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サッカーマガジン 1988年4月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

2002年ワールドカップを日本へ
問題は競技場より将来の代表たちの強化法

楽しいから開きたい
なぜ日本開催がいいか国民全部に知ってもらう必要がある

 2002年のワールドカップを日本で開催したい、という声がある。昨年(1987年)の12月に東京で「2002年ヘキックオフ」と題してシンポジウムも開かれた。
 このシンポジウムは、サッカーを見る目のある人たちが集まっている「日本サッカー狂会」、通称「気狂い会」の主催だった。ぼくは基調講演といったら大げさだが、大筋を説明する役で招かれて参加した。
 フロア(聴衆席)は、うるさい意見の持ち主ばかりで、なかなか聞きごたえのある活発な討論があった。その中でも「うーむ」と思ったのは次の質間である。
 「いったい、なぜ2002年に日本でワールドカップを開かなければならないんですか?」
 これは手厳しい意見である。
 この日の出席者は、演壇もフロアも、熱心なサッカーファンばかりで「日本でワールドカップを開くのは当然」という前提で来ていた。だからこの一見平凡な問題提起に意表をつかれた思いがした。
 サッカーの世界選手権であるワールドカップは、オリンピックに勝るとも劣らない国家的事業、大衆的催しである。そこのところが、他のスポーツの世界選手権を開催するのとはわけか違う。
 たとえば、会場は全国にまたがるから地方空港の整備、道路の改修、通信網の確保、マスコミ対策、海外からの応援団、観光客の受け入れなどスポーツの世界の中だけではすまない問題がたくさん出てくる。
 そういうことを考えると、国民全部がワールドカップ開催に賛成する世論を盛り上げる必要がある。国民大衆の支持を得ないうちに招致はできないはずである。
 「1970年以来ずっと4年ごとの大会を欠かさず見に行っていますが……」
 ぼくは演壇の上で、多少へどもどしながら答えた。
 「行って見て世の中にこんな楽しいものはない。この楽しさをぜひ1度は日本の国民に味わってもらわない手はない。これがワールドカップを日本で開催したい理由です」
 これでは、もちろん、十分な答えにはなっていない。しかし率直なぼくの本音ではある。
 この本音を日本中の人たちに分かってもらえるようなキャンペーンを展開することが、まず手始めではないだろうか、と考えた。
 ところで、なぜ2002年かといえば、それが日本誘致の可能性のあるもっとも近い将来だからである。
 次の1990年はイタリアに決まっている。その4年後の1994年はブラジルが有力だ。その次の1998年は欧州の番である。
 だから、その次の2002年ということになるのだが、これから正味14年という期間は、この大きな催しを準備するのに、決して十分な長さではない。

競技場はむずかしくない
大きな陸上競技場よりも見やすいサッカー専用場がいい!

 「日本でワールドカップを開くのに一番の問題点はなんだろう」
 サッカーに詳しい人は、たいていこの質問に「会場を作ること」と答える。「2002年へキックオフ」のシンポジウムでも、これは一つの大きなテーマになった。
 ぼくの考えでは、これはそんなにむずかしい問題ではない。
 「会場が一番の問題」と考えるのは、過去のワールドカップのメーンスタジアムを思い出すからである。20万人以上はいるといわれるリオのマラカナや全部座席で10万人以上を収容するメキシコのアステカに比べられるようなスタジアムは日本にはない。だから……となるわけである。
 確かにアステカ・スタジアムのような大型で豪華な設備は、いまのところ日本にはない。しかし世界に冠たる日本の経済力と技術力をもってすれば、スタジアム建設ぐらいなんでもない。
 問題は用地である。土地の値段の高いことでも、日本は世界に冠たるものがある。競技場の建設用地を新しく購入するのは不可能に近い。
 これは、どうしても国有地か都有地に、国立あるいは都立のスタジアムを建設するほかはない。
 一つの方法は、現在のスタジアムを作り直すことである。千駄ケ谷の国立競技場も、都営の駒沢競技場も1964年の東京オリンピックのために建設されたもので、もう老朽化して建て直す時期にきている。
 この二つは陸上競技場だから、サッカー専用競技場に建て替えるとなると陸上競技連盟あたりが反対するかもしれない。
 そこで新たに敷地を求めると、代々木のNHKの隣のフィールドや東京湾の湾岸開発計画による埋め立て地がある。NHKの隣のフィールドは、場所はいいが面積がやや足りないので、東京湾岸がいいように思う。もちろん、実現するには、首都圏の住民の支持とサッカー協会の政治力が必要である。
 むずかしいことは確かだが、可能性は十分ある。問題はここで大衆の世論の盛り上がりである。
 スタジアムの収容能力は8万程度で十分だとぼくは思う。国際サッカー連盟は、なにやら大げさな基準を振り回しているようだが、テレビの時代にあまり大きなものを作っても意味がない。マンモススタンドのてっぺんから豆粒のような選手を見るくらいなら、家でテレビを見た方がいいということになりかねない。
 さらに付け加えれば、大スタジアムは決勝戦用に、東京に一つだけあればいい。
 ワールドカップの会場は、全国の都市に分散されることになるが、これは将来の利用価値を考えれば4万人収容前後で十分である。そうであれば、敷地は現在の各地の球技場の建て替えでまかなえるはずである。
 大規模でなくても、ハイテクの時代、21世紀にふさわしい内容の充実したサッカー専用競技場を――と、ぼくは考えている。

日本代表の強化は
地域に根ざしたクラブの中から選手を生み出す他はない!

 紀元2002年に日本でワールドカップを開催しようというシンポジウムの中で「日本代表チームをどう強化すべきか」という問題も、もちろん討議された。
 「地元でぶざまな負け方をしたんじゃ締まらない。少なくとも地元の大会でベスト8に進出したメキシコくらいの活躍を」
 これは、みんなの願いである。
 願いは同じでも、そのための方法については意見はさまざまだ。
 「いまから良い選手を集めて徹底的に訓練するような思い切った方法を日本サッカー協会がとらなければ到底、世界には追いつけない」
 フロアから、こんな意見が出た。
 これは、ぼくがかねてから批判してやまず、日本サッカー協会が固執してやまないところの「集中強化主義」と同根の考え方である。
 こういう意見の人の頭の中には、ソ連などのいわゆる東側の国の方法がモデルとしてあるに違いない。素質のありそうな子供を全国からさがし出し、小学校のころから1カ所に集めて英才教育をする、そういうイメージである。
 このイメージには、いくつかの間違いがある。
 第一に、東側の国でも集中強化だけが効果をあげているのではないことである。有力なスポーツクラブが各地で競いあいながら選手を育て、その競争力の中から選手が出て来ていることを見落としている。
 第二に、集中強化的な英才救育が効果をあげているのは、女子体操など一部の個人種目だけに限られていて、チームスポーツで成果をあげた例は乏しいことを忘れている。
 第三に、集中強化で鍛える中からは個性の強いスター選手が育たないことについての認識がない。世界のサッカーをみれば、ペレにしろ、ベッケンバウアーにしろ、マラドーナにしろ、個性強烈なスーパースターがいるところに栄冠が輝いていることが分かるはずである。
 さて、2002年のワールドカップをめざす集中強化を考えてみる。
 代表選手の平均年齢を24、5歳と想定すると、21世紀初頭の代表選手たちはいま、10歳前後、小学校4、5年生くらいである。
 その子供たちを、いまのうちから選抜して、いまの日本のサッカー協会のコーチたちに指導させたらどういうことになるか?
 ぼくの想像では、未来のワールドカップ代表として選ばれた少年たちは、いまのコーチたちのイメージの型にはめられてしまって、個性派スターは、選ばれなかった選手の中から生まれてくるのではないか。
 選手は、各地のクラブの競争の中で育つ。
 そのためには、ワールドカップの会場になりそうな各地の都市でプロフェッショナルを抱えたクラブが競いあうような状況が必要である。
 まわりくどいようでも、それがレベルアップの王道であり、ワールドカップをめざして、そういう状況を作りだすことに、開催の大きな意義があると思うがどうだろうか?


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