自費のW杯観戦に乾杯
おこづかいをはたいてマラドーナの世紀のプレーを見た人に!
「今月号は恒例のビバ!サッカー大賞でいきましょう」と編集長がいう。この号は2月号ではあるが、年内に発売されるので、この1年をここで振り返っておきたい、というわけである。
「でも今回こそは、大賞候補がないんじゃないですか」
編集長のからかうような、あわれむような笑顔のかげに、実は悲しい目があるのをぼくはちゃんと観察した。
編集長は愛国心にあふれているので日本代表チームがソウルのアジア大会でもろくも敗退した悲しい思い出ばかりが頭にこびりついていて、このところ日本のサッカーには何もいいことがなかったように思い込んでいる。
だが、独断と偏見をもって選考するわがビバサッカー大賞は、広く世界を見渡し、遠く百年の将来を見通しているので、目前の現象にとらわれて隠れたる優れたものを見落すことはない。ぼくは例の友人どもを集めて恒例の選考委員会を開催する前に、勝手に1986年のビバサッカー大賞を決定してしまった。
ジャンジャーン!
「輝く1986年のビバサッカー大賞は、メキシコにおいて開催された4年に1度のサッカーの祭典、マラドーナに最高の舞台を提供したかのワールドカップに、自分のおこづかいをはたいて見に出掛けた日本の熱烈なるサッカーファンに贈るものでありまーす」
選考に参加させてもらえなかった友人どもは、たちまち異議を唱えた。
「あのマラドーナの7人抜きを自分の目で見ることのできた果報者に、それ以上になにも賞をやることはない」
「それに、せっかく出掛けながら、あのフランス対ブラジルの試合を見て退屈な試合だったと論評したり、今回のワールドカップには新しいものは何もなかった、つまらない大会だったと書いた連中もいる。そういう目のない連中を十ぱひとからげにして表彰するのはばかげている」
なんたる狭量! 自分がメキシコに行けなかったものだから、行ったやつの足を引っ張るなんぞはサッカーファンの風上にも置けない。
「断わっておくが、メキシコに見にいった連中をみんな表彰しようというわけじゃない。自分の貯金をはたいて自費で行ったファンだけが対象だ。自分の金で行ったのだから、いささか見る目がなくて、すばらしいものを評価仕損なったとしても文句をいわれる筋合いはない。とにもかくにも自分の目で見ようとした熱意を買いたいね」
それに――とぼくはつぶやいた。
見当違いなことを書いたり、試したりした連中は、ほとんど会社のお金で出張で行った人たちではないのか。自分のお金で行った人たちは、少しでも良いものを見つけて投資した金額以上のものを回収しようとするから、見ることのできた試合に運不運があったにしても、良いものは必ず見逃さなかったに違いない。
「そういえばそうだ」
と、就職を延期してメキシコに自費で出掛けた若い友人が言った。「ぼくのホテルに、サッカー協会の視察団や日本リーグのチームの監督さんらしい人も泊まっていたけど、観光の方に熱心だったみたいだな」
全部が全部そうだとはいわない。しかし自費で見に行った人は、それだけ多くのものを得てきたに違いないと、ぼくは信じている。
永井良和君の敢闘
古河電工リーグ優勝に貢献した赤き血のベテランに栄光あれ!
ところで、今回の大賞選考をぼくの独断専行で行ったのには理由がある。
思い起こせば4年前のサッカー大賞選考のとき、ぼくは敢闘賞として「自費でスペインのワールドカップを見に行った日本の観戦旅行団」を推したのだが、狭量な友人どもに「行って楽しんで来たヤツらに賞なんて出すことはないぞ!」と反対されてしまった。それを思い出して、今回は彼らの口を封じたわけである。
「そんな無茶な。それじゃ、4年前の自費観戦ファンは損じゃないか」
と自称選考委員。
なるほど、なるほど。いまになってそう言われるなら、さかのぼって過去の自費観戦ファンにも、今回の大賞を差し上げることにしたい。この大賞は賞金も表彰状も出さず、サッカーマガジン誌上掲載をもって代えさせていただくので、こんなことは自由自在である。
それでは今回の敢闘賞はどうか。
「今度こそ、おれに発言させてもらいたい」と自称選考委員。「1985〜86年の日本サッカーリーグは古河電工が優勝したことを、お忘れではあるまいな。あれは正真正銘今回の選考年度内のことである」
なるほど古河の優勝はいろいろな点から評価できるできごとだった。
「それでだ。新聞社と通信社のサッカー担当記者と称する人たちが投票して決める年間最優秀選手には、古河から得点王の吉田弘が選ばれたが、これには大いに異議がある」
近ごろの新聞社や通信社の記者はサッカー担当ではあっても必ずしもサッカーに専門的な知識を持っているわけではなく、また試合をたくさん見ているわけでもない。そのために、近年の年間最優秀選手選考の投票には、ちょっと首をかしげたくなる場合もある。
「加藤久なんか当然選ばれなければならないのに木村和司に投票が集まった年もあった。専門家の投票だかファンの人気投票だか分からない。1985〜1986は、古河から選ぶなら当然……」
古河電工のリーグ優勝は清雲監督を中心とするチーム全体のまとまりによるものだから、誰か1人、当然に選ばれる選手がいるとは思えないが――。
「いや、それがシロート考え。目立たないが、古河優勝の真の功労者は、中盤の中心だった宮内聡だ」
なるほど、これはいかにもクロートっぽい考えである。宮内君は東京の帝京高校が高校サッカー日本一になった当時のメンバーである。このところ帝京出身者の活躍が目立っており古沼貞雄監督の長年の努力が実ってきている感じだが、その代表として宮内君を表彰するのも面白い。
「だけど、古河の功労者として1人に代表させるなら、34歳でなお頑張っている永井良和君を選びたいね。宮内君にはまだまだチャンスがあるから今度のところは、かつて浦和南のスターとして活躍した赤き血のイレブンのヒーローが、いまなお第一線で活躍して優勝に貢献したことを賞めたたえたい」
かくてこれまた古き良き時代を懐かしむぼくの独断と偏見が、若手の自称選考委員を押し切ることになった。
殊勲は体協の広堅太郎氏
アマチュア規定を廃止してプロアマ共存への道を開いた功績!
「ところで、今回は殊勲賞もぼくの独断で決めさせてもらう。どうせ君たちは.アイデアはないだろう」
自称選考委員の友人たちは、いささか不満そうだったが、なにしろアイデアの持ち合わせがないのは図星なので、ただ鼻白むだけである。
ジャジャーン!
「では殊勲賞は財団法人日本体育協会のアマチュア委員会委員長、広堅太郎氏に決定いたしまーす」
「誰、それ? 聞いたことないな」と若い友人。だから視野の狭い新人類は困るんだな。
「この1年の日本のスポーツ界で、もっとも画期的だった事件は、日本体育協会がアマチュア規定を廃止して、代わりにスポーツ憲章を作ったことなんだよ。そのおかげで日本のサッカーでもプロ選手の登録ができるようになり、西ドイツのプロだった奥寺康彦選手が古河に復帰できたんだよ」
「それで?」
「その体協アマチュア規定の改正に奮闘した功労者が通称ヒロケン、広堅太郎氏だ。元NHK運動部長でホッケー出身の体協の長老だ」
「なんだ、サッカー関係者じゃないのか」
サッカー関係者ではないが、この1年の間に、日本のサッカーの将来にもっとも大きな影響を及ぼす仕事をしたのはこの人物である。ここに詳しくは説明しないが、10年か20年たったとき、そのことが分かるだろう。
「日本サッカー協会の作ったプロ選手の登録規定には、おかしなところがいろいろあるが、それにしても待望のプロサッカーヘの第一歩を踏み出せたのは広堅太郎氏のおかげだ。だから殊勲賞だ」
わけの分からない連中にこれ以上説明しても始まらないから、ぼくは強引に押し切った。
最後に技能賞。
「メキシコで日本人としては、はじめてワールドカップの主審を務めた高田静夫審判員はどうだろう」
と、友人がもっともらしい意見を述べた。
「うーむ」
いわく言い難し、である。
実は、読売新聞社の日本スポーツ賞候補のサッカー部門に日本サッカー協会は、高田氏を推薦してきた。しかし、これはいささか苦しい推薦である。
ワールドカップの審判員に選ばれたのは、それまでに、すぐれた実績があったからで、すばらしいことではあるが、ワールドカップでの笛が、特別に表彰するに値するものだったかどうかというと、これはちょっと首をかしげる。
ぼく自身は、現地でその審判ぶりを見て「悪くはなかった」と論評したのだが、これは、ひいき目に見ての話である。「じゃほかに技能賞候補があるのか」
「日本のサッカージャーナリズム全体というのはどうかね。日本代表は出場していないのに大挙してメキシコのワールドカップを取材し、特集号や写真集を次つぎに出版した。これは、たいした技能だよ」
友人たちは顔を見合わせたが、あえて反対はしなかった。
|