ブラジル人コーチの功績
新しいものを取り入れる努力が清水商優勝をもたらした!
平成元年の高校選手権決勝は清水商と市立船橋の対決だった。ぼくはなんとなく「船橋有利」という気がしていた。
格別根拠があったわけではない。
少年から高校まで、地域ぐるみで選手を強化している清水のサッカーに、そろそろ限界が見えてもいいころだと考えただけである。 しかし、試合直前に清水商のベンチをのぞいてみて、ぼくはこの考えを撤回した。
清水商のベンチでは、色の浅黒い小柄なおじさんが、英語と日本語とポルトガル語に身振り手振りを加えて、選手一人ひとりに指示を与えていた。ブラジルから来ているジュリオ・セザール・カストロ・エスピノザさんである。
外人コーチが教えたら、たちまちチームが強くなると考えたのでは、もちろんない。
ぼくが考えを変えたのは「清水のサッカーにそろそろ限界がみえてもいい」という見方が間違っていることを知ったからである。
正しい方針で仕事をしていても、同じやり方や考え方をいつまでも続けていると必ず限界がくる。真似をしたり、さらに新しい方法を考える人が出てくるからである。
しかし勝ち続けているところは、成功している方法を簡単に変えるわけにはいかない。だから新しい考えに耳を傾けるのは難しい。
にもかかわらず、清水はブラジルのコーチを招き、すでに実績のある監督とともにベンチで選手を指導するのを認めた。
ぼくが感心したのは、常に新しいものを取り入れようとする、清水のサッカーの姿勢と、それを受け入れている、清水商の大滝雅良監督の度量だった。
こういう姿勢があれば、まだまだ清水のサッカーは日本の先頭を走ることが出来るだろうと思った。
ところで、このエスピノザさんは39歳。大学出の体力トレーナーとしてブラジルのいろいろなプロチームで成功した経歴を持っている。1984年にはインテルナショナルとともにキリンカップに来日、ロサンゼルス・オリンピックにも参加した。いま読売クラブの特別コーチをしているジノ・サニといっしょにカタール代表チームで働いたこともある。
さる8月に清水のチームがブラジルに行ったときに大滝監督と知り合ったのが、清水にくるきっかけだったそうだ。
清水商の関係者は、大会前、エスピノザさんの指導を受け入れていることを、報道陣にあまり話したがらなかったらしい。
事情はあるのだろうが、プロの経歴を持つ人が、高校生を指導していることが分かると、問題になると思ったのかもしれない。
だが、古い偏狭なアマチュアリズムに遠慮することなど、まったく無用である。広く世界に目を向けて、良いものをこだわりなく受け入れてこそ、本当の教育というものである。
鳥居塚伸人君がんばれ!
優秀選手には選ばれなかったが、与那城監督は絶賛した!
高校選手権の試合は、首都圏のいくつもの会場に分散して行われる。だから組み合わせが決まると、評判のチーム、評判の選手を見逃さないために、1、2回戦をどこに見に行こうかと会場の選定に頭をしぼる。
今回は2回戦は大宮に行くことにした。お目当ては南宇和と前橋商である。どちらもいい選手がいるという前評判だったが、上位に進出して来ないと見損なうおそれがある。そこで早いラウンドで見ておこうと思ったわけである。
南宇和は福井県代表の丸岡に5−0の大勝だった。個人技のレベルにかなり差があった。
南宇和で評判の選手は、まず3年生の埜下(ののした)荘司。身長1メートル83の大型ディフェンダーである。相手のエースをしっかりマークし、ヘディングが強く、先制点につながる長い好パスを出した。評判通りである。
南宇和ではもう1人、2年生の黒田一則が評判の大型中盤プレーヤーだが、前日の試合で右足を痛めて調子が良くないとのことだった。
前橋商も福岡県代表の東海大五に5−0。実力には点差ほどの開きはないようだったが、前橋の方には二つの利点があった。一つは、東日本で強い相手にもまれて試合慣れしていることであり、もう一つは1メートル80の服部浩之、1メートル79の桑原賢治と大型で技術のある攻撃のスター選手を揃えていることである。
この2人は評判通りの力を見せていたが、ぼくはもう1人の殊勲選手を見つけ出した。中盤の底で奮戦した鳥居塚伸人君である。
鳥居塚は、相手のエースに食い下がり、しつこくボールを追い、攻撃の起点にもなった。最後には見事なドリブルで得点もあげた。 鳥居塚君を評価したのは、ぼくだけではない。奈良知彦監督に「13番はいいですね」と水を向けたら、「ええ、地味でクロウト好みだけど」と我が意を得た口ぶりだった。
大会が終わったあと、読売サッカークラブのジョージ与那城監督と話をしたとき、与那城監督も鳥居塚選手を高く評価した。
「ぼくの好みの選手ですね。頑張るしセンスがいい。転んでも、すぐ起き上がっていいパスを出す」
さて決勝戦のあとの閉会式で優秀選手の発表がある。今回も30人の名前が発表された。
南宇和からは埜下ひとりがはいっていた。
前橋商からは桑原のほか中盤の若林秀行、米倉誠がはいった。いずれも3年生である。2年生の服部と1年生の鳥居塚ははいらなかった。
優秀選手の選び方には、毎年、疑問を感じているが、人数に限りがあるし、同じ学校からばかり選べないこともあって、難しいことはよく分かる。鳥居塚君の場合は1年生のうえ、身長1メートル66と小柄だから目に付きにくかったのかもしれない。
でも、よく頑張っていたから、ぼくがこの誌上で敢闘賞を贈ることにしよう。
レベルは上がったか?
全国的に向上したが、技術指導の方法を見直す必要もある
横浜三ツ沢の会場で準々決勝の日に、広島県工の松田輝幸先生にばったり会った。県工はこれまでに多くのすぐれた選手を育て、何度も全国大会に出てきているが、今回は広島県大会の決勝で進学校の国泰寺に敗れて出場できなかった。
「生徒が来ないで先生だけ来てちゃだめじゃないの?」
松田先生は、若いころからよく知っている間柄だから、遠慮なく冗談を言ったら、笑って
「生徒は明日、バスで来ます」
と言う。
全国大会の出場権は得られなかったが、見学のためはるばる広島から呼び寄せるのだという。
そういえば、競技会場の周辺に停まっているバスに「XX高校サッカー部様」と出場校ではない学校の名前が書いてあるのをよく見掛けた。自分の県から出ているチームを応援するだけでなく、関係のない試合も見て勉強するために来るらしい。
全国でサッカーが盛んになり、どの地方の高校も、それぞれにレベルアップに努力している証拠である。
「ことしはどうですか? レベルは上がっていますか?」
松田先生が聞いてきた。
これは難しい質問である。
もう30年以上も冬の高校選手権を見てきているので、つい10年前、20年前と比べてしまう。
「昔はボールを満足に止められない選手もたくさんいたからね。そういう点では、いまの選手の技術は上がっている」
こう答えながら、前々日に駒沢で見た3回戦の暁星と新潟西の試合を思い出していた。
体力的な素質は、新潟が劣っているとは見えなかったし、暁星も良い出来ではなかったのだが、ボールは大方、暁星が支配していた。
新潟の選手もボールを止めることは出来る。そういう意味ではテクニックはある。しかし次に味方に渡そうとすると間合いを詰められ、コースを読まれて、苦しくなる。
これは、ボールを止めるとき、必ずワンタッチして持ち直しているためのように見えた。つまり相手がいるときに、それをかわしながらボールを受けることが出来ない。また周囲の状況に応じて次のプレーをすることが出来ない。そこのあたりに差があるようだった。
試合は2対0で暁星の勝ち。新潟西の足が落ちてきた後半の終わりごろに、暁星が巧い攻めで立て続けに2点をもぎとった。
「都会の子供は知恵がある。うちの子供も知識はあるんだが、田舎者で知恵が回らない」
と新潟西の監督が嘆いていた。
だが、ぼくは戦術的能力の問題よりも、個人技の質に問題があるように思った。
こういう技術指導の見直しは、高校チームだけで解決できる問題ではない。清水のように少年サッカーのレベルから地域ぐるみで、広島のようにバスを連ねて勉強にくるくらいの熱意で、それぞれ地方ごとに努力を積み重ねていかなければならないだろうと思う。
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