧くて、速くて、賢い」選手で、読売クラブのラモスと三浦知良は、その代表だと信じこんでいる。この2人が入ったので、その点は、ご機嫌である。 
 「うーむ」 
 ぼくは、1年半近くニューヨークに駐在していて、横山全日本の戦いぶりを見ていないので、あまり発言権はない。 
 「でも、2年前に横山監督のチーム作りを見ていたときは、強くて、速くて、頑張る選手を集めるつもりだったと思うんだが…」 
 ぼくは、他の友人から聞いた話を受け売りした。 
 「その方針を貫くんなら、いまごろラモスやカズを入れることはないんじゃないか。それに彼らを入れるんだったら、日産の木村和司も入れてコンビを組ませたらいいじゃないか」 
 正念場の大会の直前に、横山監督が、中途半端に方針変更したんでなければ、幸いだとぼくは思った。
 横山監督は北京の大会に自分の信ずるサッカーを賭けて欲しいと思う。
 そして、6年間の約束が事実であっても、失敗したら潔く辞任すべきである。 
 北京から金メダルを持って帰ったら、これはもう、言うことはない。 
 批判に惑わされることなく、米国ワールドカップを目指して、強いチーム作りに突進してもらいたい。

代表の監督もプロに!
代表チームの監督が、協会の理事を兼ねるのはおかしい?

 横山兼三監督が「長期政権」の約束をもらっていると聞いて、友人の1人が言った。
  「兼三も、やるなあ」 
 監督を引き受ける方は、短期間ですぐ首を切られては、かなわない。思い通りのチーム作りをするには、ある程度の時間がいる。6年間の約束をもらっているのが、本当だとしたら「監督の協会に対する勝利だ」というのが、友人の答えである。 
 「裏を返せば、協会はバカだな、ということだ」 
 と、友人は付け加えた。 
 長期の約束をしてしまうと、仕事ぶりが悪かったときに、やめさせることが出来ない。だから、ある程度仕事ぶりを見極められる期間の約束をして、さらに延ばすかどうかは、その間に考える方が得策である。 
 「まあ、せいぜい最初は2年契約だな。そして延ばしても、日本代表の監督は、通算4年だ」 
 ここまで聞いて、ぼくは、友人の考え違いに気が付いた。友人は、横山兼三監督が、プロの指導者として日本サッカー協会と契約していると思っているらしい。 
 「横山監督は、いまでも三菱に籍があるらしいよ。日本代表をやめれば、三菱にサラリーマンとして戻ることが出来るらしいよ」 
 「ふーん」 
 「それに横山監督は、日本サッカー協会の理事だよ」
 「それは、おかしい」  
 友人は突然、憤慨しはじめた。 
 友人の理論はこうである。 
 ナショナルーチームの監督は、プロの気慨を持って、協会と対等の立場で、契約するのが本当である。 
 契約の一方の当事者は、サッカー協会の理事会で、もう一方の当事者は監督本人である。 
 同じ人物が、雇う方と雇われる方の両方を兼ねているのはおかしい。そんなことでは、監督は、協会に対して思い切った要求を出せないし、協会は同じ理事の仲間を、成績が悪いからといって、簡単にはクビに出来ないではないか…。 
 友人の理論を聞いて、ぼくも、「なるほど」と思った。 
 いま日本リーグ上位の、日産、読売クラブ、全日空の監督、コーチは契約のプロである。だから、日本にもプロの監督、コーチがいないことはないのだが、プロの指導者のマーケットがないことは確かである。 
 したがって、日本代表チームの監督をプロとして雇っても、辞めさせたあとに、行くところを探すのが難しい。そのために、専任で抱えながら、理事にするというような、アマチュアくさいことになるのではないか。 
 しかし、たとえば、年収3000万円出すといえば、意欲のある優秀な人材と契約できるかもしれない。もし、日本に候補者がいなければ、外国から呼ぶことが出来るんじゃないか。 
  プロ・リーグ結成よりも、日本サッカー協会が、年に3000万円の資金を作ってプロの監督と契約するのが先だ――と考えた。

任期は4年で十分だ!
代表チームは一つだから、常に新しい風を入れなければ!

 「代表チームの監督の任期は4年で十分だよ」 
 と、友人が言う。もちろん、友人なりの理屈がある。 
 ナショナル・チームにとって、重要な大会は4年に1度のワールドカップだ。一つのワールドカップを1人の監督に請け負ってもらうという考えである。 
 日本の場合は、ワールドカップの出場権を得るのを当面の目標にするほかはないから、予選のあるワールドカップの前の年からの4年間が区切りになる。 
 ワールドカップと同じ年にアジア競技大会があるが、ワールドカップ予選の方を主目標にする。予選で敗れたら監督交代で、アジア大会は次の監督の最初の仕事になる。 
 契約はまず2年。最初の2年で仕事ぶりか悪かったら、新しい監督にワールドカップ予選までの次の2年をやってもらう。
 もちろん、都合の悪い点が、すぐに見つかったら、即座に監督を代えなければならない。ただし、その場合は、2年間の契約の残り期間の報酬は、支払う必要がある。監督の側から言えば、2年間ぐらいは、保証してもらわなければ、引き受けられない。 
 優秀な監督で、フロント・スタッフや選手たちとの相性が良く、好運にも恵まれて、代表チームが好成績をあげたとしよう。 
 友人によれば、その場合でも、4年間やってもらえば、次は新しい監督にする。さらに4年後に、もう一度ということはあるが、引き続いては4年間を限度とする。 
 その理由は、代表チームは一つしかないからである。 
 単独のクラブ(チーム)は、たくさんあるから、いろいろな人材が、いろいろなチームで競いあって、力を見せることが出来る。 
 しかし、ナショナル・チームの監督には、1人しかなれない。だから1人に長くやらせてマンネリになるのは、警戒しなければならない。そして、次の人材にチャンスを与えて、常に新しい考え方を取り入れる必要がある。 
 「なるほど、日本リーグの単独チームでも、それはあるな」 
 ぼくには、思い当たるところがあった。 
 名門の企業チームでは、監督を2−3年すると会社の仕事に戻り、選手をやめた中から次の監督が出る。 
 会社の中の年功序列と同じで、仲間の間で監督をたらい回ししてるようなものである。だから監督が変わっても、サッカーは変わらない。 
 ところが、新興チームは、他のチームや外国からコーチを招いて、新しい風を入れて成功している。このところ、日本リーグで上位を占めているのは、そういうチームだ。 
 「代表チームは、なおのこと、新しい考え方を入れて、ときどき流れを変えてみる必要があるね」 
 いまの日本代表監督は、丸ノ内の大企業チーム出身だから、この次は、別の毛色の変わったチームの出身者を考えた方がいいかもしれない。


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