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サッカーマガジン 1985年11月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

ベスト4進出は大健闘だったが
ユニバ代表選考に別の問題もあった

ユニバー代表の健闘
日の丸を付けた若い代表はよく頑張った。しかし…… 

 神戸ユニバーシアードに出かけた――といっても、勤め先の新聞社の大阪本社内でデスクワークをやらされたので、悲しいかな、サッカーの試合を見て暮したわけではない。
 それでも開会式前に行われた1次リーグの日本対アメリカを、神戸中央球技場で見たし、日本の試合はほとんどテレビで観戦した。関西では地元のサンテレビが、かなり中継してくれたので、大阪に行ったかいはあった。
 ところで日本チームの成績だが、「ベスト4進出は健闘」というのが大方の評価のようで、ぼくもそう思った。ただし、ぼくの評価の仕方はちょっとひねくれている。
 実は、第1戦の日本対アメリカを見たとき「このチームでは、準々決勝進出が精一杯だな」という感想を持った。それが準決勝まで行ったから「これは予想以上」と驚いたわけで、もともとたいして期待していなかった反動である。
 アメリカとの試合を見て日本を過少評価した理由をまず説明しよう。
 一つの理由は、勝ちみが遅いチームに見えたことである。
 日本はアメリカの積極的な攻めに押されっぱなしで、ほとんど見せ場を作れなかった。前半終わり近くの1点目はフリーキックから、試合終了近くの2点目はリードされているアメリカが最後の総攻撃に出たあとの逆襲からだった。ゴールそのものは良かったが、全体としては、守りばかりが頑張り、攻め手に欠ける感じだった。
 試合のあとで山口監督は「このチームはいつもこんなですよ。しばらくしないと目を覚まさないんです」と話したが、これは、厳しい国際大会では通用しないせりふだと思う。
 守りを固める作戦で点を取られないのはいいが、こちらが攻める形を作れないままだと、やがては敵に先取点を許す。そのあとで目を覚まして反撃しても、このレベルの敵は先行の利を活用するさまざまな駆け引きを心得ているから、追いつくには相当のエネルギーを使わなければならない。そんなことを繰り返していては国際大会を勝ち抜くことはおぼつかない。
 勝ちみが遅くみえたのは、相手の守りを攻め崩す攻め手を持っていなかったからだと思う。
 相手を攻め崩すには、敵の守りを引き寄せる足わざと、敵を置きざりにするスピードと、敵の弱点をすばやくつく戦術眼が必要である。
 日本のユニバーシアード代表は、第1戦を見た限りでは、この三つの点で目をひくところかなかった。それで「これは、期待できないな」とあきらめたわけである。
 もう一つ「期待できないな」と思った理由は他の国がみな強力なチームを編成して来ていたことである。
 朝鮮民主主義人民共和国のチームにはワールドカップ予選に出たナショナルチームのメンバーが7人含まれていた。
 韓国は3年後のソウル・オリンピックをめざす顔ぶれだった。
 中国も、新しいナショナルチームの主力になる若手が中心だった。
 アジアのライバルは、いずれも明確な強化方針のもとに、メダルを狙うチームを送りこんで来ていた。
 これに対して日本はどうか?
 地元としてなにがなんでも勝つことを狙うなら、あるいは次のオリンピックのためのチームを編成するなら、もっと強力な顔ぶれを選ぶ方法が別にあったはずである。
 だが日本サッカー協会は、そういう方針はとらなかった。
 それでもベスト4に進出できたのだから、選手たちは大健闘だったと思うわけである。

山口監督への注文
人柄の良さに加え勝負師としての経験を積んで欲しい

 日本ユニバーシアードチームの山口芳忠監督は、選手たちの若い父親として、あるいは兄貴分として、よくチームをまとめたようだ。そのチームワークの良さが、健闘の大きな要因だったのだろう。
 昨年の暮に、大学サッカー日本一の大商大の上田亮三郎監督が、協会の強化方針に不満を持って突然辞任した。そのあと、あまりすっきりしない経過をへて、監督のお鉢が回ってきた。そして十分な余裕も権限も与えられないまま、6カ月足らずの期間に準備をしなければならなかった。
 そういう経過を考えるならば、山口監督もまた、大健闘であったといわなければならないだろう。
 しかし、である。
 山口監督が、人柄の良さとメキシコ・オリンピック銅メダルの実績にものをいわせて、指導者としてのすぐれた資質を見せてくれただけに、また今後の成長を大いに期待したいだけに、ひとつ注文もつけておきたい。
 とくに取り上げたいのは、3位決定戦の試合ぶりである。
 3位決定戦は、気温30度を大きく超える炎天下での試合だった。
 日本の選手も中国の選手も、連戦の果てで、かなり疲れていたが、銅メダルを目前にして、気持は大いに高ぶっていた。
 中国チームには足わざのいい選手が多く、ドリブルで抜いて出る攻めが得意だった。
 こういう条件のもとで、山口監督は、どんな作戦をたて、どんな指示を選手に与えただろうか?
 いろいろ手はあるだろうけれど、チームを一番良く知っているのは監督だから、監督がもっとも効果的な対策を立てられるはずである。
 そしてその考えは、選手たちの戦いぶりを通して、見ている者にも伝わるものである。
 しかし3位決定戦の場合は、テレビの画面で見ても、直接取材した同僚の報告を聞いても、また試合後の監督の談話を読んでも、日本の選手が「がんばった」ことが分かるだけで、それ以上にどんな駆け引きがあったのか、うかがうことはできなかった。
 前半、中国は足わざのいい選手がドリブルで抜いて出ては、日本の守りを振り回し、2度にわたってリードした。
 日本はリードされるたびに、がんばって、追いつき、前半は2対2で終わった。
 テクニックのいい相手に対して同点だから健闘したようにみえるが、その間に失ったエネルギーは、日本の方がずっと大きかった。
 果たせるかな、後半はリードされると、もう追いつく余力はなかった。2点差をつけた中国は、味方同士でボールを回して、日本の選手をますます、きりきり舞いさせた。
 この結果を見て「体力不足だ」とか「スタミナぎれだ」と評するのは単純すぎる。これは作戦ないし戦略の失敗である。
 もちろん力は相手が上だったから作戦が正しくても、銅メダルを取れたとは限らない。
 しかし、地元のチームとして、ここまできたからには、メダルをとって欲しかった。
 監督に問われるのは結果である。
 監督に対しては「健闘」という言葉は無用だ。
 山口監督には、勝負師としての経験が不足していた。厳しすぎるようだけれども、そういいたい。

ユニバーって何さ
大学生だけ特別扱いすることに何の意味があるのか? 

 大阪本社で仕事をしているとき、毎日のように読者からの質問の電話が掛かってきた。
 「ユニバーシアードって、何ですねん?」
 「どんな人が出られるんかいな」
 これは答えに窮する質問である。
 新聞は「大学生のオリンピック」だとか「学生スポーツの祭典」だとか、分かったような、分からないような冠言葉をつけていた。
 ところが、同じ紙面に載っている選手の名前を見ると、関塚(本田)とか鈴木淳(フジタ)とか、カッコの中に企業名が所属として書いてある。
 「何や、大学生でなくても出られるんかいな」と思われても仕方がない。
 ユニバーシアードは、国際大学スポーツ連盟(FISU)の主催するもので、出場資格は、大学在学中の者、または大学卒業後2年以内の者で、年齢17歳以上、28歳未満となっている。
 年齢に幅を持たせて、卒業しても資格を認めているのは「国によって学校制度か違うから」と説明されている。本来は、大学スポーツの組織による大会で、日本でいえば「学連の大会」といっていいだろう。
 しかし現実には、形式的に出場資格を満たしていれば、企業チームに属していても出られるので、疑問が出るのはもっともだ。
 だいたいが、スポーツをするのに大学にいったかどうかを問題にする方がおかしい。100メートルを9秒8で走れば、小学校しか出ていなくても、世界新記録には変わりはない。
 ソ連のような国では、陸上や水泳の選手は、たいてい体育大学にいくから、みなユニバーシアードの出場資格がある。
 サッカーの場合は、大学にいかなくったって十分食っていけるから大学にいかない選手も多いけれど、ユニバーシアードに出す必要があればすぐ大学に入学させればいい。
 日本でも、神戸の大会に出た日本男子バレーボールチームの中には、高校出の日本リーグチームの選手だったのを、私立大学の通信教育部に入れて、資格を整えたケースがあった。
 というようなことなので、ユニバーシアードを「大学生の大会」と考えるのは、たいして意味はない。やがては消えていく大会だろうと、ぼくは考えている。
 そういうふうに考えると、サッカーの日本ユニバーシアード代表は、必ずしも大学リーグでプレーしたことのある者でなくてもよかった。
 日本代表選手が兼ねたってよかった。もっと広い範囲から選べば、もっと強力なチームを編成できただろう。
 手元の日本リーグのプログラムを開いて、上位の読売クラブと日産から拾いあげると、いくらでも魅力のある選手がいる。
 たとえば読売クラブでは都並、戸塚、大友、上島。日産では田中、越田、水沼、柱谷……。
 大学に関係ない者もいるじゃないかだって?
 だから、そんなことは本質的な問題じゃないとあらかじめ断ったわけである。
 そういう選手は、この機会に大学にいれて、勉強のチャンスを与えてやればよろしい。
  もちろん、本当に勉強するかどうかは本人しだいだけれども……。


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