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サッカーマガジン 1990年7月号

ビバ!サッカー ニューヨーク発

W杯をめざす米国代表チーム
米国協会と契約し給料をもらう選手たち

W杯代表の周到な準備!
東部でのウォームアップ試合では、のびのびと試合をした

 ニューヨーク発のビバ・サッカーは今月が最後になる。というのは、来月はワールドカップを見にイタリアに行き、そのあと日本へ帰ることになったからである。1年4カ月で米国駐在を解かれるのは、せっかくマンハッタンの生活に慣れたところだけに非常に残念なのだが、新聞社の社員として宮仕えの身だから、辞令が出れば従うほかはない。もっとも宮仕えも終わりの年齢になったので、そろそろ年貢を納めて、次はサッカーの本場の欧州に移ろうか、などと勝手なことを夢みている。 
 ともあれ、ニューヨークからの最後の原稿では、40年ぶりにワールドカップ出場権を獲得してイタリアに行く米国代表チームを紹介しよう。 
 米国代表チームは、5月の上旬に米国東部で一連のウォームアップ試合を行った。 
 5月5日にニューヨークの隣のニュージャージー州のピスカタウェーでマルタ代表に1対0で勝ち、続いて9日にペンシルバニア州のハーシーでポーランドに3対1で勝ち、12日にワシントンでオランダのアヤックス・アムステルダムと1対1で引き分けと8日間に3試合。これはイタリアのワールドカップの1次リーグで10日間に3試合するのに備えて連戦の予行演習をしようという、ボブ・ガンスラー監督の狙いである。 
 同じ時期に、バンクーバーで米国、カナダ、メキシコの3国のリーグ戦の北米カップがあり、これにはジョン・コワルスキ監督の率いる全米選抜が出場したが、こちらの方にもワールドカップ代表選手の一部を加えていた。これは、なるべく多くの選手に国際試合の経験を積ませておくためである。 
 東部での連戦では、米国代表チームは、のびのびと攻撃的な試合をした。ポーランドからの3点はPKと相手のミスに付け込んだものだったが、リードされたのをはね返して逆転したのが良かった。
 アヤックスとの試合も、先取点を取られたのに追いついての引き分けである。 
 アヤックスはオランダのチャンピオンだが、米国へ来たのはベスト・メンバーではなかった。アヤックスのレギュラーのうち、8人がオランダのワールドカップ代表候補に選ばれており、2人がスウェーデン代表なので、この時期に遠征に参加することは出来ず、米国にきたのは、ほとんど2線級である。 
 しかし、本番直前のウォームアップの相手としては、それも良かったのではないか。2線級ではあっても欧州の名門だから、選手の技術レベルは高い。チームとしては、いまの欧州の代表的なサッカーのスタイルを備えている。そんなチームを相手に欧州のサッカーのスタイルに慣れ、好試合をして自信をつけることがこの時期には重要である。 
 米国代表は、このあと、20日にコネチカット州のニューヘブンでユーゴスラビアのパルチザン・ベオグラードと試合をして、26日に出発、スイスで1週間キャンプをして、その間にリヒテンシュタインとスイスのチームを相手に2試合をし、6月3日にイタリアに乗り込むことになっている。 
 準備はなかなか周到である。

代表選手は協会と契約!
国際試合の入場料が増えたので協会は報酬アップを発表!

 「米国代表選手はプロなの? それとも学生なの?」 
 東京からニューヨークまで、わざわざ国際電話をかけて、友人が、こんな質問をしてきた。 
 とぼけているようだが、実はなかなか鋭い質問である。 
 米国のサッカーは、ちょっと複雑な構造になっている。 
 まず第一に、この国では、サッカーは移民のスポーツである。地域のクラブは、ギリシャ系、ポーランド系、イタリア系など、米国へ移民してきたおじいさんや、おばあさんの母国のグループで組織されているものが多い。また、最近、欧州や中南米から移り住んで来てサッカーを楽しんでいる人たちもたくさんいる。 
 一方で、サッカーは学校のスポーツである。少年少女、高校生、大学生の間で、サッカーはこの15年くらいの間に急速に普及してきている。多くの地方でサッカーは、代表的な学校のスポーツとして扱われている。 
 学校のサッカー選手たちが注目されるのは、大学にはいってからである。大学サッカーの普及ぶりはたいしたもので、サッカーチームのあるカレッジは780、アメリカン・フットボールの686をしのいでいる。 
 そのほかに、ことし、全国組織の再建に乗り出したプロ・サッカーリーグがある。これは東海岸のASLと西海岸のWSLに分かれていて、それぞれ11チームずつである。 
 イタリアのワールドカップに出場する米国代表チームの選手たちは、この三つのグループのうちの、どれに属しているのだろうか?
 欧州や南米であれば、国の代表選手は、ほとんど例外なくプロのリーグに属している。そしてプロのリーグは、地域のクラブのチームから成り立っている。だから代表チームは「地域のクラブのプロ選手の選抜である」ということが出来る。 
 米国では、そう簡単ではない。プロの組織は、欧州や南米に比べれば、まだまだ弱体であり、地域のクラブとも結び付いていない。 一方、大学のスポーツは、シーズンが短く、いまだにアマチュアリズムにしばられているので、プロレベルの代表選手を出すには適当でない。 
 では、イタリアに行く米国代表選手たちの主力は、どこに属しているのだろうか? 
 種明しをすると、今回の米国代表選手の主力は米国サッカー協会(USSF)と契約して給料をもらっている。金額は年に2万5千ドルから4万ドルくらいで、出場試合数や勝ち数、引き分け数によってボーナスがつく。
 米国のサッカー協会はイタリア大会の直前に、この給料の20パーセント賃上げを公表した。米国代表チームの国際試合の入場者数が予想以上に多く、収入が増えたので選手たちの分け前も増やすことにしたのだという。 
 ただし中には、協会から給料をもらっていない選手もいる。欧州のクラブと契約している選手は、協会とは契約できないし、大学生の選手は全米大学体育協会(NCAA)の規則でお金をもらえないからである。

米国サッカーの二重構造  
移民と大学を結ぶガンスラー監督の経歴!しかし今後は?

 米国のサッカーは、移民のスポーツと大学のスポーツの二重構造で、代表チームの監督(米国ではヘッドコーチと呼んでいる)のボブ・ガンスラーは、この二重構造を代表するような経歴を持っている。 
 1941年にハンガリーに生まれ、11歳のときに西ドイツを経て米国へ移住した。当時、欧州でもっともサッカーのレベルの高かった国からの移民である。 
 米国へ来てからミルウォーキー・バーバリアンズというクラブでサッカーをした。そのころは、学校のサッカーは、まだ盛んでなかったから、少年のときに欧州で身につけた技術が、移民のスポーツの中で役立ったのだろう。選手としては1964年の東京オリンピック、1968年のメキシコ・オリンピックのキャプテンを務め、プロの北米サッカーリーグでも1年間、プレーしている。 
 大学院に進んだときに大学チームのコーチを買って出て、学校のサッカーとの結び付きが出来た。そのあと大学付属の高校チームのコーチになり州の選手権で優勝した。 
 ウィスコンシン・ミルウォーキー大学のヘッドコーチのときに、ユニバーシアード米国代表のコーチになり、さらにジュニア米国代表、ユース米国代表のコーチに指名され、代表チームのアシスタント・コーチになり、昨年の1月にヘッドコーチに昇格した。米国サッカー協会が、はじめて専属で契約した専任監督である。 
 選手の中にも、移民のスポーツとしてのサッカーを大学で生かした経歴の持ち主がいる。 
  キャプテンのディフェンダー、マイケル・ウィンディシュマンは、西ドイツのニュルンベルク生まれ。アデルフィ大学のときにユニバーシアード代表になって認められた。クラブではニューヨークの「ブルックリン・イタリアンズ」に属していた。 
 中盤のタブ・ラモスはモンテビデオ生まれ。お父さんはウルグアイでプロのサッカー選手だった。高校の年間最優秀選手に選ばれ、ノースカロライナ州立大学のときに全米選抜にはいった。米国代表の中で、もっとも創造性に富むプレーをする。 
 もっとも、こういう経歴の選手は、これからは少なくなるに違いない。少年サッカーの人口が急増し、外国生まれでなくても、子供のころからサッカーに慣れ親しんだ若者が、どんどん増えてきているからである。こういう少年たちは、ほとんど大学に進むので、米国のトップクラスのサッカー選手の供給源は、今後は大学のサッカーになるだろう。 
 しかし、米国の大学スポーツは、シーズン制が厳しく守られていて、野球にしろ、フットボールにしろ、一つのスポーツをする期間は3〜4カ月である。サッカーでは、1年に3〜4カ月の活動で国際的なレベルを維持するのは難しい。 
 この点を解決するには、プロサッカーの組織を検討し直して、大学生がプロでサッカーを出来るようにしなければならないと思うのだが、これは、米国のサッカーの今後の大きな研究課題である。


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