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サッカーマガジン 1987年6月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

ホーム2勝、石井全日本の明と暗
武田、松山ら新しい魅力も内容に不安残る

武田修宏君万歳!
2連勝の評価はともかくとしてなによりの収穫は武田の活躍!

 石井義信監督の率いる日本代表がソウル・オリンピック予選の最初の関門を2連勝で通過した。インドネシアに3対0、シンガポールに1対0である。 
 試合内容その他を総合して評価すると65点から70点。及第点を少し上回る程度の出来だったと、ぼくは評価しているが、いいところもいくつかあったので、そちらの方から取り上げてみよう。 
 なんといっても良かったのは、19歳の武田修宏君と20歳の松山吉之君の活躍だ。 
 まず武田君。読売クラブの新人を日本代表に加えたのがまず石井監督の英断だったし、さらに第1戦から前線のエースとして先発に起用したのがよかった。 
 インドネシアとの試合の先取点。あれは第一にアシストした武田が功労者である。 
 インドネシアの守備ラインで原をマークしていた長身のダルウィスが退場になった。その直後に中盤の左サイドで武田にボールが渡った。そのとき、武田はちゃんと原を見ていた。
 理屈からいえば相手がひとり抜けた直後の穴を狙うのは当たり前だけれど、実際に、そんなに理屈通りすばやく頭脳が回転するものではない。これは、いうなれば本能的なカンである。 
 こういう判断力は経験によって養われるから、ベテランにならないと発揮できないと考えられやすいけれど実はそうではない。ペレだろうが、マラドーナだろうが、十代のうちに、こういう本能的なすばやい判断力によって名を上げている。武田もそれを持っている。 
  とはいえ、判断力が経験によって鍛えられるのは当然でペレもマラドーナも、あの本能的なすばやい判断力は、たくさんの奔放な試合の経験によって身につけたのである。十代の終わりに、早くもそれが開花したのは、それまでにすでに、たくさんの試合の経験を積んでいたからである。 
 武田もやっぱり、そうである。サッカーどころの静岡で少年時代から奔放に試合を楽しむことができ、高校の年代になって清水東で鍛えられ、読売クラブで日本リーグの第1戦から起用された。 
 その経験が素質を開花させるのに役立ったのだと思う。 
 さて、ゴール前の原をすばやく見た武田は、ためらうことなくそこへ浮き球のパスを送った。このセンタリングがぴたりと原のヘディングに結び付いたのだが、これを偶然だと思うファンは度し難い。原はマークをはずすように動き、武田はその動きを読んで合わせたのである。本人たちに聞かなくったって、彼らがそう言わなくたって、サッカーではそれが真実なのである。 
 武田は、この試合の終了間ぎわに、松山のドリブルに合わせで走り込みみごとなシュートで日本の3点目をあげた。それまでにゴール前でいい動きをして何度もチャンスを作りながら不運でゴールを逃していただけに、このゴールは武田自身にとって貴重だったが、チームにとっても、おそらくあとで貴重なものになる可能性の大きい3点目だった。 
 なぜならホームアンドアウェーの試合でホームでの2点差の勝利は安全圏とはいえないが、3点差なら本当の勝利といえるからである。 

松山吉之君万歳!
若さがあり、速さがあり、度胸があるラッキーボーイの活躍!

 オリンピック予選の収穫の第二は松山君だ。早稲田大学の松山兄弟の兄貴の方。京都の少年サッカーで育ち、高校サッカーの花形だった。底辺からはいい選手が次つぎに出てきている。その点では日本のサッカーの前途は明るさいっぱいである。 
 松山は、最初のインドネシアとの試合では控えのメンバーだった。出番がきたのは日本が2対0とリードしたあとの後半21分である。 
 これはいい選手交代だった。 
 後半にはいってからベンチの石井監督は選手交代をしたくてじりじりしていたと思う。なぜ選手交代をしたいか。 
 一つには、4日後にシンガポール戦を控えているので、休ませる必要のある選手がいれば引っ込めて休ませたいということがある。 さらに今後の試合に備えて若手を試し、雰囲気に慣れさせておく必要がある。 
 後半17分、都並のセンタリングを武田がヘディング、さらに原がヘディングシュートしたのを相手のゴールキーパーがこぼし、手塚が拾って2点目がはいった。 
 石井監督は待っていたように選手交代をした。 
 引っ込めたのはプロ第1号の奥寺康彦、登場したのが松山だった。若い力で3点目を狙う。この交代策は当然である。 
 3点目はなかなかはいらなかったけれども、松山のプレーは良かった。ものおじせずに、ぐんぐんドリブルする。インドネシアの守備陣が、パスかなと思っていると、さらにドリブルする。今度はパスかなと思うと、またドリブルする。そんな感じだった。速さがある。若さがある。度胸がある。あっぱれな若武者だった。
 終了直前に3点目の武田のゴールを引き出したアシストが出たのもよかった。めざましく活躍しても、それが結果に出るのと出ないのとでは気分が違う。このいい気分は今後への自信をふくらませただろう。だから、この3点目は松山にとっても貴重だった。 
 松山は、シンガポールとの試合では第1戦のときほど、はつらつとはしていなかった。いささか意識過剰で、中盤で周りを見過ぎる感じがあった。それでも貴重な決勝ゴールをあげてラッキーボーイになったのだから、武田以上に強運の持ち主なのかもしれない。 
 この後半20分のシンガポール戦での決勝点の第一の功労者は主将の加藤久である。ゴール正面、約30メートルのフリーキックを加藤は自ら出ていってけった。 
 優勢に試合を進めているがなかなか点がとれない。このままいけばシンガポールの術中にはまって引き分けにされそうである。なんとかしなければ、という気持が表れていた。「速い球をけるぞ」と合図したという。浮き球を上げた攻めを再三防がれていたから、ゴール前にライナーを送って、そこへ後方から金子を走り込ませてヘディングさせる狙いである。     
 金子のヘディングは空振りだったけれども、相手の守りがクリアし損なったボールが松山の頭上に来た。ラッキーボーイのヘディングシュートはあざやかだった。

スコアと内容に不満あリ
ホームゲームとしては得点差もその内容もよくなかった…

 武田と松山の活躍は収穫だった。 
 石井監督の用兵も当たった。加藤久主将の闘志と判断は見事だった。インドネシア戦では貴重な3点目もはいった。結果は2連勝である。  
 にもかかわらず石井義信監督の率いる今回の日本代表チームには65点から70点の評価しかつけられない。 
 なぜかといえば、得点と試合の内容がホームゲームとしては不満足なものだからである。第1戦のインドネシアとの試合の3対0は、結果としては悪くない。しかし相手が、10人になっていたことを考えなければならない。  
 インドネシアが10人になったのは ダルウィスが前半40分に非紳士的行為で退場になったからである。 
 武田がドリブルで攻め込んだときにもつれたダルウィスが武田をけりつけたとして警告をとられた。この判定に不満を持ってツバを吐いたのが退場の原因となった。 
 試合のあとの記者会見でインドネシアの監督は、最初の警告を不当だとして審判を批判した。しかしツバを吐いた行為については何も言わなかったのをみると本当に審判に向かって吐きつけるつもりだったのかもしれない。 
 それなら退場は当然で、今後もっときびしい処分を受けて然るべきである。 
 しかしながら、もしこの試合がジャカルタで行われていたのだったら、この退場処分があったかどうか疑問だとぼくは思う。 
 武田がけられたとき、武田は両足の間にボールを挾んでキープしようとしていた。これは武田がときどきやるプレーだが、こっちの方を非紳士的行為としてとられるおそれも十分ある。
 ダルウィスは、この武田の両足に挾まれたボールをとろうとして、足をけりつけた形になったので、これを警告するのは酷だということもできる。審判は公正であるべきではあるが、地元チームに判定が有利に傾きがちなことは、過去の経験が教えている。 
 ということは、相手が10人になったのは、これが日本のホームゲームだったからであり、6月にジャカルタとシンガポールでアウェーの試合をするときには逆の立場に立つことを覚悟しなければならないわけである。 
 第2戦のシンガポールとの試合は1対0だった。負けや引き分けよりはいいにしてもホームでの1対0は勝ったうちにはいらないと思う。ホームの利は1点か2点の価値が十分あるからである。 
 この試合はシンガポールの個人的な巧さを生かした守りが成功した内容だった。 
 シンガポールはホームでは違うやり方でくるはずである。
 そういうわけで、いまのところ石井監督の日本代表チームを高く評価することはできない。 
 ただし石井監督の選手の起用法についての批判は、いまのところ差し控えたい。  
 木村和司をメンバーに加えなかったこと、シンガポール戦で奥寺をベンチにも入れなかったことなど、首をかしげたいことはいくつかあるが、外部からは分からない事情があるかもしれないし、まだ戦いの途中で石井監督が弁明できない立場だからである。


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