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サッカーマガジン 1988年3月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

熱意と研究心で18年目の優勝!
頭脳、技術、速さを養った小嶺サッカーの成功

国見の小嶺監督万歳!
南米選手権を自費と休暇で見に行った熱意と研究心に敬服

 正月の高校サッカー選手権大会で長崎県の国見高校が優勝した。決勝戦の試合終了の瞬間、国立競技場のベンチで、監督の小嶺先生が大泣きに泣くんじゃないかと思って記者席から注目していたが、先生は必死に涙をこらえて、ついに泣かなかった。でも、高校サッカー指導18年の苦労とこれまでの高校選手権での不運を思うと、小嶺先生が悲願の実現に号泣したっておかしくはない。試合に負けた選手たちが、めめしく泣くのとはわけが違う。
 ぼくは、ブラジルのサンパウロで小嶺先生にばったり出会って、びっくりしたことがある。昨年(1987年)の6月末、南米選手権を見に行く前にブラジルに寄ったとき、のことである。 
 「いっぺんは本場のサッカーを見ておこうと思ってとくに校長の許しを得て来ました」 
  学期の中間試験が終わって採点までのわずかな期間に休暇をとれたので、貯金をはたいたということだった。
 「せっかく、ここまで来たのなら一足伸ばしてアルゼンチンまで行きなさいよ。これからあっちで南米選手権が始まるんですよ」 
 ぼくは無責任に旅の予定の変更を勧めた。 
 「そうですか、そりゃ1試合か2試合でも見てみたいな」 
 ひょうたんから駒が出て、一足早くブエノスアイレスにはいったぼくの後を迫って、小嶺先生は本当にアルゼンチンにやってきた。 これには、無責任なぼくも、いささかびっくりした。同じ南米の中といってもサンパウロからブエノスアイレスまで足を伸ばせば飛行機代もかかるし、予定の変更でホテル代などもかさむだろう。小嶺先生に余計な出費を強いてしまったのではないかと心配した。 
 結局、小嶺先生は、駆け足旅行ではあったが、ブエノスアイレスからさらにコルドバまで足を伸ばし、コパ・アメリカの試合を、たしか3試合見て帰った。 
 本当のところ、南米の一流プロの試合が高校サッカーの指導にすぐ役立つというものではないだろうと思う。しかし、見聞を広め、新しいものを見ておけば、いつかそれが何らかの形でサッカーのこやしになるだろう。 
 そのために、貯金をはたき、休暇を工面して南米までやって来たうえに、無責任なジャーナリストの勧めにも耳を傾けた研究心は、実にたいしたものである。 
 小嶺先生といっしょにコルドバで見た試合で、優勝候補のブラジルが、弱小とみられていたチリに0−4で大敗する番狂わせがあった。 
 これに対する小嶺先生の感想に、ぼくはまた、びっくりした。 
 「いやあ。歴史的な試合を見ることができました。去年の高校選手権の東京代表決定戦で帝京が暁星に負けた番狂わせを思い出しました」 
 東京の高校選手権予選を、小嶺先生は長崎から見に行ったらしい。 
 この熱意と研究心がついに報われたのは、実に良かったと思う。

国見のゴールが示すもの
決勝戦の得点には国見のサッカーの良さが凝縮されていた

 高校選手権の決勝戦は、前年と同じ顔合わせで、国見が1−0で静岡の東海大一を破った。勝利を決めたのは前半23分の1点だが、この1点には今回の国見のサッカーの良さが凝縮されていたように思う。 
 この1点をあげた国見の攻めは、東海大一のゴールキーパーが大きく中盤にけったボールを、国見のディフェンダーがヘディングでとったところから始まる(図)。 
  高くけられてハーフラインを越えて落ちてきたボールを、国見の左のディフェンダーの吉田裕幸と東海大一の中盤の吉田康弘が争って、国見の吉田がヘディングでとった。 
 東海大一の吉田の身長は1メートル70、国見の吉田は1メートル62である。チビの吉田の方がヘディングに勝った結果になった。 
 この決勝戦で東海大一は、ヘディングの競りあいに、ほとんど負けていたが、これは東海大一の方が体力的に疲れていたからではないだろうか。体力の消耗の程度は、それまでの戦いの相手の手強さにもよるけれど、7日間の大会を勝ち抜くための監督の手綱の締め加減によるところも大きい。国見が決勝戦で体力的に相手を上回ることが出来たのは、小嶺監督が「選手権の戦い方」を、身につけてきたからではないか、という気がする。 
 さて、国見の吉田がヘディングで落としたボールを、内側から走り出た永井が受け、前方のオープンスペースへ出した。 
 2年生の永井のけったこのパスがまた絶妙だった。 
 実に手ごろなスピードのボールを軽く浮かせてけった。 
 相手の攻めから味方の攻めへと切り替わった直後だから、味方が攻めに出るには多少の時間がかかる。その時間を、パスのコースの途中にいる相手の頭の上を越す軽妙なパスで稼いだ。 
 左のコーナー付近に走り出た二宮のスピードもすばらしかった。完全に相手を置きざりにしていた。これは足の速さもさることながら、ボールが味方のものになった瞬間に行動を起こした守から攻への切り替えの早さと、永井のアイデアに呼応した次の展開への読みの早さがものをいっている。つまり足も頭も早かった、ということである。 
 ゴールライン近くまで持ち込んだ二宮のドリブルに東海大一の守りは必死に追い付いたが、二宮のセンタリングが一瞬早かった。このセンタリングはペナルティマークのところに狙い通りに届き、そこに山木がぴたりと走り込んでボレーシュートを決めた。 
 ヘディングに勝ち、スピードで勝ったのは体力である。
 しかし、勝負に勝ったのは体力のお陰ではない。 
 永井、二宮、山木の攻守の切り替えの早さは、味方の次のプレーへの読みの早さから生まれている。そして永井と二宮の正確でタイミングの良いパスの技術もすばらしい。 
 こういう選手を伸ばした小嶺監督の手腕も、またすばらしい。 

1年生原田起用の内幕
選手権の戦い方を身に付けた小嶺監督の駆け引きと幸運!

 高校選手権の優勝監督になるには努力や熱意や研究心だけでは不十分である。短期間の連戦を勝ち抜くためには独特の戦い方の駆け引きと幸運が必要である。 
 国見の小嶺監督は、島原商の時代から熱意と努力と研究心で九州の雄といわれるチームを育ててきたが、正月の選手権では、長い間、運に恵まれなかった。また浦和南の松本暁司監督や帝京の古沼貞雄監督にくらべて、選手権を戦う駆け引きでは譲るところがあった。
 しかし国見を率いて優勝した今回は運もあったし駆け引きもあった。その例を一つ見てみよう。 
 準決勝と決勝で原田武男という1年生が活躍した。この選手はエースストライカー二宮の代役で、二宮が準々決勝で、この大会2度目の警告を受けたため、大会の規則で1試合出場停止となり、その代わりに起用されたものである。 
 準決勝での原田のプレーぶりは出色で小嶺監督は「決勝戦には二宮も出られるのですが、原田をどうするか考えてみます」と話していた。 
 決勝では、それまでストライカーだった長身の村田一弘を守備ラインに下げてストッパーにし、前線に二宮と並べて原田を使った。これはいい考えで国見の勝因の一つである。 
  「いやあ、けがの功名といいますか、二宮が出場停止になったために原田を試すことができたし、二宮は休養になった。審判に感謝しなくては……」 
 小嶺監督は優勝したあとでは、こんな冗談をいっていた。 
 ところがである。 
 実は小嶺監督は、大会のかなり前からトップに二宮と原田、ストッパーに村田という布陣を考え、練習試合をこの布陣でやってきたという。 
 ただ大会が始まってからは、レギュラーとしては使わないでベンチに置いていた。1年生の原田が大会の雰囲気にのまれるのを心配してのことだろう。第1戦の東北学院との試合では5−0と差が開いたあと、最後の6分間だけ出しで、雰囲気に慣れさせている。秘密兵器として温存し、使い場所を、狙っていたわけである。 
 これにはもう一つおまけがある。 
 会場で売っている大会のプログラムには、国見高校のところに原田の名前が載っていない。背番号15には別の3年生の名前が載っている。これは最初の選手登録のときにわざとはずしておいて、開幕前日の監督会議のときに差し替えたからである。 
 これはときどきある手で、監督さんは一石三鳥を狙っている。 
 まず秘密兵器を隠しておくことができる。次に一生懸命やってきたがレギュラーにしてやれなかった3年生をプログラムに名前だけ載せてやって労に報いることができる。 
 もう一つ、ちょっと天狗になっているような選手を最初は登録からはずして奮起を促す材料にすることもある。 
 ただし、駆け引きは結構だが、選手登録変更を利用するのは、今後は慎んでいただきたい。お金を出して買ったプログラムに主要な選手の名前が載っていないのは詐欺である。


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