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サッカーマガジン 1987年3月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

古河のアジア優勝万歳!
しかし、日本代表の将来はどうなのか?

史上初のタイトル
アジア・クラブ選手権優勝の快挙にサッカー大賞の特別賞を!

 「よかったな。これで少しは日本のサッカーも明るくなったな」  正月に年始にきた友人が、おとそきぶんで大喜びだった。アジアのクラブ選手権で古河電工サッカーチームがみごと優勝したからである。  
 いや、まったくめでたい。  
 これは、わが日本サッカー大賞の有力候補として取り上げるべきニュースである。1986年の表彰は先月号でしてしまったが、そこは融通自在なわがサッカー大賞のことだから、ここに特別賞として追加することにしよう。ついでにサッカー・マガジンの編集長にひとつ抗議しておきたい。 
 先月号の原稿に、ぼくは「日本サッカー大賞」と書いたのだが、編集長が勝手に「ビバサッカー大賞」と書き直して印刷してしまった。実は、前にも原稿は「日本」となっていたのに、見出しは「ビバ」とされたことがある。編集長には前科があるのだ。「日本を代表する名前の賞をサッカー・マガジンの誌上で出すなんて」と謙虚な姿勢のつもりらしいが、とんでもない。わがサッカー大賞は、日本でもっとも権威ある内容の表彰であり、遠慮なく「日本サッカー大賞」の名称の優先使用権を主張するものである。 
 ともあれ。 
 日本のサッカーがアジアのタイトルを取ったのは、史上はじめてのことである。 
 遠くさかのほれば、1930年(昭和5年)に東京で開かれた第9回極東選手権競技大会で日本と中国が同率1位になったことはあるが、このときの参加は日本、中国、フィリピンの三つだけで、日本と中国は3対3の引き分け、再試合をしなかったために両者1位としたものである。今回の古河の優勝は、名実ともに初のアジア・ナンバーワンの座だといっていい。「うーん、でも、いままでアジア・クラブ選手権なんて、あまり聞いたことがなかったなあ、本当に権威のあるタイトルなのかねえ」 
 別の友人が疑問を呈した。 
 確かに、この大会は日本では、なじみが薄い。       
 ヨーロッパには各国のリーグ・チャンピオンが参加する欧州クラブ・カップがあり、南米には各国の国内チャンピオンが出場するリベルタドーレス杯がある。そして、その勝者同士が毎年12月に東京のトヨタカップで、クラブチームの世界一を争っている。  
 したがって、欧州と南米に単独チーム(クラブ)選手権があることは、日本でもよく知られているのだが、おひざもとのアジアの大会については、どうもPRが足りないようだ。 
  「アジアは地域が広すぎるから、こういう大会をやるのは、むずかしいという事情もあったけどね」
 と、ぼくが説明した。 
 「でも、これを毎年やろうというのはアジアのサッカー関係者の強い願いだったんだ。だから1967年から4年続けたあと中断していたのを、1985年度から復活したんだ」
 ところが日本サッカー協会は代表チームの強化とオリンピックにばかり熱心で単独クラブのレベルアップとアジアのタイトルには冷たかった。  
 それだけに、古河が単独チームとしてアジアのタイトルに挑戦し、しかもみごとに優勝したことの意義は格別だと思うわけである。

天皇杯棄権は正解だった
古河が日本選手権を捨ててアジアのタイトルをめざしたのは?

 「ということは古河が天皇杯を棄権したのは正しかったというわけだ」
 と友人が単純に結論を出した。  
 しかし、これはそう簡単な問題ではなかった。  
 アジア・クラブ選手権の決勝大会は実は1月に行われるはずだった。
 ところがアジア・サッカー連盟が、直前になって急に12月下旬にサウジアラビアのリヤドで行うことを決めたのだそうだ。そのため日本の国内選手権の天皇杯とぶつかることになった。 
 日本の国内では、天皇杯の日程は前から決まっていて動かすことはむずかしい。 
 では、どうするか。 
 日本サッカー協会は12月18日の理事会で、この問題を討議した。考えられる対策はいくつもあった。 
 一つは日本選手権としての天皇杯の権威に敬意を表してアジアのタイトルをあきらめることである。アジア・クラブ選手権の日程が後から決まったのだから、これは穏当なやり方である。
 もう一つの道は、アジアを重視して天皇杯を犠牲にすることだが、これにはいくつかの方法がある。 
 まず天皇杯を棄権することである。この場合は1回戦で当たることになっている兵庫教員が不戦勝になるが、すでに開催地の松山では入場券を売っており、地元のファンを失望させることになる。 
 次に1回戦だけはアジア・クラブ選手権とかちあわないので出場し、2回戦から棄権するやり方もある。これは1回戦で古河に負けたチームにとっては、はなはだ不都合である。 
  そこでアジアの大会の方にはベストメンバーで出場する一方、天皇杯には残りの選手、つまり2軍で出ることも考えられる。これは南米では、ときとして行われているやり方である。   
 実はサッカー協会の理事会の前に妙なうわさがあった。 
 古河は最後の方法、つまり天皇杯には2軍で出ることを希望しているが、リヤドに出かけた残りのメンバーではちょっとチームにならないので、4月から古河にはいることになっている新人を補強して出たいといっている、というのである。 
 これは、とんでもない間違ったことである。
 日本選手権は原則として、その年度の登録選手によって争われるものである。大会の間近になって補強が許されるようでは年度選手権の意味がない。 
 また次年度にはいることになっている選手の中には、大学などでそれぞれ選手で出ているはずである。1人の選手が、同じ年度の同じ選手権に二つのチームから出るようなことでは、選手登録制度の根幹が揺すぶられる。 
 サッカー協会の理事会は、さすがにそんなばかげた結論は出さなかった。 
 古河電工は天皇杯を棄権し、1回戦と同じ日に松山でエキジビションとして兵庫教員と試合をした。 
 前売り券を買っていた松山のファンは「古河の奥寺が来る」と楽しみにしていたそうだから、これは花も実もあるやり方だった。

日本代表は勝てないのか?
単独チームの個性を生かしてオリンピック予選を戦って欲しい

 「でも、なんだね。これで日本代表チームの面目はますます失墜だね」と友人。 
 日本サッカー協会は、これまで代表強化優先主義で単独チームのレベルアップは口先ばかりだった。「選手を育てる場は単独クラブだ」といいながら、日本リーグのシーズン中に各チームかち代表選手を引き抜いて週1回の練習試合を試みるなど性懲りもない中央集権の集中強化主義である。
 「そんなことを30年も繰り返していて、ついにアジアのタイトルを1度も取れないんだから、ざまはない。それでとうとう単独チームに先を越されてしまった」 
 確かに単独チームがアジアで優勝できて、代表チームが勝てないのは問題点だろう。 
  「古河が優勝できたところを見ると日本の選手一人ひとりの能力は、アジアの中で劣っていないといえるんだろうな。それでいて代表チームが勝てないのは、要するに代表チームの監督が悪いんだな」 
 「奥寺がチームになじんできたのが大きかったと思うね。本場のプロでの体験が国際試合で役立つたんだ」 
 「ということは、ソウル・アジア大会で奥寺を生かして使えなかった日本代表チームの石井監督に責任があるわけだ。やっぱり問題は監督だ」 
 友人たちは百家争鳴である。 
 日本代表チームの監督問題についていえば、ソウル・アジア大会でなすところなく敗退したあと、ぼくは「石井義信監督を解任して協会首脳部は総辞職せよ」と主張した。 
 しかし協会も石井監督自身もそんな遠ぼえに耳をかすはずはなく、4月に迫ったオリンピック予選へ現在の体制のままで進もうとしている。 
 前にも書いたように、ぼくは石井監督の能力を信用していないわけではない。また日本協会が一生懸命であることを知らないわけでもない。 
 ただ責任を明確にしておかないと「将来に禍根を残す」と思う。
  しかし、ご当人たちは、そんな心配はしないようだ。したがって当面のオリンピック予選は現体制で頑張ってもらうしかないのだが、今度失敗したら本当に総辞職してもらいたい。「それしても、日本の単独チームに良さがあることが分かったんだから代表チームでも、その良さを生かせるようにして欲しいね」 
 「そうだ、そうだ。天皇杯の準決勝の読売クラブとの試合で日産の水沼貴史が木村和司とのコンビで生き生きと働いていた。あんなプレーをそのまま代表チームで生かしてもらいたい。ソウルのアジア大会のとき、なぜ水沼を代表に入れなかったのか、いまでも納得できないね」 
 友人たちは、それぞれ勝手な熱を吹きはじめた。 
 単独チームと選抜チームは性格が違うから、簡単にいえないが、単独クラブで活躍している個性を、代表チームの中で生かして使えないようでは、いつまでたっても中央集権集中強化主義の欠陥を克服できないままに終わるのではないだろうか。


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