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サッカーマガジン 1989年5月号

ビバ!サッカー ニューヨーク発

小国の若者が得た自信と失敗 
ワールドユースに出場の日本人奮戦記

コスタリカの初勝利
自信をふくらませた若者たちが存分に力を発揮した!

 前回に続いて、あのコスタリカの風来坊、ではなかった、青年海外協力隊員、下田功君の話である。 
 順天堂大学でサッカーをやっていた下田君は、卒業後、外務省の外郭団体である国際協力事業団からウエート・トレーニングの専門家として中米のコスタリカに派遣された。 
 コスタリカでユース代表チームの体力トレーニングを担当して成功し、サウジアラビアで開かれるワールドユース大会に行くため、ぼくが赴任したばかりのニューヨークヘ立ち寄った――というところまでが、前回の話である。 
 さて、下田君はニューヨークから消えて数日後、いきなりサウジアラビアからニューヨークのぼくのアパートへ国際電話をかけて来た。 
 「いやあ、やりました! 勝ちました! みな大騒ぎです」 
 電話の向こう側の声が、舞い上がっている。 
 ワールドユース大会1次リーグの第1戦でコスタリカがコロンビアに1−0で勝った。コスタリカは人口250万人の小国、サッカーチームが世界的な大会に出場したのは初めてである。それが初舞台で初勝利をあげた。それで現地のチームが大喜びしたのはもちろん、本国でも国をあげてお祭り騒ぎになったらしい。 
 下田君の話によると、試合の様子はこうである。 
 コスタリカにとっては、コロンビアはサッカーの大国である。とくに87年のコパ・アメリカ(南米選手権)での代表チームの試合ぶりで示されたように、ひとり、ひとりのテクニックがすばらしくユニークである。 
 しかし、コスタリカの若者たちは、強敵に対して、まったく堅くなるところがなく、最初から、のびのびと戦った。立ち上がりは、コスタリカの方がボールを支配していたという。北中米予選を勝ち抜いた実績が、19歳以下の若者たちの自信をふくらませていたに違いない。 
 個人の能力はコロンビアが一段上なので、じょじょに盛り返されて危ない場面もあったが、国内で評判の名ゴールキーパーのポール・マジョルカが、奇跡的な攻守を再三見せて食い止めた。
 コスタリカも結構攻めて、後半は面白い攻め合いだった。 
 そして残り3分になって決勝点がはいった。 
 右45度、ペナルティーエリアの3メートルくらい外側からのフリーキック。昨年の最優秀新人賞をもらったストッパーのロナルド・ゴンザレスが出ていってけり、直接、ゴールへ叩き込んだ。 
 この報告を聞いて、コスタリカの若者たちのプレーぶりが目に浮かぶようだった。 
 下田君の話だと、2年前にユース代表候補として集められた少年たちは、みな足技は抜群に巧く、我の強い個性的な選手だったという。 
 そういう選手たちの個性を伸ばしながら、うまく鍛え、うまくまとめることができた。それが、小国の歴史的な1勝の原因だったのではないか。 
 国内で人気のあるスター選手が奮戦し、得点をあげたことからも、そのことがうかがえると思った。 

ラテンらしい失敗
ソ連にも大健闘しながら引き分け寸前にミスが出た!

 ところが――。 
 下田君の次の連絡は5日後、なんとニューヨークのケネディ空港からだった。 
 「いやあ、負けました。やっぱり力の差です!」 
 コスタリカは、初戦に勝ったあと、ソ連とシリアに連敗、1次リーグで失格したので、その日のうちにサウジアラビアを引き揚げ、ニューヨーク経由で帰国の途中だという。 
 そこで下田君を、マンハッタンのぼくのアパートに泊めて、その後の様子を聞くことにした。 
 第2戦は2日後、相手は優勝候補のソ連だった。一般の予想は「ソ連が4点はとるだろう」ということだった。 
 しかし、コスタリカとしては、負けるにしても失点を少なくしておけば4チーム中の上位2チームにはいって2次リーグに進出する望みが十分ある。そこで徹底して守りを固める作戦をとった。 
 どんな局面であろうとも、ボールを持っているソ連の選手に対しては2人がかりで守る。1人がマーク、1人がカバーである。これで相手の速攻の出足を遅らせて、みんなで戻って厚い守備網を敷く狙いだった。 
 これが成功して、一方的に押されながらソ連に得点を許さなかった。コスタリカが厚い守りから逆襲に出るチャンスも何度かあった。 
 残念だったのは、いつもならトップに残しておく点取り屋のダニロ・ブレネスが、第1戦で退場させられていて。この試合に出られなかったことである。ブレネスがいたら1点取れたかも――というチャンスもあった。 
 それでも0−0のままで来て、残り時間5分になり「このままいけるかな」と思ったところで守りのミスが出た。 
 相手のボールを奪った右のディフェンダーが、そのままクリアすればよいところを、ドリブルで抜いて出ようとして、ソ連のウイングにひっかけられた。ソ連の選手がそのままドリブルで独走してゴールキーパーと1対1になって、ゴール。これが決勝点になった。
  守備ラインの選手がドリブルで抜こうとするのは、足技に自信のあるラテン選手がやりそうなことである。しかし、この場合は、あと5分で引き分けに持ち込めるのだから、確実にクリアして、前方の味方に渡しておかなければならないところだった。
 いいところまで来て調子に乗り過ぎるのも、ラテンのサッカーらしいところだ。しかし、きびしい試合の経験をたくさん積んでいれば、こんなことにはならなかっただろう。 
 だが、強豪ソ連に対して1失点でしのいだのは上出来だった。 
 第3戦の相手はシリアで、すでにソ連とコロンビアに2敗していた。 
 シリアも決して弱いチームではかかったが、コスタリカは有利な立も場にあり、落ち着いて立ち向かえば勝つ望みは十分あった。 
 勝てばグループの2位で、2次リーグに進出できそうだった。 

国際舞台の経験不足
ベンチが舞い上がって、2次リーグ進出を逃した!

 ワールドユースの2次リーグに進出できる望みが濃くなって、コスタリカのベンチは、足が地に着かないような状態になっていたらしい。 
 体力トレーニングを担当してワールドユースに同行した下田君は、ここでちょっと不安になったという。 
 下田君が不安を感じたのは理由がある。 
 初出場のコスタリカのようなチームは、第1戦に照準を合わせて体力作りをしてきている。 
 優勝候補のチームの場合は、決勝戦までを見通してコンディション作りをしなければならないが、弱いチームは、とにかく一つ勝てば、まず成功なのだから第1戦が勝負である。だから第1戦をベスト・コンディションで戦えるように持ってきている。 
 その第1戦に勝ち、その勢いで強豪ソ連に対しても善戦した。しかしそれだけに、第3戦のときは、体力も気力も、かなり消耗しているはずである。 
 相手のシリアは、2次リーグ進出の望みをなくしているとはいえ、開催国と同じアラブの一員、つまり地元も同然である。のびのびと思い切ったプレーで1勝を狙ってくるに違いない。 
 だから楽観は禁物なのである。 
 不幸にして、下田君の不安は的中した。 
 コスタリカは、第1戦、第2戦と同じように守備ラインが深く下がって厚く守った。引き分けでも2次リーグへ出られる、という計算があったようだ。 
 一方、前線のプレーヤーは、トップに出て、なかなか戻らなかった。これまでの試合にくらべて、トップに立っていれば点が取れるような気がしたのかもしれない。体力の消耗もあっただろう。 
 前線と守備ラインの中間が伸びたところを、シリアはうまくついてきた。中盤で1本つないでフリーになり、守りを引き出しておいてサイドにたたいてえぐり、前線の強力ストライカーを生かした。
 前半15分くらいに1点目をとられ30分までの間にたて続けに2点を加えられた。15分間で3点である。 
 後半、コスタリカは守備ラインをあげて態勢を立て直し、1点を返したが、結局3−1の負けだった。このグループは、ソ連が3戦全勝、あとの3チームは、みな1勝2敗だったが、得失点差でコロンビアが2次リーグに出た。 
 ワールドユースに日本人としてただ一人、番外出場した青年海外協力隊員・下田君の奮戦記も、これでおしまいになったわけだが、この第3戦については、コスタリカのベンチに国際舞台の経験がなかったことに敗因があるように思われた。 
 下田君からは、他のチーム、たとえばベスト4に進出した米国の印象なども聞いたし、コスタリカのサッカー事情も話してもらったが、残念ながら今回は紹介する余裕がない。 
  そのうちに、おいおい、ニューヨーク発でお伝えすることにしよう。


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