ペルドン! 石井?
石井監督の守りの作戦は不評だったが勝てば官軍である!
「ペルドン、イシイ! グラシアスと言いたいもんだね」
と友人が言う。オリンピック予選を勝ち抜いてソウルへの出場権を獲得して欲しい、という意味である。
これはもちろん、86年のメキシコ・ワールドカップのときにアルゼンチンのファンが掲げた「ペルドン ビラルド! グラシアス!」のもじりだ。
大会の前には、アルゼンチン代表のビラルド監督の評判は地元ファンの間で、はなはだ悪かった。ジャーナリズムも、ビラルド監督の方針を手厳しく批評した。
ところが本番のワールドカップでは、マラドーナを押し立てて連戦連勝、とうとう優勝してしまった。
ファンにしてみれば優勝してくれれば何も文句はない。
「いままで悪口ばかりいっててご免なさい(ペルドン)」と謝ったうえで「ありがとう(グラシアス)」と素直に感謝の意を表した言葉である。
ところでソウル・オリンピック予選を戦う我が日本代表チームの石井義信監督の戦い方も、ぼくの知る限り評判は芳しくなかった。「守りばかり大事にして攻めが単純過ぎる」というのが、大方の批判だった。
しかし、それでも石井全日本はタイに勝ち、ネパールに勝ち、難しいだろうと思われた中国にも、相手の地元の広州で勝った。
勝ってくれれば、ぼくの友人も文句はない。最後まで勝ち抜いてソウルへの出場権を獲得すれば、シャッポを脱いで「ご免なさい石井監督、ありがとう」と感謝したいというわけである。
アルゼンチンのファンや、ぼくの友人を無定見だということはできない。代表チームの監督は、勝てば官軍である。勝ってくれれば、それまでの批判は帳消しになって、おつりがくる。
ファンや地元のジャーナリズムは代表チームに自分の理想のサッカーを追い求めている。スタープレーヤーが活躍し、華麗な攻撃を展開して得点がどんどんはいり、そして勝つことを求めている。
しかし、監督は立場が違う。理想のサッカーをするよりも目の前の試合に勝つことが先決だ。どんなに華麗で魅力的なサッカーをしても、負ければすべては悪口の材料になる。
「いまのわれわれの力では、格好は悪くても、まず守りを固めて点をとられないことからはじめなければ勝てない。そして一つひとつ、勝っていくしかない」
試合のあとのインタビューで石井監督はこう繰り返していた。それで最後まで勝ち抜けば、ぼくもやっぱり「グラシアス」といいたい。
タイからあげた決勝点
守りを固め速攻のオープン攻撃で逆襲する作戦が成功した
さて、評判は悪かったが、結果的に成功した石井監督の守備作戦は、どんなものだったか。その典型的な例を9月26日に東京の国立競技場で行われたタイとの第2戦に見ることができる。
この試合の前に両チームのメンバーが配られて来た瞬間が、多分、記者席での石井監督の評判が最低になったときだろう。
「なんだこれは! 中盤までみんな守りの選手だ」
「攻めの頼りの水沼をサポートするのは誰もいないじゃないか」
「原のヘディングで1点とって、それを守ろうという狙いだろ」
「1点とればいいけどね。1点くらいは向こうが取る可能性だって十分だよ」
この日の全日本の中盤は倉田、西村、都並。みんな、もともと守備ラインのプレーヤーである。
攻めは両翼の右に水沼、左に手塚で中央に原ひとり。水沼は攻めのきっかけを作るために中盤に引きぎみになり、手塚は守備に追われて中盤に戻ることが多い。結局、原だけを最前線に残して逆襲を狙おうという形だった。
タイは攻めの前線に4人出てくるから、中盤の底の倉田は押し込まれて守備ラインにはいることになる。そのために陣形はますます守備的になった。
試合が始まると、この布陣の守りの狙いはますます明らかになった。倉田が乱暴なタックルで警告を受ける。都並が次から次へとスライディングタックルを試みる。
守りに偏した布陣だから、スライディングタックルしても、ボールはねとばすのが精一杯で、はねとばしたボールはまた相手に拾われる。
「これは苦しい試合になりそうだ」と思われる形勢だった。
ところが前半34分、石井監督が頭の中に描いていたに違いないような展開から日本が1点を取った。
中盤の左ライン寄りで、加藤がスライディングタックルする。こぼれたボールをまた都並がスライディングタックルする。そのボールが倉田にわたりタテのパスが手塚に出る。手塚がライン沿いにドリブルし相手をフェイントでかわして、ぎりぎりいっぱいのところでゴール前に上げる。ゴールキーパーがかろうじて触ったボールが水沼の前にこぼれ、水沼が胸でさばいて得意の右足のボレーで見事に決めた。(図)
積極的なつぶしで守りに守る。ボールが取れたらウイングから逆襲して浮き球をゴール前に上げる速攻のオープン攻撃。この日の布陣ではこれしかないという攻撃パターンが見事に実った1点だった。
強運も実力のうち!
石井監督の努力と信念に最後まで幸運が付き合って欲しい
タイとの試合の1点が前半のうちにはいったのは幸いだった。点が取れないまま推移していたら勝負はどうなったか分からない。後半タイは中盤にシャラムウを入れてから攻めの主導権を握るよりになり、あわやという場面を何度も作った。このシャラムウは、石井監督がもっとも警戒していた選手だそうだ。それが後半15分になってから登場したのは、タイ側に事情があったに違いないが石井監督にとっては幸運だった。
このように石井監督の守りの布陣が成功したのには幸運が重なっている。しかし幸運を呼びこんだ「我慢のサッカー」をしつこく続けたのは石井監督の努力と信念である。
日本代表チームの選手起用をみると石井監督の方針が終始一貫していることが分かる。
ネパールとの第2戦のメンバーだけが少し変わっているが、これは試合の間隔がつまっていたとか、負ける可能性のある相手ではなかったなどの事情がある。そのために、この試合だけ少し顔ぶれが違うのだが、他の試合はみな、中盤から厳しく守る、という方針の選手起用である。
攻めの方は水沼を起点として使う方針が一貫している。だが少し検討してみたい点もある。
一つは奥寺の使い方である。
奥寺は東京でのネパールとの第2戦と東京でのタイとの試合には登場しなかった。しかし中国との第1戦の広州での試合では「最高の出来」だったということである。このときは相手の布陣との関係でサイドバックのポジションを基地に攻めに出る形。つまり西ドイツでやっていたときと似たポジションだったそうだ。
もう一つのポイントは、最前線の選手起用に二通りの手を使っていることだ。一つは長身の松浦と原を並べてトップに使って中盤からロビング攻撃を狙う手であり、もう一つは松浦をはずして手塚を起用し、オープン攻撃を狙う手である。
どちらにしても、このようなゴール前でのヘディングに頼る単純な攻め方だけでは、互角の相手からでも幸運に恵まれて1点を取るのが精一杯だ。あとはフリーキックやコーナーキックのチャンスを活用するしかないな、と思っていたら、広州で中国からあげた1点は果たせるかなフリーキックからだった。
この原稿を書いている時点では、まだ中国との第2戦が残っている。
日本が10月26日の国立競技場で中国に勝って有終の美を飾るまでは、石井全日本への評価はお預けにするのが本当だろう。
それまでは、努力と信念に幸運が最後まで付き合ってくれることを祈っていよう。
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