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サッカーマガジン 1990年6月号

ビバ!サッカー ニューヨーク発

米国プロ・サッカー・リーグの再建
少年たちの競技人口は野球よりも多い

希望に満ちた開幕戦  
少年少女のサッカー人口を基礎に新組織がスタートした!

 米国プロサッカーの全国組織が再発足した。昨年は西海岸のウェスタン・サッカーリーグ(WSL)と東海岸のアメリカン・サッカーリーグ(ASL)に分かれていたが、さる2月に合併、アメリカン・プロフェッショナル・サッカーリーグ(APSL)と呼ぶ新組織になった。北米サッカーリーグ(NASL)が1985年に解散して以来、5年ぶりの全国リーグ復活である。 
 その新組織の、新シーズンが、4月7日に始まった。初日は3試合。ニューヨークの近くでは、ニュージャージー州のトレントンで試合があったので見に行った。 
 夕方、マンハッタンのペンステーションという駅から、日本のJRにあたるアムトラックに乗る。列車で約1時間。ニュージャージー州は、ハドソン川をはさんでニューヨークの対岸だが、トレントンはフィラデルフィアに近い方で、かなりの距離である。 
 トレントンの駅からタクシーで約10分。郊外のアーウィンにある州立トレントン大学のフットボール・スタジアムが会場だった。 
 行く途中でタクシーのドライバーが「きょうは何があるんだ」と聞く。東京やニューヨークを標準にすればかなり小さな町なのに、歴史的な開幕試合があるのを知らないらしい。
  「米国のプロサッカーの将来は、たいへんだな」というのが、そのときの感想だった。 
 ところが、スタジアムの入口は、結構、人混みだった。切符売り場の前には行列が出来ている。入場料は大人7ドル、子供(ユース)4ドル、6歳以下は無料。午後7時35分からのナイターだから無料の小さい子供は少なかった。みな自分の意志で、お金を払って見にきているお客さんである。招待券を乱発したり、団体動員をかけたりして、開幕試合に景気をつけるようなことはしていないようだ。 
 米国の大学には、数万人を収容する大きな競技場を持っているところが、たくさんある。けれども、ここは、こじんまりした、簡素なスタジアムだった。スタンドの半分足らずが埋まって、ハーフタイムに発表された観客数は4085人。もちろん、はなばなしい数字とは言えない。 
 目についたのは、指導者に引率された少年少女のサッカーチームが多かったことである。おそろいのクラブの名前の入ったジャンパーを着ているから、すぐ分かった。大人の観客も、その子供たちの父母が多いようだった。夜の試合だから、帰りは両親が子供たちを車に乗せて、連れ帰るのだろう。 
 地元チームの名前は「ペン・ジャージー・スピリット」。ことし新たに出来たチームである。ペンは、フィラデルフィアのあるお隣のペンシルバニア州、ジャージーはニュージャージー州を示している。二つの州のファンを獲得しようと欲張っている。 
 それにしても――。なぜニューヨークやフィラデルフィアのような大都市でなく、こんな地方都市にフランチャイズを置いたのだろうか? 
 記者席で、広報担当の役員に聞いてみた。 
 「トレントンは、この州ではいちばん人口の多い町なんですよ。そして、東海岸で、もっとも子供たちのサッカーが盛んな地域なんです」 
 なるほど――。そういうことなら、少年少女が主役だったこの夜のスタンドは、米国プロサッカーの再建のために希望に満ちたものだったと言えるかも知れない。 

ゆっくりと、確実に!
コミッショナーに独占インタビューで聞いた再建の構想!

 米国プロ・サッカーリーグ開幕の数日前に、ぼくは東海岸のアメリカン・サッカーリーグ(ASL)のコミッショナーに特別独占インタビューを試みた。 
 ASLの事務局は、ニューヨーク郊外のスカースデールにあったので行くのは簡単だと思ったのだが、そうはいかなかった。西海岸のWSLと合併してAPSLを組織することになったあと、事務局はボルティモアに移転していた。 
 そこで、やむなく――。 
 ニューヨークのラガーディア空港から飛行機に乗った。行く先はボルティモア/ワシントン国際空港。ここからタクシーに乗って、ワシントンの方向へ約10マイル。だだっ広い林の中に2階建ての建物があって、そこがASLの事務局だった。 
 「なんで、こんな不便なところに移ったんだ?」 
 デーブ・プラウティー・コミッショナーへの第1問は、これである。 
 「東海岸のチームは、北はカナダ国境の近くから、南はフロリダまで南北に広く分散している。このへんがちょうど、まん中なんだよ」 
 まだ若々しいコミッショナーは、メモ帳に米国地図を書きながら説明してくれた。 
 机の脇にはパソコンとファックスが置いてある。コンピューター・アンド・コミュニケーションの時代だから連絡は電話回線があれば不自由はない。各チームを訪問したり、各チームの人が訪ねてきたりするには、南北の中間で、飛行場が比較的近くにあればいい。交通渋滞がなく静かなのもいい。 
 がらんとした建物の中の4部屋を使い、職員はコミッショナーの他は女性2人だけ。部屋代は年に2万5千ドル(約380万円)。ぼくが働いているマンハッタンのオフィスより広くて家賃は3分の1である。 
 ペレやベッケンバウアーを呼んではなばなしく活動したNASLは、ニューヨークのどまん中に事務所を構えていた。しかし、外国のスター選手を高額で争って招いたのがたたって、5年前に財政難で解散した。「今回はゆっくりと確実に前進することにしようと、東海岸と西海岸のオーナー全員が一致した。その上で合併に踏み切ったんだ」 
 テレビの後ろだてで、ふんだんにお金を使ってキャンペーンを展開したNASLの失敗を繰り返さないように、という考えである。 しかし――とプラウティー・コミッショナーは付け加えた。 
 「ペレやベッケンバウアーに刺激されて、過去15年間に、サッカーは全米にめざましく普及した。その点でNASLの残した業績を軽くみることはできない。いま組織化されている少年サッカー人口は1300万人といわれている。これは、どのスポーツよりも多いんだ。野球よりも多いんだ。この子供たちが若者になり、親になる21世紀に米国のプロサッカーをメジャースポーツにしようと、われわれは考えている」
 コミッショナーは、自信ありげだった。 

東西対抗で盛り上げる!
テレビにとって魅力あるイベントにできるかどうかが焦点

 東海岸のASLと西海岸のWSLが合併してAPSLができたけれども、実はことしは、試合は昨年と同じように東西別々に行われる。 
 東西とも4月7日に開幕してレギュラー・シーズンは8月上旬まで。各11チームがホーム・アンド・アウェーで2回戦制のリーグ戦を行うのは、他の国の方式とほぼ同じ。ただし、同点の場合は、延長戦をし、さらに同点ならPK戦をするので引き分けはない。 
 試合は、東西それぞれ総当たりだが、順位決定の方法は米国式である。 
 東西がそれぞれ、さらに南北のディビジョンに分かれていて、順位は、それぞれのディビジョンの中で決める。つまり、レギュラーシーズンが終わったときに、1位チームが4つ出来るわけである。
 その後、リーグ優勝決定のプレーオフがある。これには南北それぞれのディビジョンの上位3チームが出場、同じディビジョンの中の2位と3位がまず対戦し、その勝者が1位とディビジョンの優勝決定戦をする。 
 南北別の優勝チームが決まったら、その2チームでリーグ・チャンピオン決定戦をする。これでASLとWSLの優勝が決まるわけである。 
 そして最後に、ASLとWSLの対決でAPSLチャンピオンシップがある。これはことしは、9月22日に行われるが、場所はまだ決まっていない。 
 このように、プレーオフでヤマ場を何度も作って優勝争いを盛り上げようというのは、野球でも、バスケットボールでも、フットボールでもやっている。米国のプロ・スポーツの得意な方式である。地元チームを応援しているファンにとっては、最初のうち、ひいきのチームに負けが込んでいても、盛り返すチャンスが何度もあるから楽しみは多い。ただし、複雑で分かりにくい難もある。 
 しかし、最後の東西の対決の1試合が最大の焦点であることは、誰の目にもはっきりしている。 
 ぼくの考えでは、将来は、この1試合を、アメリカン・フットボールのスーパーボウルのように、全米を沸かせるお祭りにする必要がある。だから、今年9月22日のこの1試合を、いかに盛り上げるかが、米国プロサッカーの将来を占うものになるのではないか。 
 さらに言えば、この1試合がテレビにとって魅力あるイベントになるように、あらゆる努力をしなければならない。 
 なぜなら、いま米国では、テレビの支援がなくては、プロスポーツが大きな成功を納めることは出来なくなってきているからである。 
 広い少年サッカーに根を下ろし、頂点はテレビと結び付くプロスポーツヘ――。それを可能にすることが再発足した米国プロサッカーの課題ではないだろうか。


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