米テニス育成三つの柱
若い有望選手2000人にコーチと経費と科学の援助を与える
またまた突然、わがサッカーの友人が、ぼくの住んでいるニューヨークヘやってきた。先月号で訪ねてきたのは筑波大学の松本光弘先生だったが、今度は東京大学の浅見俊雄教授である。浅見先生は、大学のころからの友人で、いま日本サッカー協会の理事をしている。国際審判員として活躍していたこともある。
さて、浅見先生は、日本体育協会のスポーツ科学委員会の仕事で、カナダと米国のジュニア選手育成の状況を調査にきてたのだが、米国のテニスの様子を知りたいというので、ぼくもいっしょについていった。
プリンストンという町の、広い緑の芝生に囲まれた閑静な米国テニス協会で、ビデオを見せながら、担当の役員が親切に説明してくれた。
概要はこうだ。
全米各地に100カ所のトレーニング・センターを設ける。
ひとつのセンターで男子10人、女子10人、計20人、12歳から17歳までの有望な選手を選ぶ。全米で2000人である。
この2000人のジュニアの中から国際的な選手が生まれるように協会が援助する。
援助には三つの柱がある。
第一の柱は、コーチの援助だ。これには二つの方法がある。
まず、選手がコーチを雇う費用を支給する。米国では、コーチと個人的に契約して教えてもらうのが、ふつうらしい。その費用をテニス協会が負担してやるわけである。
もう一つのコーチ援助は、協会の編成したコーチ陣がトレーニング・キャンプで指導することである。1970年代のはじめに全英、全米で優勝したスタン・スミスを中心に、かつての名選手や実績と名声のある名コーチが協会と契約している。
若手育成の第二の柱は、有望選手が大会に参加する旅費と宿泊費を、協会が負担することである。
春から夏の終わりにかけて欧州や米国で毎週のように開かれる大会を選手たちは次から次へと転戦する。全仏、全英、全米などの大会では一流プロのトーナメントと平行してジュニアのトーナメントも開かれる。
勝ち進むにつれて賞金が出るが、まだ無名の選手では、それで全経費をまかなうのは難しい。そこで有望選手が国際的な経験を積む機会を増やせるように、協会が経費を援助するわけである。
そして第三の柱として、スポーツ科学の援助がある。
選ばれた2000人の選手の体力や心理的な特性や経歴などを調査して、テニス協会のコンピューターに集める。そのデータを毎年積み上げ、追跡していくことによって、どういう選手が、どういうトレーニングをすれば効果的かが研究できるし、ひいては選手たちに適切な体力トレーニングや心理学的アドバイスができるというわけである。
「ことしの全仏で優勝した17歳のマイケル・チャンは、わたしたちの育成計画の生んだ選手です」
米国テニス協会の人たちは自信たっぷりだった。
集中強化との違い
協会が指導者を押しつけるのでなく、選手がコーチを選ぶ
米国テニス協会へ調査に行った体育協会のメンバーは3人だった。サッカー出身の浅見先生のほか、国立鹿屋体育大学の田口信教助教授、日本体育協会スポーツ科学研究所の伊藤静夫主任研究員である。
田口先生は、1972年のミュンヘン・オリンピックの平泳ぎで金メダルをとった水泳の名選手である。「選手が選んだコーチに協会がお金を出すところが面白いですね。ぼくも自分のコーチを選んでみたかったな」
田口先生は、米国のテニスの事情を聞いて、自分の選手時代を思い出しながら、本音とも冗談ともとれる発言をした。
ほかならぬ、田口選手の感想だけに、この発言は面白い。
田口選手は、広島のフジタ・ドルフィンクラブで、徳田一臣コーチに育てられて世界一になった。1964年の東京オリンピックのあと、日本各地に、スイミング・クラブがぞくぞくと誕生したが、そういうクラブが育てた名選手の第一号だった。
クラブ育ちだから、田口選手は終始一貫、徳田コーチに指導してもらうことができた。高校、大学と進んでも、毎日の練習はフジタ・ドルフィンクラブでやっていた。
この徳田−田口の一貫教育が金メダルの原動力だった、と聞いていたので「自分でコーチを選んでみたかった」という田口発言に、ぼくはちょっとびっくりした。なぜなら「徳田コーチ以外の指導を受けてみたかった」とも取れるからである。
もっとも、この発言を別の意味に解釈することもできる。
田口選手は、ふだんは徳田コーチの指導を受けていたが、オリンピックや世界選手権のときには、日本水泳連盟が別の監督、コーチを付ける。だから、もっとも重要な大会のときに、自分がもっとも信頼しているコーチが選手団にはいれない、というようなこともあるわけである。
そこで今回の発言を「オリンピックのとき、徳田先生を選手団のコーチに任命して欲しかった」と取ることもできる。
いまは大学の指導者になっている田口先生が、どういうつもりで冗談とも本音ともつかぬ感想を言ったのか、ぼくはとくに追求はしなかった。
ともあれ、いずれにせよ、これは米国のテニスでは起きない問題のようである。
米国のテニス選手は、自分でコーチを選ぶ。選手がまだ子供なら、親が指導者を選ぶ。
しかし、選手の家庭が、それほど裕福でなければ、いいコーチを雇うお金がない。そこを協会が援助しようというのが、育成計画の趣旨である。これは協会が指導者を選んで選手に押しつけようという、中央集権の集中強化主義とは根本的に違う。
「全仏で優勝したマイケル・チャンの場合は、自分で選んだコーチは父親でした」
とテニス協会の人が説明した。
「マイケルはもう多額の賞金を稼ぐようになったので、彼に対する援助は打ち切りたいと思っています」
日本のサッカーの場合は
トレセンで鍛えるよりコーチに勉強のチャンスを与えよう
テニスとサッカーは性質が違う。米国と日本も事情が違う。だから米国のテニスの選手育成計画を、そっくりそのまま日本のサッカーに当てはめることは出来ない。
しかし、米国のテニスの育成計画の中に、日本のサッカーの参考になることはないだろうかと考えた。
日本サッカー協会は各都道府県に「トレセン」と称する組織を作っている。トレーニング・センターの略で、地域ごとに、また年齢別にすぐれた素材を選抜して1カ所に集め「一貫指導」をして、いい選手に育てよう、という趣旨である。
形だけをみると日本のサッカーのトレセンは、米国のテニスのトレーニング・センター計画に似ているし、米国より進んでいるようである。
「しかし」とぼくは考えた。「実は似て非なるものではないか」
米国のテニスのトレセンは、援助が趣旨である。援助の内容は、主として「チャンス」だといっていい。
テニスはお金のかかるスポーツで、お金のある家庭の子供でなければ、一流選手になるチャンスがなかった。
「このままでは欧州の国に遅れを取るから、選手の育ってくる裾野を広げるために、ミドルクラスの家庭からも選手が育つように、遠征費やコーチ代を援助することにしたのです」と、米国テニス協会の人は言っていた。
日本のサッカーのトレセンは、趣旨が違う。
日本サッカー協会が、トレセンで与えようとしているのは、指導を受けるチャンスではなく、指導の内容である。
選抜した素材全部を、サッカー協会が最善と信じている一定の指導法で強化しようと考えている。
これは恐るべき楽観主義だ、とぼくは思う。「少年たちをいかに育てるか」についての、ただ一つの正しい方法があり、それを自分たちが知っている、という信念がなければ、出来ないはずのことだからである。
しかし実際には「一貫教育」のための唯一神聖な教科書などはありはしない。
子供たちの指導法は、各チームの指導者が、それぞれ地域の実状や子供たちの個性に応じて、工夫して作り出していくものである。
とはいえ、少年サッカーの指導を野放しにしていい、というつもりはない。
ぼくの考えでは、日本サッカーの場合は、指導者にチャンスを与える必要があると思う。
各地の指導者の経験を交流し、さまざまな指導法を学ぶ機会を増やすといい。
少年サッカーの指導者が、世界各地の実状を見に行くのを援助できるといい。
スポーツ科学の成果を勉強し、それを利用できるような組織や施設を各地に作るといい。
「そんなお金を、どうやって作るの?」という声が出そうである。
米国のテニスの場合は、9月に開かれる全米オープンのテレビ放映権料の収入で、十分まかなえるのだそうである。 |