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サッカーマガジン 1987年10月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

少年サッカーランド建設の夢実現へ
優秀選手、選抜FC、会場等
問題の多い少年大会

優秀選手の選び方
試合ごとに両チームから2人ずつ選んでメダルをやろう!

 ことしも炎暑のよみうりランドで子供たちのサッカーを見ることができた。全日本少年サッカー大会――前身の「少年団大会」から通算すると今回が21年目になる。毎年、毎年、子供たちは元気一杯である。競技の運営も、700人を超える選手たちの生活管理も手慣れたものだ。 
 開会式の翌日から競技が始まる。 
 「面白い選手はいないかな」と6面のフィールドで展開される予選リーグの試合を見て回っていたら、読売クラブの与那城ジョージ監督に声を掛けられた。 
 「あの7番に惚れたね。ぼくは、7番を応援してますよ」 
 東京都代表の町田小川FCと青森県代表の十和田キッカーズ・ジュニアの試合だった。 
  与那城監督推薦の背番号7は、町田小川の中盤の選手だった。プログラムを見たら池田秀人君、6年生である。 
 平均して体格の良くなった最近の小学生の中に混じると、いささか小柄だが、すこぶる元気がいい。絶え間なく動き回って、狙いをつけてこぼれ球を拾う。 
 ボールテクニックがよく、周りを見ていていいパスを出す。
 「こりゃ、町田のティガナだな」と感心した。ワールドカップで活躍したフランス代表の中盤のティガナに似ている。 
 町田のティガナも後半はいささかバテて試合は2対0で十和田の勝ちだった。町田小川は結局、ベスト16による決勝トーナメントにも進めなかった。 
 ところで――である。 
 最終日の閉会式で大会の優秀選手30人が表彰されたが、その中には、町田のティガナは含まれていなかった。 
 ぼくは、それが不当だというつもりはない。 
 チームが勝てなかったのだから殊勲者とはいえないし、ぼくと与那城監督は、たまたま1試合見ただけなのだから、大会全体を通しての優秀選手かどうかは分からないからである。
 それでも――。 
 この試合だけをしっかり見て、両チームから頑張った選手を2人ずつ選んで表彰することにしたら、誰でも町田のティガナ君に目を付けたに違いないと思う。ティガナ君はそういう選手だった。 
 ちゃんとサッカーを見る目を持った人を配置して、両チームの頑張った選手を2人ずつ選んで、その場でメダルか何か、をやることにしてはどうか。そうすれば、いろいろなタイプの、多くの選手の励みになるのではないか――と考えた。 
 これは実はぼくの思い付きではなく、ヨーロッパやアメリカの子供の試合でよくやっていることである。 
 本当をいうと優秀選手30人を何のために選ぶのか、ぼくは疑問に思っている。選ぶ方法にも、選ぶ人たちにも疑問を持っている。少なくとも優秀選手選考の方法を考え直してみてもいいのではないかと思う。

選抜FCの問題
ベスト4はみな選抜!かねてからの難問は未解決のまま!

 子供たちは元気いっぱいで、運営はスムーズだけれど、問題がないわけではない。いや、かねがね指摘されていることで、いまだに改めていないことがいくつかある。 
 その一つが選抜FCである。
 市内にある多くの小学校チーム、あるいは少年団チームの中から優秀選手を選び出してチームを編成し、単独のクラブ、あるいはスポーツ少年団としで登録する。こういうチームを少年サッカーの関係者は「選抜FC」と呼んでいる。 
 選手は元の小学校あるいは少年団の登録からは抜いているので二重登録ではない。つまり選抜FCを単独チームとして登録するので形式的には町の少年団チームと区別がない。
 名前にFCが付いているから選抜FCであるとは限らない。たとえば町田小川FCは、東京都町田市の小川小学校の地域を中心としたクラブである。だいたいFCとは「フットボール・クラブ」のことである。 
 今回の決勝大会に出場した48チームのうち、一つの小学校の児童だけで編成されていたのは20チームだった。二つか三つの小学校の児童で構成されている少年団チームは12あった。こういうチームは明らかに選抜FCではない。 
 広い地域にまたがる多くの小学校の児童で編成されていても、選抜FCでないチームもある。 
 たとえば、かつての日本代表の名選手だった小沢通宏監督が率いていた広島県代表の安芸府中少年団は、五つの小学校の児童が含まれていたが、このチームは日本リーグのマツダの工場がある府中市の少年サッカースクールが母体である。 
 そういうわけで、何が選抜FCで何がそうでないかの境目は、形の上でははっきりしないのだが、関係者は実態を十分知っているのが実際のところだ。 
 さて今回、ベスト4に勝ち残ったのは全部、選抜FCだった。静岡県の清水FCと藤枝FC、茨城県の日立少年団、埼玉県のFC東松山である。 
 英才教育をめざす静岡の方式は、よく知られているから、ここでは説明を省略しよう。
 日立少年団はスポーツ少年団の形をとっているが、市内18校から2000人のメンバーを持つマンモスクラブだという。また東松山は市内の11の小学校の1000人の中から選抜されたエリート集団である。ともに事実上の選抜チームといっていい。
 こういう選抜FCが編成される理由とその利害得失については、あきあきするほど議論が繰り返されたことがある。それでも解決しなかった問題だから、いまさらむし返しても仕方がない、といえばそれまでである。 
 しかし、小さな地域の小学校や少年団が一年中いっしょに仲よく練習して、全国大会に出てきたらエリート集団にけ散らされる、というのでは、いかにも不公平で面白くない。
 困難かもしれないが、解決に向かって、根気よく議論を重ねて欲しい問題だと思う。

少年サッカーランドの夢 
全国の子供たちに縁の芝生で思う存分プレーをさせたい!

 全日本少年サッカー大会の会場は東京の郊外、多摩丘陵の「よみうりランド」だ。ここには読売サッカークラブの管理している3面のフィールドがある。大人用のフィールドがゆったりと取ってあるから、少年用のフィールドを2面ずつ取って計6試合を同時にできる。 
 よみうりランドが少年大会に使われるようになったのは、現在の大会の前身である全国サッカー少年団大会の第4回大会からである。つまりよみうりランドは、少年サッカーのメッカとして、すでにかなりの歴史を持っている。 
 はじめのころ関係者にとって、グラウンドを何面も同時に使えるなんて夢のような思いだった。芝生のサッカー場は全国に数えるほどしかなかった。だから、よみうりランドは少年サッカー発展の恩人だったといっていい。 
 だが20年近くたってみると、ぜいたくをいうようではあるが、この会場にもいささか問題がある。 
 第一は。3面のグラウンドのうちの一つが人工芝、一つが土になったことである。少年用にして今回は2面が芝生、2面が土、2面が人工芝だった。子供たちは3種類のグラウンドでかわるがわる試合をして、とまどっていた。 
 準々決勝は天然芝、準決勝と決勝はテレビ中継の都合もあって人工芝である。これはやりにくい。 
 これに関連して、少年用の競技場の広さとゴールの大きさの問題もあるのだが、これも長い間、論議されていることだから、ここではむし返さない。ただ「ゴールは少年用の小型なものを使うべきだ」と改めて主張しておきたい。
 さて、もう一つの問題は暑さである。
 照り返しのきびしい人工芝での試合を含めて、子供たちに午前と午後の2試合を連日やらせるのは、やはり酷である。 
 その上、東京の暑さは、夜が寝苦しいので、子供たちは、かなりへばっている。 
 北の青森から来てベスト8に進出した十和田キッカーズ・ジュニアの高橋隆二監督は「正直いって暑さがこたえました」と話していた。 
 そこでアイデアがある。 
 長年お世話になった「よみうりランド」ではあるが、このあたりで富士山麓あたりの高原に新しい「少年サッカーランド」を建設する計画を考えてみてはどうか。 
 少年用ならたっぷり10面はとれる緑の芝生が広々と広がり、扇風機を入れないでも涼しく寝られる1000人収容の宿舎がある。   
 夏の間中、全国の子供たちが入れかわり立ちかわりやってきて、のびのびとサッカーを楽しめる。 
 そんな施設を作りたい。 
 「そんな夢みたいなことを」 
 といわれるかもしれない。 
 しかし20年前には、現在の「よみうりランド」にサッカー場を作ることが無謀な夢に思われたものだったのである。


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