おしゃれな開会式
芸術の都ミラノにふさわしい優雅で高尚な開会式だった!
1年あまり住んだニューヨークを離れてイタリアへ来た。もちろん、ワールドカップを見るためだ。
ニューヨーク−ミラノの往復航空運賃が750ドル、約11万5千円。ミラノに長期滞在用ホテル(レジデンス)のアパートを通しで借りた。ベッドが4人分あって40日間、350万リラ、約44万円。フルに活用すれば1人1日2750円になるが、実際には、ここを根拠地にしてイタリア各地を飛び回るのでムダが多く、それほど経済的ではない。
しかし、小さな台所が付いているので、朝食や夜食くらいは、自分たちで作ることが出来る。ミラノにただ一軒の日本食料品店「ぽぽろ屋」で、イタリア産のコシヒカリの「イタヒカリ」を買い、6月8日の開会式には、おにぎりを作って出かけた。
というわけで、気楽にスタンドに座っていたのだが、午後5時15分にはじまった開会式は、おにぎりを食べながら見るには、ちょっと優雅で高級すぎた。
飾り付けのテーマは、大輪の花だった。フィールドの中央に巨大なサッカーボールがある。花で亀甲模様を描いてある。その周りに参加24カ国の国旗の模様の大きなボールがある。中央の巨大なボールは実は風船で開会式の終わりごろに空高く舞い上がり、同時に周りの国旗のボールがぱっと開いて、これも大輪の花になった。花の色調が、ちょっと渋くて粋である。いま世界のファッションの中心になっているミラノの感覚なんだろう。
24カ国の国旗が入場する。それぞれのナショナル・カラーのタイツでお人形のようにぴったりと身を包んだ少女たちが、音楽に合わせて踊りながら国旗を運んだ。これはダンスの入場式だ。
ワールドカップの開会式には、オリンピックのような選手団の入場行進はない。選手たちは各地の会場でそれぞれ最後のトレーニングをしているからである。
これまでのワールドカップの開会式では、選手団の入場行進の代わりに、子供たちが各国のユニホームを着て行進したのだが、今回は、それもなかった。子供たちではなくてすてきな女性のモデルたちが、競技場の中をファッション・ショーさながらに練り歩いた。モデル嬢たちは四つのグループに分かれていて、それぞれ世界の四大陸を象徴するカラーの衣裳である。アジアは黄、アフリカは黒、アメリカは赤、欧州は緑だった。
スカラ座のオーケストラと合唱団の典雅なコーラスに合わせて女性たちが退場して開会式は終わり。ファッションと音楽の都、ミラノにふさわしい優雅でおしゃれな開会式だった。わずか25分間。思うに開会式の最短記録ではないか。
イタリア、アルゼンチン、カメルーン、ブラジルから4人の大統領が出席していたが、お偉方の演説は一つもなかった。これはすばらしい。
十分に楽しめるショウだったけれど、大衆のスポーツの開会式にしては、高尚すぎた気もする。
始まりは、おとなしく?
お祭り騒ぎは目立たず、アルコール禁止令も出ていたが…
「意外に静かだね、盛り上がっていないな」
開会式の前日に、東京からミラノへ着いた友人の感想である。
確かに、これまでのワールドカップにくらべると飾り付けは控え目で町の騒ぎはほとんどない。
飾り付けについて言えば、大会のマスコットの組み木の人形「チャオ」を使ったものは、高級ブティックや貴金属店にはあるのに、大衆的な店ではあまり見かけない。
「このデザインを使うための権利金が高過ぎたんじゃないのか」
これは友人の邪推である。
こういう大会のマスコットやロゴの権利金で資金を稼ぐのは最近のスポーツ大会では、ふつうになっているが、サッカーは大衆の祭典なんだから、安い権利金で広く使ってもらって、PRに役立てた方がいいと思った。
お祭り騒ぎが目立たない理由は二つ考えられる。
一つは、ミラノの開幕試合はアルゼンチン対カメルーンで、インフレのきびしいアルゼンチンからは、あまり応援団が来なかったためではないだろうか。例の「アル、ヘン、ティナ!」の練り歩きは、ミラノ中心部のゴシック建築の大聖堂「ドゥオモ」の前の広場で、開会式の前日と当日に見かけた程度だった。ミラノの市民は、もともと優雅で高尚だし地元のチームが出るわけでもないから、おとなしいのは当然である。
お祭り騒ぎが目立たなかった、もう一つの理由は、当局の取り締まりが、むやみに厳しかったことである。開幕の2日くらい前から、ミラノ中央駅、ドゥオモの広場、競技場の周辺は、警官と兵隊さんがあふれていた。
厳しい取り締まりで、びっくりしたのはアルコール禁止令だ。
ワールドカップの試合のある町では、試合当日は酒類を売ってはならない――という特別の法律が出来ていた。
試合が終わって、深夜に開いているピザの店をやっと見付けてはいったら「ワインは出せません」ときた。これには、がっくりである。
しかし、イタリア人がワインなしで食事をするとは、到底考えられない。地元の人たちは、明らかにワインと思われる赤や白の液体をグラスについで食事をしていた。
ところが、ぼくがテーブルに着くと、マネジャーが出てきて「すみませんが、きょうは水だけで……」と言う。胸の前にぶら下げていたワールドカップの記者カードがよくなかったらしい。
「まわりのテーブルの人たちが飲んでいるのはなんだ」
とぼくが尋ねた。
「あれと同じ、ブドウから作った水を出してくれ」
結局、おとなしそうな年輩の東洋人のために、こっそりと、その「水」を出してくれた。
無理な規則が長続きするはずがない。同じように、お祭り騒ぎが目立たないのも、開幕当初だけに違いない――とぼくは思った。
波乱の1次リーグ
レベルの高いアフリカ勢!アジアだけ取り残されている?
開幕試合では、アフリカのカメルーンが、前回優勝のアルゼンチンを1−0で破った。
翌日の新聞に「史上最大の番狂わせ」と書いてあったが、これは大げさだ。1950年の大会で米国がイングランドに1−0で勝ったのも、1966年の大会で朝鮮民主主義人民共和国がイタリアを1−0で破ったのも、それぞれ「史上最大の」番狂わせだった。
試合についての感想は、週刊で出ているサッカー・マガジンの別冊特集に書いているので、ここでは簡単に触れるだけにするが、カメルーンのサッカーは、なかなかのものである。ひとりひとりの選手のボールを止めたり、さばいたりする能力は、南米の選手以上に巧妙。攻守のチームプレーも一流だった。「番狂わせ」には違いないが、試合内容から見れば「大」の字を付けるほどのことはない。アフリカのサッカーレベルは、かなり高いのである。
さて、開幕試合の翌日はローマへ飛んだ。地元イタリアの試合ぶりを見るためである。
ローマはすでに「静かで優雅な」ミラノの開幕とは大違いだった。赤、白、緑のイタリアの旗を押し立てた車が、クラクションで拍子を取り続けながら走り回っていた。
総屋根付きになったオリンピック・スタジアムのスタンドは、旗と歌と歓声のるつぼである。
やっぱりワールドカップは、こうでなくちゃいけない。とり澄ましていてはサッカーじゃない。
イタリアは、オーストリアに1−0の辛勝。最近の欧州のサッカーの傾向を代表するような厳しく、スピーディーな試合だった。
同じ日にバリで行われた試合では、ソ連がルーマニアに2−0で敗れた。1次リーグは、どうやら波乱の連続のようだ。
3日目はトリノに飛んでブラジルの試合を見る。スウェーデンに2‐1で勝ち。スタンドで会った友人が
「ブラジルはあまりよくないね」と批評したが、ぼくは、そうは思わなかった。個人の能力は、他の国とは格が違う。マラドーナやフリットのようなリーダーはいないが、それをカバーするために、新しい戦法を試みている。この大会で戦術面でもっとも注目すべきチームである。
4日日はジェノバへ。列車の中で一緒になったスコットランドの若者が「相手はコスタリカだからな、楽勝だよ」と言っていたが、結果はコスタリカが1−0で勝ち。中米のサッカーも悪くはない。 次の日、ベローナで韓国がベルギーに2−Oで敗れ、パレルモでオランダがエジプトと1−1で引き分けた。テレビで見たところ、韓国は頑張ってはいたが、サッカーの質も力も欧州のプロとは差があった。
エジプトは終了直前のPKで追いついて引き分けに持ち込んだが、それまでの戦いぶりも悪くなかった。
世界のサッカーの中で、アジアだけが相変わらず、取り残されたままのようである。 |