蘭とサッカーの町で
メデジンのサッカーの躍進は小学校の校庭から生まれた!
南米コロンビアのメデジンで、この原稿を書いている。メデジンは言うまでもなく、トヨタカップに出場する南米クラブ・チャンピオン「ナシオナル」の町だ。
ニューヨークから直行便の飛行機で約6時間、ホセ・マリア・コルドバという高原の飛行場に着く。そこからタクシーで約1時間。標高2500メートルの峠を越えると、無数の宝石をちりばめたような町の灯が、眼下にきらめいていた。メデジンは山並みに囲まれた美しい盆地の町である。
最近、この町はコカインを扱う麻薬ギャングの本拠地として有名になった。しかし、もともとは蘭の栽培で知られた「花の都」である。住んでいる人々は陽気で人なつこい。こんないい町が、ほんの一部の悪い部分だけで有名になるとは嘆かわしい。トヨタカップの東京からのテレビ世界中継で「サッカーの町」として有名になってほしいものである。
本当に、ここは「サッカーの町」だ。地元の新聞社「エル・コロンビアーノ」を訪ねたら編集長が2階の窓から「見て下さい。あれがメデジンのサッカーが強くなった秘密です」と隣の小学校の校庭を指さした。
校庭では、子供たちが大勢でボールをけって遊んでいた。
「10年くらい前から、この町では小学校の校庭をサッカーに開放することにしたのです。それがいま実ったのです」
という編集長の話だった。
本当のところは、ここは南米の国だからずっと前から子供たちは、街路でボールをけって遊んでいたに違いない。しかし、それでも、小学校の校庭を開放したのは重要だった。なぜなら、それによって校庭には本物のゴールポストがいくつも置かれ、本式のボールが備品として与えられ、子供たちが堂々と校庭でサッカーを楽しめるようになったからである。
校庭で遊んでいる子供たちの中に身体の大きな人たちが数人、混っていた。
「あれは地元のプロチームの若い選手、あるいはOBの選手です。彼らが小学校のクラブに来ていっしょに遊んであげるのです」
メデジンは人口約200万人。ここにプロのサッカーチームが二つある。トヨタカップに出場する「アトレチコ・ナシオナル」と、そのライバルの「インデペンディエンテ・メデジン」である。
日本でも、人口200万人くらいの都市にプロのサッカーチームが二つくらいあって、それが地域の子供たちに、しっかり結びついていたら、すばらしいだろうな――と考えた。
校庭の子供たちは、ただ寄り集まってゲームを楽しんでいるだけで、組織立った基礎練習をしているわけではない。
市内の学校には、広い校庭があり、ゴールポストがいくつも並んでいたが「サッカー教室」みたいな風景は、ついぞ見かけなかった。
それでも、広場があって、ゴールとボールがあって、上手な大人がいっしょに遊んであげれば、子供たちは伸びていくものらしい。
ナシオナル躍進の秘密
コロンビアの心に合ったサッカーで選手の力を引出した!
コロンビアの「ナシオナル」は、南米のクラブ選手権、コパ・リベルタドーレスに優勝してトヨタカップへの出場催を得た。これはコロンビアにとって歴史的偉業だった。
だいたい南米では、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイがサッカーの3強で、中米に近いコロンビアのサッカーは、それほど高くは評価されていなかった。
ここ十数年来、少しずつ力をつけてきて、リベルタドーレス杯では、カリという町の「アメリカ」が3度決勝に進出したが、ついに優勝は出来なかった。
今回「ナシオナル」が、初めて南米チャンピオンになったわけで、コロンビアの国民にとって、これは夢のような出来事である。
さらに付け加えると、コロンビア代表チームは、28年ぶりにワールドカップへの出場権を得たが、その主力、とくに守備陣はほとんどが「ナシオナル」の選手である。
つまり、コロンビア現在のサッカーの躍進は「ナシオナル」が支えていると言っていい。
なぜ「ナシオナル」が強くなったか。
地元の新聞「エル・コロンビアーノ」でスポーツを担当しているアルフレド・カレーニョ記者の考えはこうだった。
「それはもう心理的な問題でね。選手たちがコロンビア人の心に合ったサッカーをするようになった。それでチームが強くなった」
そうなったきっかけは、3年前のセレヒオ・ナランホ・ペレス会長の就任だった。
「自分の国の人たちを信用しよう、というのが私の哲学でね」
と会長が説明してくれた。
「コロンビアのプロサッカーチームは、ウルグアイやブラジルからの輸入選手に頼っていた。でも私は、自分たちのチームは自分たちで作ろう、と考えたわけです」
実際には、チームの財政が苦しくなっていて、外人選手を雇う余裕がなかったのかも知れない。しかし、ともあれ、コロンビア人の選手だけでチームを編成する試みは、みごとに成功した。
コロンビア人の選手の力を引き出したのは、その年に迎えられたフランシスコ・マツラナ監督の手腕である。
「それまでは、アルゼンチン人や、ユーゴ人の監督が来て、自分たちの流義をコロンビア人に押しつけていた。私はコロンビア人の選手たち自身がやりたいと思っているプレーを、のびのびと自由にやらせることにしたのです」
若いころは「ナシオナル」の名ディフェンダーだったマツラナ監督の話である。
ここで日本の皆さんに誤解されては困る点が一つある。
「ナシオナル」の成功の秘密は、外人選手、外人監督を排斥したことにある――と考えるのは間違いのもとである。
成功の秘密は、コロンビアの風土で培われた気質に合ったサッカーを、のびのびと発揮できる環境を作ったことにある。
そして、それが可能だったのは、もともと、コロンビア人の選手たちが、すぐれたテクニックとセンスを持っていたからである。
代表チームとプロ
複雑なリーグのシステムで代表とプロの日程を調整した!
ぼくがメデジンを訪ねたとき、コロンビアでは、プロサッカーの選手権の第三段階だった。
「第三段階」とは何か――という説明はいささか、こみいっている。
コロンビアには、プロチームが15ある。その15チームがまず、総当たりのリーグ戦をする。これが選手権の第一段階である。
第1次リーグの上位8チームが、次の第二段階に進む。
第二段階では、第1次リーグの1位から4位までをAグループ、5位から8位までをBグループとして総当たりのリーグ戦をする。
Aグループの上位2チームは、決勝リーグに進出する。
Aグループの下位2チームとBグループの上位2チームが、Cグループを作って、また総当たりのリーグ戦をする。これがいわば第三段階である。
この第三段階のCグループ上位2チームが決勝リーグに進出し、先に進出が決定していた、Aグループ上位2チームと合わせて4チームで、最終段階の優勝を争う、仕組みである。
トヨタカップに出場する「ナシオナル」は、今季は第二段階のBグループ2位で第三段階に進出し、ぼくが訪ねたころは、決勝リーグ進出を争っているところだった。
この複雑なシステムは、ことし初めての試みということだが、この仕組みを採用したのには、いくつかの理由があったようだ。
理由の第一は、リーグ戦のヤマ場を何度も作って、ファンの興味をつなぎ止めるためである。これは米国のプロ野球やプロバスケットボールで、プレーオフをやるのと似た考え方である。
だが、コロンビアのサッカーではもう一つ、別の理由があった。
それは、ワールドカップ予選に出場する代表チームの日程との兼ね合いである。
今回のコロンビア代表チームは、守りは主として「ナシオナル」の選手、攻めは主として「ミジョナリオス」というチームの選手で構成されていた。
この両チームは、リーグのシーズン中に代表チームの試合があると、主力選手を取られて、大きな不利をこおむることになる。実際に「ナシオナル」は、第一段階では6位で第二段階のグループにはいった。
第二段階の試合は、ワールドカップ予選のイスラエルとの試合とぶつかって「ナシオナル」はほとんど2軍で戦って、辛うじてBグループの2位に残り。第三段階に進出した。
つまり、代表チームに選手を取られて不利をこおむったチームが、順位を多少下げても「敗者復活」のチャンスがある――というシステムである。
実際には、このほかポイント制などもあって、ここに説明したよりも、もっと複雑である。
ともあれ、これは代表チームとリーグの日程を両立させるための名案である。
と思うと同時に、この複雑なシステムを、ファンがちゃんと理解してくれることに、ぼくはつくづく感心した。 |