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サッカーマガジン 1990年2月号

ビバ!サッカー ニューヨーク発

日本サッカー大賞は加茂周氏
ニューヨークから恒例の年間各賞決定

サッカー大賞おか目八目
日産を3冠に導いたGM加茂周さんに、NYから大賞を!

 ジャジャジャジャーン!
 と、恒例の日本サッカー大賞を、にぎにぎしく発表したいのだが、読者の皆様は先刻ご承知、実は1989年は2月から米国のニューヨークに移り住んでいて、日本のサッカーには、とんとご無沙汰している。したがって正直いって、いささか材料不足である。 
 しかし、もともと、このサッカー大賞は、いかなる権威にも屈することなく、いかなる利害にも煩わされることなく、ただ、ぼくの独断と偏見をもって、永年にわたって表彰を続けている権威ある賞だから、あまり気にすることはないだろう。 
 それに「おか目八目」ということもある。太平洋を隔てて見た方が、かえって、日本の様子が公平に見えるかもしれない。 
 というわけで、臆することなく、今回も誌上表彰だけのサッカー大賞の選考を1人で行うことにした。 
 成績を基準に選考すれば、サッカー大賞は日産のチームになる。正月の天皇杯を制し、1988−89年の日本リーグで初優勝し、あまり権威のない大会であるがJSLカップもとって3冠を達成した。 
 しかし――と、ここで考えた。 
 優勝したから賞をやるのでは芸がない。彼らはすでに三つもカップをもらっている。ここで冠のうえにさらに冠を重ねることはない。 
 そこで本当にこの優勝に貢献した人を探しだして、1989年の日本サッカー大賞を贈ることにした。 
 ジャジャーン!
 1989年日本サッカー大賞は、この人、15年間にわたって日産を育て、3冠達成を果たして監督の座をブラジル出身のオスカーに譲った加茂周氏に決定いたしまーす!
 ここでお断わりしておくが、3冠の監督としての加茂周氏を表彰するつもりはない。監督としてなら、日本リーグの表彰式で、すでに最優秀監督賞をもらったはずである。 
 ぼくは、加茂周さんが、長年にわたって、日本のサッカー全体のことを考えながらチームを育ててきた功績を評価したい。 
 日本のサッカーを面白くするにはどうしたらいいか、日本サッカーを強くするにはどうすればいいか、日本のサッカーを盛んにするにはどうすればいいか、を考えながら、加茂周さんはチームを作ってきた。 
 ブラジルのワールドカップ代表だった大物オスカーを呼び、選手として使いこなしただけでなく、自分自身の後任の監督に据えたのは、そういう大きい視野に立っての仕事だっただろうと、ぼくは推察している。 
 そういう、ジェネラル・マネジャーとしての長年の仕事ぶりに対して、ここで大賞を贈ろうと思うわけである。 
 さて、取り急ぎ、三賞も表彰しておこう。 
▽殊勲賞 全国高等学校体育連盟(高体連)。全日本ユース大会開催に協力した英断に対して。 
▽敢闘賞 南米選手権コパアメリカを取材にきていた日本のフリーランサーのカメラマンとジャーナリスト。日本は関係ないのに、ブラジルの果てまでご苦労さま。 
▽技能賞 トヨタカップのプログラム。今回で10年目。他の大会のパンフレットに比べて文句なく充実している。 
 異論がおありの読者は編集部気付けで遠慮なくご意見をどうぞ。

フリットが来ないわけ  
トヨタカップにぜひ行きたいといっていながら土壇場で!

 先月号で紹介したコロンビアのメデジンへの旅行のあと、ニューヨークヘ戻ってすぐイタリアへ飛んだ。トヨタカップに出るACミランを取材するためである。 
 ミラノへ到着したのが日曜日で、その日の午後にサンシーロ・スタジアムヘ試合を見に行った。ACミラン対レッチェの試合だった。 
 ルート・フリットは、もちろん出ていない。この2年前の欧州最優秀選手は、ひざの故障で今季は1試合も出ていない。 
 しかし、いまの欧州を代表するスーパースターだから、多少無理でもトヨタカップで東京に来てもらいたいものだと願っていた。だから、本人に会えたら、そこのところを聞いてみるつもりだった。
 取材に協力してくれていた通訳の女性のグロリアが、ハーフタイムに飛んできて「フリットがいるわよ」という。 
 「本当に?」 
 いっしょに行ってみると、メーンスタンドの片隅で立ったまま試合を見ていた。さっそく立ち話でインタビューを試みる。
 「東京に来るのか?」 
 「もちろん。トヨタカップは大きなチャンスだ。必ず行く」 
 「ひざの調子は?」
 「いまはそんなに痛くないんだ。プレーしたくてしょうがないんだ」 
 「じゃ、試合に出られるんだね」 
 「試合で使ってもらえるかどうかは、ぼくには分からない。でも東京にはぜひ行きたい」  
 機嫌よく、そして調子のいい話しぶりだった。  
 ところが――
 その3日後に練習を見に行ったら 
 「フリットはいないよ。オランダへ帰ってしまった」
 という。  
 たまたま、スコットランドから来たお医者さんのグループがいて、
 「フリットが、もと通りにプレーできるかどうかを調べてくれと頼まれて、その結果を持ってきたところだ。もう一度手術をすればまず大丈夫だ」  
 と話してくれた。  
 聞いてみると、フリットのひざの故障の話には、この時点では、いろいろな要素が絡んでいたらしい。 
 ACミランは、フリットと来季以降の契約をするかどうか決めなければならない立場だった。そのため専門のお医者さんに頼んで、ひざがよくなる見込みがあるかどうかを調べてもらっているところだった。  
 一方、フリットは、ひざは大丈夫だということを示して、来季の契約を有利にする必要があった。 
 しかし、一方でイタリアのワールドカップにオランダ代表として出場しなくてはならないから、無理は出来ないし、手術をするのならば早めにやってしまいたいところだった。
  そういうわけで、フリットがトヨタカップに出たいのは本音だが、実際には、来日ははじめから無理だったようだ。 
 ぼくはすっかり、振り回されてしまった。

イタリア旅行での体験
6月のワールドカップは、楽しい大会になりそうである!

 短い期間のイタリア旅行だったけれど、面白い経験もした。そのいくつかを紹介しよう。 
 その1
 イタリア・リーグの試合を見た後、スタンド下のインタビュー・ルームで、監督の記者会見が始まるのを待っていたら、地元のテレビ局の人が「日本から来たのか?」と聞く。「そうだ」と答えたら「ちょっとテレビに出て、日本のサッカーの様子をしゃべってくれ」と、その場での出演を頼まれた。 
 「日本でもサッカーは盛んだ。とくに子供達の間では野球をしのぐくらいだ。ただプロフェッショナリズムが育たないので、お客さんを集めるスポーツとしては成功していない。しかしトヨタカップは別で切符はたちまち売り切れた」 
 というような話を英語でして、それをアナウンサーがイタリア語に直して生中継した。 
 その晩、ホテルに戻ったら、フロントのおじさんが「いやー、テレビに出ていたね」と声をかけてきた。 
 思うに、イタリアの男はみんなサッカーに関心を持っている。だから日曜の午後に、サッカーに関係のある番組に出たら、顔を覚えられる確率は高いわけである。 
 その2 
 たまたま、ミラノ滞在中にワールドカップの開幕試合の入場券の売り出しがあった。 
 指定の銀行へ身分証明書を持参、1人4枚までだという。
 「外国人にも売るのか?」と聞いたら「旅券があればいい」というので4枚買っておいた。 
 日本だったら朝から行列して、たちまち売り切れだろうと思うが、午後に出掛けたのにまだ余っていた。 
 ただし、その場で入場券がもらえるわけではなく、くれるのは予約証で5月に引き替える仕組みである。 
 そうすると5月にニューヨークから、引き替えに来なければならないことになるが「大丈夫。何とかなるよ」と、銀行の窓口の人は無責任なことを言っていた。 
 6月には家族連れでミラノヘワールドカップの開幕を見に行こうという魂胆なのだが、切符は手にはいっても旅費の工面が出来ているわけではない。ぼくの方も、いまのところは無責任に、とりあえず夢を買ったわけである。 
 その3 
 レストランで夕食を食べていたら隣の席の人が、スパゲッティ・ナポリタンを注文した。イタリアは、スパゲッティの本場である。
 しばらくして、ウェイターが、トマトソースのスパゲッティを持ってきた。 
 「はーい、お待ちどおさま。スパゲッティ・マラドーナです」 
 マラドーナがイタリア・リーグのナポリで活躍している。それに引っかけたしゃれだと分かるのに、ひと呼吸必要だった。 
 ともあれ、イタリアのワールドカップは、楽しい大会になりそうである。


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