富士五湖での体験
少年たちに試合の機会がたくさんあるのは、いいことだ!
さわやかな秋風がグラウンドに吹きぬけるようになったいま、あの少年たちは、どうしているだろうか。暑い盛りに真っ黒になってボールを追った思い出で、体も心もひと回り大きくなって、元気いっぱいで学校に行っているだろうか。
ぼくは、この夏は少年たちのサッカーをたくさん見る機会に恵まれ、いい思い出がたくさんできた。山梨県の富士五湖で開かれた少年サッカー・フェスティバルに招かれて、富士山麓で楽しく一日を過ごしたのもその一つである。
このフェスティバルは、富士五湖の周辺の七つの市町村の若手経営者の組織である富士五湖青年会議所が企画したもので、運営をした町の社長さんや専務さんは、別にサッカーの専門知識を持っているわけではないのに、かきいれどきの夏の観光シーズンの忙しいさ中に、地元のサッカー協会に協力して献身的な努力で大会を準備していた。広く多くの人の協力を得られれば、ずっといい仕事ができるし、サッカーの良さと面白さをもっと広く知ってもらえる――ということが、よく分かった。
フェスティバルの会場は、富士吉田市の富士北麓運動公園だった。ここは前年の秋に山梨国体のラグビー会場になったところである。日本最高峰の富士山を仰ぎみるすばらしい環境に、美しい芝生の陸上競技場と球技場がある。この「かいじ(甲斐路)国体」の施設を活用してサッカー・フェスティバルを開いたのはすばらしいアイデアである。
参加したのは富士五湖周辺の少年チームだが、ほかに、周辺の町と東京からも招待していた。強いチームを招いたのではなく、縁故のあるチームにお客さんとして来てもらっていた。これも、なかなか良いアイデアだった。
陸上競技場と球技場の芝生にそれぞれ2面ずつ計4面の少年用フィールドを作り、予選リーグ、準決勝、決勝を1日で行うスケジュールである。予選リーグで負けたチームも、それぞれ適当に親善試合をする。一つのチームが1日に4〜5試合をする計算になる。夏の暑い盛りに、これは無理じゃないかと思ったが、標高約700メートルの高いところなので予想以上に涼しく、子供たちはそれほどへばっているふうはなかった。夕方に行われた読売クラブのコーチたちによる特別指導にも、みな元気いっぱいで参加した。
こんな楽しいサッカー・フェスティバルが、夏休み中に全国各地あちこちで開かれただろうと思う。こういうフェスティバルは、いろいろたくさんあってもいいと思う。子供たちが楽しく試合をする機会は、多ければ多いほどいい。
「ふじかめ」がんばれ!
富士山頂上を亀のようにゆっくりめざすチームが優勝!
富士五湖サッカー・フェスティバルで優勝したのは「ふじかめ」というクラブチームだった。開会式のときのチーム紹介のアナウンスによると「日本一の富士山の山頂をめざして、亀のようにゆっくりと登ろう」という趣旨で、この名前がついているのだそうだ。
「小学生のころから日本一をめざして鍛えに鍛えるというようなことはしない、ということですな。しかし 将来は日本一どころか、マラドーナのように世界の頂点に立つ選手も出てくるような指導をしたい」
と関係者は話していた。
亀のようにゆっくりと、しかし富士山のように高い目標をめざして少年たちを伸ばそう、という方針を名前で示しているわけである。
「ふじかめ」は富士吉田市の民間クラブである。市内の七つくらいの小学校から子供が来ているということだった。全日本少年サッカー大会で3年連続優勝した清水FCのような、いわゆる「選抜FC」かと思ったら、そうではないらしい。
「練習は週に2日ですから、そんなに強いチームにはなりません」という。
全日本少年大会で上位を争ういわゆる「選抜FC」は、市内の小学校チームから素質のある選手を引き抜いて一つのチームを編成している。こういう選抜FCも、建て前としては「将来へ向けて大きく選手を育てる」ことをうたっているが、実際には「小学生レベルの大会で勝つ」ことを大目標にしていることは明らかである。
つまり、これは「亀のようにゆっくり」とではなく、てっとり早く、いい選手を集めて、鍛えて、強いチームを作ることを狙っている。それが将来、富士山のような高い頂上に通じる道かどうかは大いに疑問だが、一応、そう言いながら、さし当たり小学生の登れる低い山にまっ先に登ろうとしているわけである。
こういう「選抜FC」と町のクラブは、形の上では区別がつかないようだが、実は大きな違いがある。
選抜FCは優秀選手を選んで編成するわけだから、誰でも自由にはいれるわけではないが、町のクラブの方は誰でも入会を申込むことができるはずだし、原則として少なくとも最初の段階では、誰でもはいれるはずである。そこには本質的な違いがある。「ふじかめクラブ」に、誰でも自由にはいれるかどうかは聞き漏らした。
富士五湖サッカー・フェスティバルの決勝戦で「ふじかめ」の相手は単独の小学校チームだった。学校の行事の都合で、この日の主力は4年生ということだったが、その相手に「ふじかめ」は先手をとられて苦戦した。最後に一人のちびの選手がすばやく、力強いドリブルで逆襲して決勝点をあげたのだが、こういうふうにチームとしてのまとまりでは、あまり強くはないが、個人的な強さを苦しい状況の中で発揮できる選手がいることに「ふじかめ」の良さがあるのではないか、と推察した。
勝ち抜き戦の弊害
負けたチームはそれっきりでは試合数が少な過ぎる!
「試合をする機会がたくさんあるのはいいことだ」というと、誤解を招くかもしれない。1日に4試合も5試合もするのは、いかに涼しい土地とはいえ適当ではないように思うし、大会から大会へ、フェスティバルからフェスティバルへと少年チームが渡り歩いて、子供が夏休み中ほとんど家にいなかった、という話も聞くからである。
だから誤解されると困るのだが、試合数について面白い話を聞いたので紹介しよう。
夏休みの終わりごろに、スポーツフォーラム86と銘打って「これからのスポーツと教育」をテーマに一種のシンポジウムを開き、ぼくがパネル・ディスカッションの司会(コーディネーター)を務めた。
そのときの出席者の一人に都立東大和高校の野球部監督の佐藤道輔先生をお願いした。佐藤先生は東京の都立高校の野球部を指導して、甲子園大会の東京都予選の決勝に2度も進出したことのあるすぐれた指導者である。
その佐藤先生は「甲子園の心の真髓は毎日、毎日の練習の中にある」と説いた。
毎日の練習を工夫し、苦しさに耐え、仲間と協力していく過程の中には、ほかの経験では得られない貴重なものが含まれている。
そのことは、よく理解できるのだが、ぼくには全面的には納得しかねるところもあった。
練習は試合のためにするものである。また試合の中には練習では得られない貴重なものもたくさん含まれている。だから、ぼくは低いレベルのチームであっても、なるべく試合の機会がたくさんある方がいい、と考えている。
そこで、いったい高校野球では公式試合の数は年間どのくらいになるのか、佐藤先生に聞いてみた。
「東京都のチームの場合、一番少ないのは年に2試合です」
というのが佐藤先生の答だった。
6月〜7月に夏の甲子園大会の予選がある。勝ち抜き戦だから1回戦で負けると試合の経験は一度で終わる。秋には東京都の大会があり、これが事実上、春の選抜大会の選考資料になるが、これも1回戦で負ければそれっきりである。
このほかに春にも東京都の大会があるのだが、これは前年の秋の大会で上位に進出したチームだけに出場資格があるから、弱いチームにとっては事実上、公式試合のチャンスは2度ということになる。
弱いチームといっても、トーナメントの1回戦で負けたチームのことだから全チームの半分である。
「それは、ひどいじゃないか」とぼくは考えた。
半分のチームが、年に2度しか公式試合の機会がないのでは、練習の方にスポーツの真髄を求める以外に救いはない。
サッカーでは、できるだけリーグ形式の競技会を多くし、弱いチームも試合の経験を重ねることによって強くなっていけるようにした方がいい。
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