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サッカーマガジン 1987年5月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

女子小学生にも陽の目を当てよう
大衆スポーツの時代に協会はどうすべきか

高齢者のサッカー
長生き社会に備えて、若いうちに技術、中年期に体力を!

 東京に「四十雀(しじゅうがら)クラブ」という古いサッカークラブがあるのをご存じだろうか。 
 かつては主として関東大学リーグのOBたちが40歳を過ぎると入会してサッカーを楽しむための組織だった。関西には同じような趣旨でできた「鹿鳴クラブ」というのがあるそうだ。 
 「主として関東大学リーグOB」というのは別に制限を加えているわけではなくて、かつては日本では大学リーグのほかにはサッカーがあまり普及していなかった、というだけの話である。 
 いまではサッカーもかなり普及したので、四十雀クラブだけを特別に珍しがる必要はなく、いろいろな中高齢者のサッカーチームが各地にあって大会も開かれているようだ。40歳代を含めて年寄り扱いするのは異論があるかもしれないが、日本人の寿命がどんどん伸びているので、中高齢者のサッカーは今後、ますます盛んになってくるに違いない。 
 ところで、そういう超OBのクラブに属している友人の一人がこういうことをいっていた。 
 「年寄りチームの試合は、あまり面白くないんだよな。うまくないやつほど熱心で、よく動くんだけどセンスがないんでいっしょにプレーしていて呼吸が合わないんだよ」 
 この友人は大学のころは天才型の名選手だったので、いまでも技術は抜群である。若いころに覚えたテクニックは歳をとっても消えないものらしい。ただ体力の方は働き盛りのころにスポーツから遠ざかっていたぶん衰えが目立ち、これは中高年になってから取り返そうとしても無理なようである。 
 一方、大学のころ(というのは30年以上も前のことだが、努力型だった別の友人は逆に中高年のサッカーを大いに楽しんでいる。 
 「去年は30試合に出て54ゴールをあげた。1試合に1.8点だぞ。これは新記録だろう」と、いい歳をして無邪気なものだ。 
 雀百までで、この友人は大学を卒業してからも努力型だった。日曜日ごとのサッカーのために毎日ジョギングを欠かさず、機会があれば子供たちといっしょにボールをけってきた。そのおかげで同じ年代のチームメートに体力でぐんと差をつけている。からだが仲間より動く分だけ、余分に楽しいわけである。 
 中高年のサッカーは勝負を争うよりも、みんなで楽しむのが趣旨だから、あまり技術がどうの、体力がどうのというのはよくないかもしれない。 
 でも中高年のサッカーを十分に楽しむためには、もの覚えのよい若いころに技術を身につけておくこと、そして社会に出てからもスポーツと縁を切らないで体力の維持に努力し続けることが大切なようである。

ミニサッカーその後
大衆スポーツの時代に競技団体にも新しい考え方が必要!

 「そうするてえと、そのうちに日本マスターズサッカー協会なんてのができて、日本サッカー協会の認めない中高年選手権大会を開いてもめごとになるぞ」 
 やじうまの友人が鋭いところをついてきた。 
 友人が何を連想したのか、ぼくには分っている。ミニサッカーについての国際的紛争を思い出したに違いない。
 一昨年つまり1985年の11月に、ぼくはたまたまスペインのマドリッド空港に立寄ったことがある。 
 時間待ちの間に空港の売店で地元の週刊誌を買ってみたら、それはちょうどそのときにスペインで開かれていた室内サッカーの世界選手権の特集だった。  
 そんな世界選手権があったっけ、と思う読者がいるかもしれないが、これはブラジルで始まったサロンフットボールの大会で、国際サッカー連盟(FIFA)非公認、「この大会に出場した選手は除名せよ」とFIFAが各国に通達していた大会である。  
 その週刊誌をぱらぱらめくってみたら、なんとわが日本代表サロンフットボールチームが堂々と健闘している写真が大きく載っていた。  
 FIFAが出場を禁止している大会だから日本サッカー協会が代表チームを派遣したはずはないのだが、ミニサッカーの関係者がひそかにチームを編成し、日本サッカー協会は見て見ないふりをしたものらしい。 
 ところでFIFAがなぜサロンフットボール大会への出場を禁止したかというと、要するにこれはナワ張り争いである。 
 「サッカーはすべて国際サッカー連盟(FIFA)が統制する。少人数のゲームもサッカーのうちだ」というのがFIFAの主張で、他の団体がサッカーまがいのものの世界選手権を主張するのは認めない、というわけである。 
 こういう考え方は、どのスポーツにもあるのだが、最近の世の中で次第に通用しなくなっているのも事実である。 
 そのいい例が大衆マラソンだ。 
 マラソン大会は陸上競技連盟が主催すべきもので、出場選手は連盟に登録していなければならない、というのが、これまでの古い考え方だったが、日本の青梅マラソンや最近の欧米の都市マラソンのように何万人もの市民ランナーが出場するようになると、これは実際的でない。 
 「なるほど、そうするとこれからは大会は誰でも開けるし誰でも参加できるという時代になるわけだな」と友人は早とちりをした。
  「いや、そうもいかんだろう。しかしスポーツがこれだけ大衆化したのだから、スポーツ団体も考え方の幅を広げなければならないね」
  ミニサッカーについていえば、FIFAは独自のルールを作って独自の世界選手権を開くことを計画している。日本でも来年から、ミニサッカー連盟の日本選手権を日本サッカー協会が公認することになるという話である。 

女子サッカーの今後
中高年の選手権は必要ないが女子小学生には全国大会を!

 大衆スポーツの時代に競技団体はどうすればよいか。ぼくの考えはこうである。
 大衆マラソンに出るような市民ランナーを、みな選手登録させて統制しようとするのは無理だし、あまり意味がない。こういう市民レベルのスポーツマンは、大会のつど参加申し込みを受付ければ、それで十分である。  
 中高年のサッカーも似たようなもので、日本サッカー協会が特別に種別を設けて登録させたり、選手権大会を開いたりする必要はない。いろいろなグループが勝手に試合をしたり、大会を開いたりするのを見守っていてやれば良いと思う。  
 もっとも、いろいろな大会が勝手に開かれるのをほったらかしにできない場合もある。 
  昨年ある地方で女子サッカーの招待大会があった。日本のトップクラスのチームをほとんど全部招待することになっていたのだが、どういうわけか読売サッカークラブの女子チームの「ベレーザ」だけがはずされていた。思うに大会の共催か後援に地方の新聞社がはいっていたので、全国紙の読売新聞をバックにした「ベレーザ」をはずしたのだと思う。   
 この問題は「ベレーザ」の抗議を受けた女子サッカー連盟が出場させるように指示したので、最終的には 円満に解決したということである。
 このように「招待大会だから、どこを招待しようと主催者の勝手だ」といって差別が横行するようでは困るから、やはりなんらかの規制は必要なようだ。 
 ところで女子サッカーといえば、これは日本サッカー協会が、もう少し本腰をいれて普及の努力をしてもらいたい。 
 女子といっても、清水第八や読売ベレーザのようなトップクラスの話ではない。こっちの方は結構脚光を浴びているし、協会でもいろいろ考えてはいるようである。 
 ぼくがいうのは、小学生の女子サッカーだ。 
 男の子の方は、夏休みの全日本少年サッカー大会を中心に、すばらしい盛り上がりをみせているが、小学生の女の子のサッカーにはあまり陽が当たっていない。 
 けれども、ぼくのみるところ、サッカーは小学生の女子にとって、うってつけのスポーツである。実際、ぼくの住んでいる地域に近い東京の小金井市では、小学校の女子サッカーが盛んで、なかなか成功しているようである。 
 中高年のサッカーについては、あまり協会が口を出す必要はなく、勝手に大会をやらせておいてもいい、というのがぼくの考えだが、こっちの方は。勝手に女子小学生の大会ができるのを待つのではなく、協会が音頭をとって男女同権で普及のための全日本少女サッカー大会を組織するといいと思う。


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