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サッカーマガジン 1988年6月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

サッカーと世界最高峰への登山
真のプロフェッショナリズムを山で考える

ちょっとチョモランマヘ  
空気の濃さが平地の半分のところでサッカーができるか?

 この原稿を徹夜で書いて、明日は海外旅行に出かけようとしているところである。
 今度は欧州? それとも、また南米? きっとサッカーの盛んなところだろうな、と思うだろうが、これが違う。 
 読者の皆さんが、この記事を読んでいるころ、ぼくは、たぶんサッカーのまったく行われていないと思われる地域、つまりこの地球上では実に珍しい地域にいるはずである。
 ぼくの考えではこの地球上でサッカーの行われていない地域といえば北極と南極ぐらいのものだが、もうひとつ、多分、ヒマラヤの山の中でもサッカーは、やっていないんじゃないかと思う。ぼくが出かけようとしているのは、そのヒマラヤの山の中、それも世界最高峰、エベレストのふもとなのである。 
 少し説明させてもらうと、世界でいちばん高い山は、標高8848メートル、中国とネパールの国境にある。そして中国では、この山をチョモランマと呼んでいる。現地の言葉で「大地の女神」という意味だそうである。 
 一方、ネパールではこの山をサガルマタと呼んでいる。「大空の額」という意味である。
  エベレストというのは、この山を見つけて測量したイギリス人の名前だが、現地のチベット人やネパール人にいわせれば、この山は、あの場所にずっと大昔からあって、なにもミスター・エベレストが見つけたわけではない。名前だってずっと昔から「チョモランマ」あるいは「サガルマタ」と呼ばれていた。だから世界最高峰をエベレストと呼ぶのはおかしいと現地の人たちは主張する。 
 そういうわけで、いま日本、中国、ネパールの三国合同で行われている登山を「チョモランマ・サガルマタ友好登山」と呼んでいる。そして、この登山計画を読売新聞社が応援していて、ぼくが2年ごし、その準備を担当してきた。いよいよ登頂のときが迫ったので、ちょっと現地視察にふもとまで行ってみようというわけである。
  ふもとといっても、ベースキャンプになっているところが標高5000メートル以上ある。富士山よりはるかに高い。空気の濃さが平地の半分だから、へたをすると高山病になる。ちょっと動くとぜいぜいと息がきれるという話である。 
 そんなところではサッカーのような激しい運動は無理だろうと思っているのだが、しかし行ってみないと分からない。案外、高地には高地のサッカーがあるかもしれない。  

登頂隊員の選び方
スターを特別扱いするか、みんなに平等に機会を与えるか

 世界最高峰のふもとでサッカーができるかどうかはしらないが、ヒマラヤでも、もう少し低いところではサッカーをやっているそうだ。 
 ネパール側でヒマラヤ登山に行くときには、ポーターたちが荷物を担いで何日間もキャラバンをする。その途中、ひと休みの間にポーターたちは空き地でボールをけって遊んでいるという話である。
 高地に慣れていない日本人の隊員には無理なのだが、中にはポーターたちの仲間にはいって、いっしょに遊ぼうとするのがいるらしい。しかし、たちまち息切れして、体調を崩してしまうという話を聞いた。 
 なぜ日本人の隊員の中に無理をしてボールをけろうとするものが出て来るのかというと元気のあるところを見せて、高所に強いことをデモンストレーションするためだという。
  日本の登山隊では、誰が頂上へのアタック隊員になるかは、この段階では決まっていない。隊員全部が登頂隊員候補である。登山の初期の段階では、みなが協力して荷揚げをし、その中から最後に山に強いものが頂上へ行くメンバーに指名される。そこで若い実績のない隊員は、早い段階から隊長の目に止まるように、アピールするわけである。 
 ところが、今回の三国合同登山に関係して外国の登山隊は、必ずしもそうでないことを知った。 
 たとえば中国の登山隊の場合は、最初から頂上をめざす登頂隊員数人が決まっていて、他のメンバーは支援要員である。 
 したがって登頂要員は、最初から最終段階の登頂をめざして調整をする。途中の荷揚げをするにしてもこれは、いわばトレーニングであって、仲間と競争して体調を崩すようなことはしない。ほかのメンバーが荷揚げをしてくれたあと、さあ、おれの出番だ、とばかり花道へ出て行くらしい。 
 つまりスターは最初からスターなのである。 
 もちろん、これは誇張した言い方で、日本隊の場合も、実際には頂上を狙える力をもっている隊員は暗黙のうちに分かっている。そして、その切り札の隊員が力を出せるように隊長が配慮して行動させる。 
 中国隊でも、登頂隊員が調子を崩せば、たちまち支援隊員と入れ替えられる。だから支援隊員はチャンスを狙って自分の力を示そうとする。 
 だから結果的には同じだともいえるのだが、もとの考え方には大きな違いがありそうである。 
 マラドーナを生かすためのサッカーをするか、水沼もみんなと同じに泥まみれでがんばれというか、サッカーでも似たようなことがあるのではないかと考えた。 

プロフェッショナリズム
国の代表に誇りを見いだして謝礼を拒否した登山のプロ

 ぼくの関係している三国友好登山は三つの目標を掲げている。 
 第一は三国友好で、日本、中国、ネパールの三国の隊員が、平等の立場でパーティーを組む。最後の登頂も各国1人ずつ3人が1本のザイルで頂上をめざすことになっている。 
 二つ目の目標は交差縦走である。南側と北側から同時に頂上をめざし国境を越えてそれぞれ反対側に下山する。 
 もう一つの目標はテレビ生中継である。カメラマンの登山家が登頂の様子を写しながらいっしょに登り、衛星を使って日本へ同時中継する。天候が順調なら、5月5日に日本にいながらにして、登頂の様子が見られるはずである。 
 この三つの目標は、成功すればいずれも世界で初めてのことになるがぼくは、三国友好にもっとも大きな意義があると思っている。 これまでにも国際的な連合登山隊が組まれたことはあるし、日本人と中国人、あるいは日本人とネパール人が並んで頂上に立った登山もあった。 
 しかし、これまでの登山では、ネパールのシェルパ、あるいは中国のチベット人は外国隊に雇われてガイドとして登ったのだった。
 今回の考え方はこれとは違う。ネパールの隊員の主力はシェルパ族だし、中国の主力もチベット族だが、今回は彼らの国の代表である。国情の違いもあって、彼らはアマチュアではなく、登山が職業であり、今回も給料をもらって参加しているのだが、隊員は日本隊から報酬をもらうのではなく、それぞれの国の登山協会から派遣されている。 
 「お金をもらって登るのなら。その出所がどこだって同じじゃないか」と思うのは、アマチュアリズムに毒された考えだ。 
 昨年の秋に、本番の準備のために新聞社から偵察隊を出した。
 そのとき南のネパール側で、今回の登山の隊員に決まっているシェルパに頼んで、1カ月にわたって、記者とカメラマンのガイドについてもらった。この場合は、雇うつもりだった。 
 ところが、彼は謝礼をどうしても受け取らない。 
 「自分は来年の隊のネパール隊員として、同じく来年の日本隊員である皆さんに協力する。お金を払うなら、この仕事はしない」
 ネパールの人たちは、日本人にくらべると非常に貧しい。またシェルパは山岳ガイドが職業である。お金をもらって当然である。 
 だから、これは「武士は食わねど高揚子」よりも、もっと徹底した話である。 
 人間にとって誇りがどんなに大事なものか、ナショナリズムとはなんだろうか、プロフェッショナリズムとアマチュアリズムはどう違うのだろうか……。 
 日本のサッカーが中途半端なプロフェッショナリズムでうろうろしているときだけに、壮大なヒマラヤのふもとで、そんなことを、のんびりと考えて来たい。


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